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2008年3月13日 (木)

石原慎太郎にとっての天皇

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石原慎太郎という男、平時と有事、攻撃と防御ではこうも変わるものなのか。
計算され尽した意図的な差別発言、そして軽さの中にも一見勇ましい言動に、映画の中でヒーローが何某かの正義の味方を演ずる骨っぽい男臭さに似た感じを懐いていた人も沢山いただろう。

昨今の軟弱、世間知らずの政治家もどきが闊歩する中で、明治以降の右翼が持ち合わせていたであろう極端な思想、偏向、短絡的な信条にはあえて目をつぶってもそれ以上に肝のすわり、筋の通った立派な人物像を期待していたのも事実であろう。

政治家に先見性、勇気、仁慈、高潔などを期待する事自体、大きな誤りとは知りつつも一連の石原慎太郎都知事の発言、姿勢から察するとやはり理想像にはほど遠い、晩節を汚した頑固一徹な独断的で無能な輩という事が再認識される。

昨今の新銀行東京再建策の議論に至ってはその政治手腕は三流であり、まして人間性たるや、姑息的手段でなんとか逃げを狙う評価にすら値しない負け犬以外の何者でもない。

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責任論ではトップに君臨したる者、組織或いは部下のなした結果責任は総てトップに帰するのが最低限の定めにも拘らず、所在不明詰まり、石原慎太郎知事自身に責任はないとする、なんら恥らいもない強弁、詭弁の数々を吐く。

あげくに彼の最も得意とする所の、天皇と称される人物を頂上に崇めた強固な国粋的イデオロギーの中に潜んでいる、
「誰も責任を取らない隠れ蓑としての茫漠とした天皇制」の中に尻尾を巻いて逃げ込む後姿があまりにも情けない。

あえて右派風に表現するなら、
天皇から国体の一部を任されている知事職に奉職する者の決してあってはならない、軽々しい責任転嫁ともとれる女々しき発言の数々に大きな疑問を懐くのは愚生だけではあるまい。

石原慎太郎の国家観、民族観の根幹にあるであろう天皇とは敬い、畏れ多い存在の筈でなければならないが実はまるっきり逆だったという事がすけて見える。

かつて戦争犯罪を問われた軍参謀らが戦後GHQの追求から逃げ惑った心情同様に、ただ単に自己保身の為にのみ存在する天皇なのであろう。

言い換えるなら、石原慎太郎にとって天皇とは
「天皇と称される無機質なマスコットを神様もどきに装飾させたもの」でしかないのか。
潔さの欠如、民族派の右翼が聞いて呆れる体たらく、この様な輩に天下国家を論じてほしくないし、政治の場から去ることを進言したい。

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