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2008年3月 2日 (日)

思考の退行

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日本の仏教が古来、動物を喰らう事を禁止していた一番の理由はその殺し方にあったのかもしれない。

狩猟民族は伝統的な方法、生業として、捕えた動物は頭部を叩いて脳幹部、延髄部まで破壊して倒し、危険がなくなると左胸部より長い刀、槍でまだ動いている心臓、大動脈を切り、血をぬく。
続いて頭をはずし脚、尾を切り取り皮を剥がす、そして後肢より吊り上げ内臓器を肛門、会陰部より食道、気管支まで一塊で取り出し、最後に背中から二つに分けられた状態が’お肉’なのである。

これら一連の方法に誰も感情を持ち込まないが、あえて残酷と表現するなら、地球上でこれほど残酷なものはないだろう。

無意思を装い一連の作業をこなす人は
「搬入された動物たちは血の臭いで自らの運命を察する」
事を経験的に知っている。

肉を喰らうという事はこういう事であろう。

又、一方で現在の生命科学が教えるている事は、一言で表すと動植物はすべて平等なdnaを所有しているという簡単な真理であろうか。

生命活動様式、方法は違っていても生物学の前では平等なdnaの恵みを色々な種、例えば牛から、豚から、そしてクジラからいただいてきた歴史がある。

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既に言い尽くされている事だが、日本人はクジラを崇高に敬い、命がけで捕えた鯨体は無駄なく、感謝の念を持ってすべて利用し尽くす。
アメリカの様に鯨油のみ利用し残りを廃棄していた民族とは比較にもならない、古くから伝わる世界に誇れる素晴らしいクジラ文化がある。

バッファローをスポーツハンティングの対象として激減させ、或いは場所によっては絶滅させた愚かなアングロサクソンと異なり、日本人は他の生物の命を感謝の念を有せずに必要以上に奪ったり、再生産を無視した狩猟は決っして行わなかった日本人の英知がみてとれる。

C・W・ニコルは著書、「勇魚」の中で日本人は敬いつつクジラを食べ、日本のクジラ獲りにはクジラへの尊敬の念があった、そうした日本人の心を、歴史的背景とともに世界に知らしめたいと記している。

それがいつの間にかベトナム戦争で枯葉剤を使用した事を国際世論から非難される事を恐れた当時のアメリカ大統領ニクソンが、論点の移行を計るために意図的に創出された愚かな感情論、それが何の脈絡もなく突然出てきた’クジラを殺さないで’というアメリカ発のスローガンだろう。

大きな意図を持ち、上手に情報操作された反捕鯨運動がそこからはじまり、ニクソンは自らの悪行の一時的なカモフラージュをはかったとされる。

’お利口なクジラを殺さないで’などとまるで子供が自ら抱えている人形に感情移入した如く、未熟で全く意味を持たない感情論に加え、哺乳類の中で何故かクジラという生命体のみを捕食する事を暴挙ととらえる軽薄、空疎な論理がまかり通っている。

思考の退行である。

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