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2009年6月 5日 (金)

人として

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誰にでも、意図したこうありたい自分と、こうなってしまった自分の両方が心の中にあるのだろう。
どうやって今後、折り合いをつけるのか、それも与えられた人生だとするなら、足利事件で誤逮捕された菅家利和さんのお顔は清々しく、安堵感も漂い、見るものを逆にホッとさせてくれる。

誤判を繰り返した挙句、、渋々認めざるをえなかった警察、検察そして意図的に逃げ回った裁判官等、システムとしての問題提起はうんざりするほど報道されているがその一点にのみ帰結する事なぞ決して許されない。

分けのわからぬ権威とやらにしがみ付く逃げ腰が情けない、直接担当した刑事、検察、裁判官等は菅家利和さんと同じく、人として、この傷を一生背負ってゆくだけの覚悟はできているのか。

やはり、最後は人の良心の問題か、直接担当した職業人として刑事、検察、裁判官である前に、人としての心象を是非とも知りたい。

袴田事件を担当された元裁判官の熊本典道氏

「人を裁くことは、人に裁かれること」と述べている。

重すぎる言葉だ。

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