美食って
酢飯とネタ、それにワサビのピリリとした食感を味わうのが本来の日本の寿司であろう。
アメリカの何処だったか忘れたがカリフォルニア巻きとか銘うってアボガド、マヨネーズを海苔巻き風にした寿司なるものを初めて聞き、喰ったのはかれこれ30年以上前か。
愚生にとってはフランス料理にキムチをぶっかけた様なもので決して異文化などと言える代物ではない。カウンターで日本語を喋れない寿司職人が小指を立てながら握った一皿がかみさんの前にならび、中にあったその一巻きを試食してみたが嫌悪感はあるもののさほど不味くはなかった記憶がある。
ところが、今じゃこれは定番、寿司に限らずなんでもありの料理の世界である。
元農水大臣が日本のオリジナルな食文化を残そうと日本食認証制度なるものを言い出したが一蹴されたみたい。スシポリスなる造語まで駆使し、海外の日本食レストラン経営者らは大反対ののろしを上げたが、そもそもそれら経営者の大方は中華、韓国系であった事もお忘れなき様。
対極に何処かの喰いだおれの作家が、
「美食とは異物との衝突から発生する愕きを愉むことである」などと無責任に言っていたから始末が悪い。
結果、ラーメンなのか、うどんなのか区別の付かないニューヨークのラーメン屋、チリソースに、にんにくおろしをぶっかけて喰わせるオーランドの寿司屋等々が出店しだした。
故松岡利勝の唱えた言説が開高 健のフレーズを明らかに上回っており、評価されてしかるべきであろう。
ヒトは10歳までに味覚が完成すると言われている。
ならばせめて日本国内では変化に富んだ伝統的な日本食を残しておきたいと考えるのは世の常であろう。
例えば黒人の何でもチリソース、イギリスの訳の分らん不味い料理の様な事になるのだけは避けたいと言ったなら失礼か。
愚生、喰い物に関してはファンダメンタルな超保守主義者であり、料理に関しては故開高 健を心底うらんでいる。
ただし、あくまで喰い物だけだが(笑)。
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