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2009年6月 4日 (木)

浮き草の如く

Acd37

生前、罵詈雑言、非難の嵐の真っ只中にさらされていた韓国の盧前大統領に対する最悪の暴論は自死によって瞬く間に逆転、再評価されいるらしい。西郷南州が西南の役で一夜にしてその世評が逆転した現象によく似ている。

いとも容易く変化する世論は、酩酊気味の床屋政談となんら変わりばえしない。

新撰組などその良い例だろう。
どの程度の政治性を有していたか大いなる疑問だが、素浪人、百姓等が集まり、一応、佐幕というコンサーバティヴなイデオロギーの下で結成された殺し屋集団が維新と共に散った。それを後世、何人かの作家に取り上げられ、いつのまにか’誠’だの、’至誠’だの馬鹿げたフレーズが一人歩きしてしまい、新撰組を美化する世論が出来上がってしまった。

袖口にダンダラ模様&誠ののぼり&一本気で命しらずの若者といった表看板によく似たものに、赤いはちまき&カミは偉大なり&自らの命を捨て去る若者、所謂アルカイダ系のテロリスト集団がある。

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新撰組もこのアルカイダ同様、動乱期に生ずる、時の権力に操られたテロ行動に突っ走る短絡的集団に過ぎないが、日本人の戯けな論理からすると、アルカイダ系のテロリスト集団も社会のヒーローに仕立てなければならない。

感情移入されやすい世論のいい加減さは、民度の成熟度の指標でもあるのか。

新撰組は何を目的に命を投げ出し戦ったのか、その政治的目的を無視、ただ勇敢な行動に、後世の日本人はシンパシーを感ずるにしても倒幕、佐幕と国論を二分した維新の歴史的意義から見ると疑問だらけで、加藤周一はそれを日本人の雑種性と言い表し、ヨーロッパと日本の思考の違いを鋭く指摘している。

盧前大統領に与する積もりはまったくない、だが日本と同様、根なし浮き草の如き世論が時としてひょう変、残酷な顔を出してしまう。

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