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2008年6月12日 (木)

自己との乖離

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世の中、色々な人間がいる事を痛感させられる。

母親の子宮から逃げ出したままの人間、

向上心を持っている人間、

選択の自由、自己責任と云う便利な言葉を隠れ蓑にして、怠惰に暮らし、高カロリー、高脂肪の代表のようなジャンクフードを貪り喰らい、酒を浴びるように飲み、皮膚にタトゥーを刻み、ピアスの穴を体中に開けるような人間もいる。

人生の選択肢を徹底して狭めるているがそこで充実感、達成感が得られるかは解らない。

「こんなところにいるはずの人間じゃないんだ」
とイラついている人間。
場合によっては憎んでさえいる様だが誰をどの様に。
そして究極の形として秋葉原通り魔事件へと結びつくのだろうか。

理想的自己と現実化した自己との乖離とするなら、少し前まではまだ社会そのものにも包容力があった。

困難な時代に突入してしまったと云う事なのか。
もし日本仏教の思想家らに問いかけたなら果たして何と答えるのであろう。

オリジナルな仏教本来の、自分から一切の誘惑、邪念を取り払った環境下に身を置き、遂には自分そのものの枠組みを取り払うradicalな側面を有する思想体系、詰まり自分周囲の共同体、所有物を否定する思考方法ならば、とてもじゃないが今の社会問題には積極的にアプローチ出来ないばかりかanarchyな側面を有する思想ゆえに解決出来ないのであろうか。

しかしそれでは駄目だ、

日本仏教の退行でしかない。

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社会学者の宮台真司氏も、
「宗教は社会で救われない人が最終的に救われる場所」
と言っているが、こういう時ほど慈悲を蓄えた釈迦の教えを持って大いに発言すべきだろうがセクト化された仏教各宗派より愚生の知る限り聞こえてこないのは何故か。

キリストの牧師さんなら、先ず「彼はでは自分を愛しているのか」と問い、直ぐに行動を、そして発言するだろう。

ひろさちや氏は
「人と動物の違いは宗教の有無であり無いのが動物」
と言っている。

だが、眼を凝らしてよく見ると、日本では既に宗教は無くなっているのだろうか。

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