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2009年2月 8日 (日)

今思う、宗教右派なるもの

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ブッシュの戦争と揶揄されたイラク侵攻の根っ子に棲息していたキリスト教宗教右派の論理では宗教絡みの戦争は決して無くならない。
片方でもっともらしく博愛だの、生命の尊厳とやらのご高説を説きつつ、軍需産業には非常に都合の良いシスティマティックな、しかしとんでもない矛盾を内臓した宗教である事には違いない。

元をたどれば窮屈な地上にキリストさん、ヤハウェ(エホバ)さん、御釈迦さん、アラーさん等が各々視野狭窄症に感染し、全体会議も開かずエゴイスティックなまでに地域、民族に根を張った短絡的とも思える主張をしでかしてしまった事に深い原罪があるなんていったなら高校生にも笑われるか。

とりわけアメリカのキリスト教宗教右派の様な優勝劣敗、一人勝ちを内在する過激な戦闘思考がイラク侵攻へ、そして破局的な今の経済恐慌の下地となっている事は否定できない。

結局、自らのくびをも締めるだけだって事をアングロサクソンは学習したのだろうか、甚だ疑問である。

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梅原猛氏は、猪瀬直樹著「日本の信義」の中でも「一神教は、種族のエゴイズムむきだしの好戦的な宗教ではないか、この一神教を批判的にとらえ、あるいは抑制なしには人類の永久の平和は不可能である」と北海道のアイヌに見られるアニミズムを対極に挙げて論理を展開している。

故加藤周一氏は夕陽妄語Ⅶ、「神はどこにいるのか」の中で、科学と宗教的信仰の力とは、どこで矛盾し、どこで折り合うのかと、最後に世界を変えるためには信仰なのかもしれない・・・」と結んでいる。

論理は狂っていると云うのは簡単である。

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