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2008年1月25日 (金)

愛八とSAYURI

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何気なく、なかにし礼著、文春文庫、「長崎ぶらぶら節」を古本検索、根室の道草書房より取り寄せ一気に読み終える。

実在した愛八、学者の古賀十二郎、そして有名な芸者置屋の花月が出てくるが内容はほぼノンフィクションとも評され直木賞受賞作でもある。

小さな漁師町に捨てられ、拾われた貧しい家で10歳まで過ごし、芸者置屋に売られた主人公の愛八、そして研究に没頭する古賀十二郎、両者のこころの葛藤を長崎古来の伝統と東西ごちゃ混ぜの文化の中に併せて描かれている。

義侠心が強く、一本気であった愛八は幼いながらも、お雪という花売り娘の出自が自分と重なり苦労している事を前々から知り、なにかと面倒を看ていた。

このお雪が重度の肺病を患い、愛八の多大な出費と懸命の看病でお雪は全快するが、やがて愛八はたおれ、終に亡くなる。

愛八はその事をお雪に伝える事を禁じていたが死後、生活していた部屋に家具、家財らしきものは何一つ残っておらず、初めてお雪は愛八がすべての面倒を看てくれていた事を聞かされる。

愛八が歌い、残した「長崎ぶらぶら節」は今も歌われているという。

歴史的にも興味の尽きないこの長崎で一人静かに堂々と生きた芸者、愛八のいきざまを綺麗な文章と方言が醸し出す独特の世界に引きずり込まれるのは果たして愚生一人だけだろうか。

一人前の芸者になったお雪の語り調が一人称現在形で最初と最後にでてくるが何とも味わい深く、無常を感じさせる。

読後の爽快感と時と共に消えた筈の余韻がなんとも心地よい。

これも良書の条件なのかもしれない。

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これとは別に、アーサーゴールデン著の世界的ベストセラー本、memoirs of a geisya「さゆり」が1997年アメリカで上梓され、後に sayuriという タイトルで映画化されアカデミー賞を受賞する。

アメリカでは出版当時反響が大きく本屋の書棚でよく見かけた。 

不思議な事に、両著に共通する内容があまりにも多い事に愚生若干の疑問もわいてくる。

内容は主人公の出自も、又、厳しい社会の中で生き、伸して行く過程においても愛八、さゆり共々あまりにも似かよっているがここで比較するのは本意ではない。

但し、長崎ぶらぶら節の雑誌への発表はその一年後となっている。

だが、そこはアメリカ製、「さゆり」の最後は例の如くハッピーエンド。

余談だがニューヨーク、マンハッタンで公演されるシェクスピアでさえハッピーエンド。

このアングロサクソンなる人種、料理同様に愚生の理解の範囲を遥かに超えている。

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