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2009年11月27日 (金)

北風磯吉さんの勲章

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文字を有せず、姓も必要なかったアイヌ民族が和風の姓名に強制的に改められた際に北風磯吉と命名されたのだろうか、上川、名寄出身のアイヌ民族の方だそうである。
榎森 進著『アイヌ民族の歴史』にも登場する個性的なお名前でもあるがアイヌ名は既になかったのか触れられてはいない。

北風磯吉さんは旭川第七師団に応召され、乃木希典の旅順攻略で命をかえりみず華々しい武勲をたて、勳八等功七級に叙せられる。
この事が後々北海道内の各村々に伝えられ、アイヌ児童の教材にもなったらしいと書かれているが今の和人らとっても重い事実であろう。
特にアイヌ民族出身兵士の叙勲率は高く、その勇猛果敢な行動は兵隊として叩き込まれたプロフェショナリズムに由来するとしても、帝国の臣民になりきる為だったのか、あるいはアイヌの地位向上を願い、命を懸けてとった行動なのかは勿論分からない。

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アイヌの土地所有権、国境の概念など本来、必要なかったのだろう。ロシアにもアイヌの同胞がいることは既知の事実、ましてや日ロ開戦などアイヌ民族にとって有害無益な事は分かりきっていた筈だ。
皇民などという単語が徘徊していた時代にしても、平気で北風磯吉さんにファシズムのお先棒を無理やり担がせ、欲しくもない勲章を与え、日本人を演じさせた事はあまりにも痛々しい。

それ以上驚いた事に、ある書には愛国主義者如きの表現がなされている。
読み返したが誤記ではない。

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コメント

山越内関門
享和元年(1801)に亀田(現在は函館市)にあった関門が 山越内に移され、「山越内関門」が置かれました。この関門は日本最北に位置し蝦夷地への武器の持ち込みの取り締まりや通行人の往来切手改めが行われていましたが文久元年(1861)に廃止されました。

知っておられるかも知れませんが、和人とアイヌとの境界の関門だったようです。上記の標識がふた海屋さんから車で10分ぐらいのところにあります。JR山越内駅には当時の関門の模型があるようです。
私も今回調べて初めて知りましたので、今度立ち寄ってみます。

投稿: 北遊人 | 2009年12月 1日 (火) 15時31分

そうだったのですか、異国へ通ずる一里塚、国境いでややこしい税関、検疫手続きも行われたのですね(笑)。
道南は巨木、歴史、旧跡の名所も沢山あり、歴史好き、釣り好きには最高の場所ですね、羨ましいです。

今度は高速に乗らず、のんびりと行きます。

投稿: 与作 | 2009年12月 1日 (火) 18時47分

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