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2007年11月28日 (水)

ゴロヴニンの洞察

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江戸に来たオランダのカピタンがゴロヴニン事件の顛末を非常に詳しく知っているのを江戸の役人らが知り、訝しく思い、問いただしてみると、彼はゴロヴニンが帰国後に書いた『日本幽囚記』のドイツ語訳から重訳されたオランダ語訳本を所持していた。
それを日本語に訳し、『遭厄日本紀事』の名で日本語版が完成した経緯がある。

詰り、世界一周して日本語の完訳が出された凄い変遷を辿った希本である。

それがゴロヴニン著、井上 満訳岩波文庫、「日本幽囚記」の
上、中、下巻。

ゴロヴニンの正式名、Vasily Mikhailovich Golovninは
naval callageを1792年に卒業、1801年より5年間イギリス海軍に仕え、その後、ロシア海軍に戻り、クリル諸島をダイアナ号で探索している所、国後島で松前藩に囚われ約2年間を北海道で幽囚される。

彼は知性、文才、教養も兼ね揃えた海軍々人だったらしく帰国後、北海道に於ける見聞、体験を『日本幽囚記』に記して出版する。
やがてそれが独・仏・蘭・英語にも翻訳されて西欧でもベストセラー、大変評判になっていたらしい。
屈辱的、強制的な生活を送り、表立ってメモを取ることも許されず、限られた情報源より、よくこれだけ冷静に、後世の人々を驚かす客観性に富んだ書物を書くことが出来たものだ。
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愚生のあくまで推測だが、当時の’日本人のおもてなしの心’に感銘したのだろう、又、各方面に与える影響を充分考慮している跡が伺われるし、ピョードル大帝に対する配慮も忘れていない。

その本の中で、それまで西洋世界で日本の定評となっていた狡猾、背信、忘恩、熾烈な復讐欲などといった非難は、すべて太閤秀吉により追放された宣教師達の悪意による虚偽、中傷だと断じている。

そして日本人は天下を通じて、礼儀正しく、最も教育の進んだ国であると紹介している。

この本の各方面に与えた影響は計り知れないだろう。
例えば、日本におけるハリストス正教の開祖ともいえるニコライ・カサーツキン(Nicholai Kasatkin, 1836-1912)が日本伝道を決意した動機についてはこの本の影響によるものとの説が定説となっている。
後年、来日したペリー、シーボルト等にも強い影響を与えたらしく彼らの日本人論はゴロヴニンの評と確かによく似ている。
副艦長のリコルドと組んでゴロヴニン釈放に携わった高田屋嘉兵衛を主人公にした司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の中心的な題材にもなっている。
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当時、実際に教えを請い、何かと面倒をみてあげ、函館港から’ウラー’と言って送り出した松前藩の村上貞助、江戸幕府から松前藩に派遣されロシア語学習をめざしていた蘭学者でオランダ通詞の馬場佐十郎、そして幕府の司天台暦局の数学者で暦法家だった足立左内らもきっと読んだに違いないだろうが、彼らの気持ちが今でも手に取るように伝わってくる。

鋭い程の洞察力を有したこの男の、’日本に対する恩返し’と言っても決して言い過ぎではないだろう。

初版が昭和10年代と、決して読みやすいとは云えないが下手な小説よりはるかに面白く、ノンフィクションとしても第一級の本だと思う。

尚、斉藤智之氏の訳された『日本幽囚記』も読んだが此方は若干、簡潔ながら読みやすい。

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