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2008年5月25日 (日)

無宗教者の屁理屈

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ある会葬で度派手な服装をまとったお坊さんの法話を聞く。
そこに昔から抱いていた根源的な疑問が噴出、思想家としての道元を知りたく難解な本は省き比較的読み易い、山折 哲雄著「道元」を読んでみる。

1200年代の武家社会並びに、比叡山を頂点とした宗教界の乱れから日本海側にある越前の地で再度布教を始めるために道元はお坊さんの修行用として今に伝わる永平寺を建てる。

その時に愚生にとって超難解な「正法眼蔵」の他に興味のある「住僧心得九か条」を表している。

その内容は一切の権威と世俗への妥協を許さない厳格な禁止事項が記載されている、中でも特に眼を引くのが僧位、僧官の禁止、供僧(儀式に奉仕する僧)の禁止などである。

詰まり、お葬式などの儀式等への出席を厳禁している。
深読みすれば当時からその傾向はあったのであろうか。

又、司馬遼太郎は著書「八人との対話」の中で、道元だけがおのれの思想に純粋で、入寂後の曹洞宗は変わってしまい、民間信仰と同じく世俗化してしまったと言っている。

何故か、
収入源がないからである。
お寺という多額の運転資金が必要な会社が存続し得ないからだろう。

政治家が声を大にして云う所の政治献金必要論の中で、資金がなければ政治活動が出来ないと云う理由付けに似ていなくもない。

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かの有名な道元の「月見の像」で纏っている服装は質素、無装飾なのに比べ、道元のお弟子さんである現在のお坊さんの服装は高価な金銀装飾を纏い、豪華絢爛であり目を覆いたくなる。

これが伝統なのか、或いは権威の象徴とでも思っているのか理解しかねるが、この様な法衣を纏わなければ’釈迦の代弁者’となり得ないのだとすると逆に現在の宗教に哀れみを禁じ得ない。

これから後の世、葬式仏教と揶揄されるお寺は果たして如何程の変貌を遂げていくのだろう。

又、洋の東西を問わず、キリスト自身は質素な布一枚なのに対しローマ法王も曹洞宗の僧同様に度派手な服装で「神を愛せよ」と力説されてもちょっと抵抗がある。

良寛和尚さん、一休さんが所属するお寺から出家した事は有名なお話だが、その理由として世俗的な欲望から逃れられない仏教界に嫌気がさしたのがその理由とか。

はたしてお釈迦様、神様の現在のお気持ちは?

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