現代版のオセロ

オセロ/othelloの第三幕、第三場といえば、あのイアゴーが詐欺師的な御託でもって、黒人将軍オセロを手玉に取り、若妻デズデモーナの不貞を信じ込ませる有名な場面で、シェイクスピア/shakespeare劇の見どころの一つだ。
例えば、与えられたテーマこそ違うが、忠臣蔵の全篇に流れる内蔵助の、心模様の移ろい同様に、愚生の如きはいまだ飽きもせず、ついつい見て、読んでしまう。
もちろんシェイクスピア劇から、シェイクスピアの、人となりの人生観、哲学、宗教観といった、くだらないことはさておいて、人の世のすさびを知る上でも、せめて高校時代までには、読破しておきたい脚本家の一人だ。
政治家にして、そして戯曲、脚本家にしても、それぞれの守備範囲はもちろん異なるが、そもそもシナリオライターとして最低限のマナーであろうところの、複雑な要因、起こりうるすべての事象を想定、思案しなければならないことは、小学生でも理解していることである。
あえて書くまでのことでもないが、それはいかなる職種でも同じことで、例えるなら難破を想定していない船乗りなんて、いる筈もない。
しかし所詮は人のやること、時には狂うのが人の世の、また面白いところでもある。
同じイギリスには、キャメロン/davit cameronという前首相がいた。
こやつ、一言で表すならタワケ者、もしくは間抜けな男、などと言ったなら礼を失するので、ここでは’能天気者’と書き変えよう。
この’能天気者’、言うまでもなく、今のイギリスを大きく揺るがす、EU離脱問題(brexit/britain & exit → brexit)の提唱者だ。
難問中の難問であり、不問とされたEU離脱の是非をあえて問い、火に油を注ぐが如くに、イギリス全土をchaosのどん底に追いやった主犯だ。
首相として舵取りを任されたキャメロンの無思考、無定見な脚本は明らかに、誉れ高い大英帝国をただ疲弊させ、衰退へと導くものに過ぎなかった。
まさしくキャメロンは自ら、現代版のオセロ役を演じる羽目になる。
余談だが、そのたぐいの’能天気者’は日本にもいた。
8代将軍、足利義政もその一人で、勃発した応仁の乱は後々、十余年も続いた中世のchaosと言われ、京都の市中は内乱で破壊され尽くすも、首謀者宅では日々、贅を極めた酒宴が繰り返されていたとあることからして、他国事ばかりではない。
よってイギリス議会は、離脱賛成派と反対派の真っ二つに割れ、両論相譲らない、ガチンコ勝負の修羅場と化すのは必然だが、他国からはどう見ても、三流の茶番劇としか見えない悲壮も伴う。
時に大根役者が大見得を切って現れるが、しょぼしょぼと消え去る繰り返し劇には、さすがにもう、うんざり感がただよう。
昨今、またもや首相が入れ代わったが、今度は強烈な自己顕示欲の塊のような政治家(boris johnson)が登場した。しかしこやつも長続きしそうにないことは、誰が見ても、おおよそ想像がつく。
みっともない痴話ゲンカもどきの現象はまるで、ソフォクレス作、アポロンの神託を受けたオイディプス王の、内なる悲劇、破滅へと進む、ギリシャ悲劇/greece tragedyと同列などと言ってはいけないが、周囲の国々の嘲笑をよそに、キャメロンの脚本による帝国の衰亡劇は今まさに、難破船の如きに大揺れしている。
浅慮な行為がやがて地獄へといざなう心模様を、オセロに見事に演じさせたシェイクスピアがもしも存命だったならば、同じく浅慮な思いつきだけで国家をchaosへと追いやるキャメロンの心模様を、はたしてどのように脚本しただろうか。
あるいはオセロと違って嫉妬、懺悔の欠片もない...義政のように・・・。
まぁ 気楽な人生も また然り ではあるが・・・
漫筆

早速、書棚から萬葉集・二(小学館/昭和47年発行/小島憲之・木下正俊・佐竹昭弘校注・訳者/p,67より以下引用)の中から、’令和’の語源となった’令月’を見つけたので以下に。
要するに、お正月の良い月、気は良く風は穏やか、梅はあたかも鏡の前の白粉のように白く咲き、蘭は匂い袋のように薫っている。そればかりではない、夜明けの峰には雲がさしかかり、松は雲の羅/ベールをまとって、蓋をさしかけたように見え、夕方の山の頂には霧がかかって、鳥はその霧のとばりに封じこめられて、林の中で迷っている。庭には今年の新しい蝶が舞っており、空には去年の雁が帰って行く。ここに・・・・(以上、p,67より引用)






















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