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2009年11月27日 (金)

北風磯吉さんの勲章

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文字を有せず、姓も必要なかったアイヌ民族が和風の姓名に強制的に改められた際に北風磯吉と命名されたのだろうか、上川、名寄出身のアイヌ民族の方だそうである。
榎森 進著『アイヌ民族の歴史』にも登場する個性的なお名前でもあるがアイヌ名は既になかったのか触れられてはいない。

北風磯吉さんは旭川第七師団に応召され、乃木希典の旅順攻略で命をかえりみず華々しい武勲をたて、勳八等功七級に叙せられる。
この事が後々北海道内の各村々に伝えられ、アイヌ児童の教材にもなったらしいと書かれているが今の和人らとっても重い事実であろう。
特にアイヌ民族出身兵士の叙勲率は高く、その勇猛果敢な行動は兵隊として叩き込まれたプロフェショナリズムに由来するとしても、帝国の臣民になりきる為だったのか、あるいはアイヌの地位向上を願い、命を懸けてとった行動なのかは勿論分からない。

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アイヌの土地所有権、国境の概念など本来、必要なかったのだろう。ロシアにもアイヌの同胞がいることは既知の事実、ましてや日ロ開戦などアイヌ民族にとって有害無益な事は分かりきっていた筈だ。
皇民などという単語が徘徊していた時代にしても、平気で北風磯吉さんにファシズムのお先棒を無理やり担がせ、欲しくもない勲章を与え、日本人を演じさせた事はあまりにも痛々しい。

それ以上驚いた事に、ある書には愛国主義者如きの表現がなされている。
読み返したが誤記ではない。

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2009年11月23日 (月)

物か、者か

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あんな奴等に何で美が分かるものかと、両巨匠がお互いに云った当事者のお一人は畏れ多くも細川護立熊本藩、16代当主で大茶人、美術収集家で知られた御殿様、白洲正子女史はトノサマと慣れ親しんでいたらしい。

もう一方の方は美に生き、小林秀雄をして天才と云わしめ、本当の目利きといわれた青山二郎で、白洲正子女史はジィちゃんとよんでいた。

美に生きた人と、美を鑑賞する人とは、それほど違うものとトノサマとジィちゃんの事を記しているがこの一行に白洲正子女史の審美眼、審人眼が如実に表れている様にも思える。

雲上人らの至言であろうが古陶器に授業料を払いきれない愚生、何時ぞや眺めた利休の茶器より、夜店が並んだとある如何わしい骨董屋で買い求めた数百円の名も知れぬ焼き物にいまだに惹かれる。

白洲正子女史はトノサマに国宝級の韓、中陶器を時代順に目の前に並べて教えられ、ジィちゃんには観る時は眼を頭からはずせと教えられたそうである。

ジィちゃんの対象は物か、者か。

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2009年11月15日 (日)

粋だね

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夕陽に眼を細め、堂々と落着き払った態度がなんともにくいではないか。
夜な夜な、我が家の風呂の横で鳴いていた剛の者のはひょっとしてこやつか?
日の高い時はあたかも朝から焼酎でも飲み、惰眠をむさぼる様なお顔が決まっている。

’おい、起きろーっ!!’と一声掛けたくもなる。

時には凛として堂々と、鷹の如く、カーッと眼を見開いている。

南座ではないが、’ヨォーッ、日本イチ!!’とこれまた一声掛けたくもなる。

眼下に、動きまわる与作とご主人様を一瞥、睥睨。

そして又、コックリさん!!

これ以上の駄文は失礼にあたる!!

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2009年11月 9日 (月)

八雲沖でカレイを釣りながら

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オロシア訛りのぬけ切らないソヴィエト移民から買った何故かアメリカ製のargus、抑揚の無い強烈なドイツ語訛りが持ち味の、旧東ドイツ出身の方から買ったvoigtländerのsuperb等、色んな骨董屋とお互いにユーモアをまじえたとんでもない英語を駆使して得た戦利品片手に、スタテン島行きのフェリー乗り場の横にあるバッテリーパークからブロードウェイをぶらぶら。

第二次世界大戦で日本が負け、歓喜に包まれた通りと聞き、ちと複雑な気分にもなったが色んな国から来ている移民、不法滞在者らがお国訛りのぬけない英語でかもし出す異文化の融合はなんとも味わい深く、最後に歩いたのは9.11テロの少し前だった。

NYヤンキース優勝、mvp松井のパレードもそのブロードウェイ通りの巨大ビル群の谷間で行われた事を八雲の沖でカレイを釣りながらふと思った。

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噴火湾の洋上でふた海丸船長の西原 豊氏と二人だけで語らいながらの釣りも良い、NY、マンハッタンで人種の巨大な動物園の様な所もまた良い。

洋の東西、異人、異文化の融合にはまず相手の尊重という暗黙の不文律がある。所がこの地では不文律など無いに等しいらしい。新規参入の西原船長、まずは保守的地域に沸き起こった日本的排他の論理を想定内と軽く一笑された。

聞けば、瀬戸内海の大崎、上島ご出身、ご先祖は代々瀬戸内海で商船屋を営み、お爺さんは15歳で外洋航路の船乗りとなり、’男は先ず海外で仕事をしろ’と厳命を拝受、アフリカ大陸を含む諸外国で経験を積み、この八雲で開業されたゴッツイ経歴を有する。

北海道のこの地を選び、貢献しようとする志や見事、世界を見、鍛えぬかれた器のでかい男とお見受けした。

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2009年11月 6日 (金)

ババカレイは高脂血症か

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当地では’ババ’等と有り難くもない二文字を冠されてしまったこのカレイ、棲息場は海底のゴツゴツした岩場、切り立った斜めの岩礁に体表面のヌルヌルを密着させてへばり着き、釣り鉤をくわえても直ぐには動かず、刺激を与えさえしなければ数十秒でも動かないところが面白い。

口から尻尾に至る長く大きい胃袋?には丸呑みした小さなヒトデ、甲殻類など、ろくなものしか入っておらず、いつもそれらがぎっしり詰まっているが、蛋白源と思われる小魚を含む軟体生物は殆ど見掛けない。
唇は厚く発達しており、時々擦った傷らしき痕を見掛けるが、逆に歯は発達しておらず、動くものは捕らえずらいのだろう。
確かに50cm級のババカレイのお口より、身長5、6cm前後のソウハチカレイがアクビをした時のお口の方がまだ大きいし、歯に付いてもしかり。又、吸い込むためのエラもさほど発達していない。

ならば柔軟性のある力強い筋肉質の体をくねらせて生ずる強力なパワーで、岩に付着している餌をくちびるで押し付けて剥がし、喰っているのだろうか。

’ババはキッカネイからなー’とは経験豊かな老船長の弁。
めったに釣れないババカレイを岩から引き剥がす時の感触が下手な釣り師にはたまらない。日が高くなるとオモリに近い鉤には喰い付かず、特に大型のババカレイにその傾向があり、マガレイ以上に用心深いお魚さんみたいだ。

今度、ヒトデの小さな切り身を餌にしてやってみるか!!
脂肪のかたまりの様なこのババさん、ご自身のコレステロールは高くないのか、愚生の事は棚上げし、ちと気になる。

時たま、凄いオデブが釣れる事もある、さては肥満遺伝子でも?

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2009年11月 3日 (火)

甚助の漂流

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八丈島沖で8人乗りの漁船が遭難、内無事生還が3名、その会見ではまだ見つからない仲間を案ずる、寡黙な海の男らしさを感じさせた。
上下逆さまになった船室で、正に板子の上で過ごしたらしい。

小泉八雲著、『日本の心』の中で「漂流」drifting遠田勝訳がある。
主人公の甚助が遭難にあった事を詳細に聞きただした小泉八雲が、例の個性的な視線で書き綴っているノンフィクション。

万延元年(1860年)7月、8人乗りの福寿丸が讃岐に向かって焼津を出港、途中の紀州沖で時化にあい沈没、仲間からはぐれ一人になった勘助は板子一枚にしがみ付き2日間、クラゲに刺され、かもめに突つかれ、幻覚、幻聴におそわれながらも、紀州の九鬼に向かっていた播州船に助けられた。
その板子はいまでも焼津に’甚助の板子’として残っているらしい。

その昔読んだ光太夫、万次郎、そして日本に帰れなかった音吉にしても、異文化との衝撃的な出会いは今でも興味は尽きないにしても、板子一枚にかける己以上の重い人生を態々と見せ付けられた。

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