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2009年6月25日 (木)

漁師魂

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スタンプ川で釣ったスチールヘッドを手荷物に、カナダからの帰りはいつも12月の早朝、バンクーバー空港を発つ。

エアーカナダ機は先ずアンカレッジに向かい、アリューシャン列島上空を通過する頃には薄暮となる。
時には薄暗い月明りの中13,000フィート上空から眼下にカムチャッカ半島から南西方向に連続する大小23島からなる千島列島、ロシア名クリル諸島が雪、流氷群の中にそれこそ見事に美しく浮き上がって見える。やがて北海道の網走漁港上空を通過する日本時間は昼過ぎとなる。天候次第だが正しく絶景の連続、だがそこは命をかけた北洋漁業の大舞台でもあった。

1944年9月3日、主に様似の漁船員を乗せた、第五新栄丸がカムチャッカ半島近くに位置するエルカマ島(越渇磨島)付近でアメリカ潜水艦の攻撃を受け大破、沈みつつある甲板にしがみつく漁船員めがけて機銃掃射、撃沈させられた生々しい様子が生き残り船員の証言のなかにある。

又、なかにし礼作詞、「石狩挽歌」の中にも出てくる、晩年の「かさと丸」はあたかも最後を迎えるべく小樽を出航、ソ連の宣戦布告の翌日、1945年8月9日、拿捕、漁船員は下船させられ、ソ連軍により爆破、カムチャッカ沖に沈んだ。

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ポンポン船とよばれた小馬力の小船一隻のみで、勿論GPS、レーダー、海図などなく小学生用の地図帳だけを頼りにオホーツク海を横切り、ぶつかった陸地がカムチャッカ、そこで見つけた他船に目的地を聞き、ようやく漁場にたどり着いた事が、竹中 猛、森 勇二共著「エルカマ島沖に消ゆ」発行所、’様似、戦争を記録する会’に記されている。

現在、プロをなのる漁師にその真似はできようか。
ツワモノ、そして強屈な漁師らが体を張って挑んだ豊かな海、底知れない勇気、度胸が凝縮された海でもある。

余談だが、「笠戸丸」とはイギリスで造船、周航、その後、ロシアに売却、日本が旅順の戦利品として分捕った船で、移民船としても使われた。

盗られた側であるロシアのスターリンは笠戸丸撃沈の報告を聞き、歓喜したともいわれ、船乗りは強制的にシベリア送りと他書には記載されている。

読みながら、冷蔵庫の隅に残っていたスチールヘッドの切り身で一杯。

同時に釣ったウィンターランより、数段旨い!

不謹慎ながら・・・。

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2009年6月19日 (金)

黒の法衣と天ぷらのコロモ

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今や、足利事件で誤逮捕された菅家利和元被告と裁判官の立場は当然ながら逆転している。

尤もらしい屁理屈があるにしろ、誤判以上に、宇都宮地裁の池本寿美子裁判長は再審請求を引き伸ばし、時効に追いやった事に対し理由付けなど出来ないのだろう。

これこそが裁判官のりっぱな犯罪にもかかわらず、最後の審判を逃げ通すお積もりなのか、そして女史には人間性の欠片もないのだろうか。

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日本人の歴史的慣習として今でも持ち合わしているであろう、三島由紀夫の云う天皇制とは違った形、所謂、無責任、隠れ蓑としての天皇制に帰結する茫漠とした、腐敗臭ただよう破れ傘の様な遺物の存在も気になる。

それを小型化した日本の姑息的官僚システムに逃げ込む後姿もさることながら、東京裁判で丸山眞男はシニカルに、「戦犯裁判で土屋は青ざめ、古島は泣き、ヘルマン・ゲーリングは哄笑する」とナチの傲然たる、ふてぶてしさを持つ空軍元帥と巣鴨の住人の心理的な比較をしているが、愚生如きには池本寿美子裁判長と巣鴨の住人がだぶって見えてしまう。

近年、天ぷらのコロモと同じく、中身が薄っぺらくなった分だけ、黒の法衣も分厚くなった。

オーイ、遠山の金さ~ん、何処にいる~!!

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2009年6月13日 (土)

誇り

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見えすいた安っぽい政争、政治戦略を差っぴいても免疫学者でもある多田富雄氏が指摘する通り、今日の日本は確かに病んでいる。

その著書、「独酌余滴」の中で、日本という社会自体が「誇り」などという言葉を失ってしまっているではないかと痛烈に現代日本を批判している。

正しく、日本郵政の西川善文社長の如き、経営者として志を忘れた輩を指すのだろう。

もっと怒らなければならない日本国民に至っては、事の重大性にもかかわらず、無痛覚の怖さを内在したままでいる。

そして氏は又、若者さえ「無恥」を公然としていると結んでいる。

円空が、そして白隠が残してくれた日本人の心が一気にぶち壊され、しかも個人主義をはるかに超えてしまった。

すでにニヒリズムに感作されているのか。

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2009年6月 5日 (金)

人として

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誰にでも、意図したこうありたい自分と、こうなってしまった自分の両方が心の中にあるのだろう。
どうやって今後、折り合いをつけるのか、それも与えられた人生だとするなら、足利事件で誤逮捕された菅家利和さんのお顔は清々しく、安堵感も漂い、見るものを逆にホッとさせてくれる。

誤判を繰り返した挙句、、渋々認めざるをえなかった警察、検察そして意図的に逃げ回った裁判官等、システムとしての問題提起はうんざりするほど報道されているがその一点にのみ帰結する事なぞ決して許されない。

分けのわからぬ権威とやらにしがみ付く逃げ腰が情けない、直接担当した刑事、検察、裁判官等は菅家利和さんと同じく、人として、この傷を一生背負ってゆくだけの覚悟はできているのか。

やはり、最後は人の良心の問題か、直接担当した職業人として刑事、検察、裁判官である前に、人としての心象を是非とも知りたい。

袴田事件を担当された元裁判官の熊本典道氏

「人を裁くことは、人に裁かれること」と述べている。

重すぎる言葉だ。

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2009年6月 4日 (木)

浮き草の如く

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生前、罵詈雑言、非難の嵐の真っ只中にさらされていた韓国の盧前大統領に対する最悪の暴論は自死によって瞬く間に逆転、再評価されいるらしい。西郷南州が西南の役で一夜にしてその世評が逆転した現象によく似ている。

いとも容易く変化する世論は、酩酊気味の床屋政談となんら変わりばえしない。

新撰組などその良い例だろう。
どの程度の政治性を有していたか大いなる疑問だが、素浪人、百姓等が集まり、一応、佐幕というコンサーバティヴなイデオロギーの下で結成された殺し屋集団が維新と共に散った。それを後世、何人かの作家に取り上げられ、いつのまにか’誠’だの、’至誠’だの馬鹿げたフレーズが一人歩きしてしまい、新撰組を美化する世論が出来上がってしまった。

袖口にダンダラ模様&誠ののぼり&一本気で命しらずの若者といった表看板によく似たものに、赤いはちまき&カミは偉大なり&自らの命を捨て去る若者、所謂アルカイダ系のテロリスト集団がある。

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新撰組もこのアルカイダ同様、動乱期に生ずる、時の権力に操られたテロ行動に突っ走る短絡的集団に過ぎないが、日本人の戯けな論理からすると、アルカイダ系のテロリスト集団も社会のヒーローに仕立てなければならない。

感情移入されやすい世論のいい加減さは、民度の成熟度の指標でもあるのか。

新撰組は何を目的に命を投げ出し戦ったのか、その政治的目的を無視、ただ勇敢な行動に、後世の日本人はシンパシーを感ずるにしても倒幕、佐幕と国論を二分した維新の歴史的意義から見ると疑問だらけで、加藤周一はそれを日本人の雑種性と言い表し、ヨーロッパと日本の思考の違いを鋭く指摘している。

盧前大統領に与する積もりはまったくない、だが日本と同様、根なし浮き草の如き世論が時としてひょう変、残酷な顔を出してしまう。

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