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2009年11月 3日 (火)

甚助の漂流

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八丈島沖で8人乗りの漁船が遭難、内無事生還が3名、その会見ではまだ見つからない仲間を案ずる、寡黙な海の男らしさを感じさせた。
上下逆さまになった船室で、正に板子の上で過ごしたらしい。

小泉八雲著、『日本の心』の中で「漂流」drifting遠田勝訳がある。
主人公の甚助が遭難にあった事を詳細に聞きただした小泉八雲が、例の個性的な視線で書き綴っているノンフィクション。

万延元年(1860年)7月、8人乗りの福寿丸が讃岐に向かって焼津を出港、途中の紀州沖で時化にあい沈没、仲間からはぐれ一人になった勘助は板子一枚にしがみ付き2日間、クラゲに刺され、かもめに突つかれ、幻覚、幻聴におそわれながらも、紀州の九鬼に向かっていた播州船に助けられた。
その板子はいまでも焼津に’甚助の板子’として残っているらしい。

その昔読んだ光太夫、万次郎、そして日本に帰れなかった音吉にしても、異文化との衝撃的な出会いは今でも興味は尽きないにしても、板子一枚にかける己以上の重い人生を態々と見せ付けられた。

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コメント

明日で喪が明けます。
亡くなった父は海軍の機関兵でしたが、泳げなかったので巡洋艦が撃沈された時に板に掴まっているところを救助されたと言っておりました。
なまじ泳ぎが達者だった者は生き残れなかったとも言っていました。
やはり板子一枚でした。

投稿: 北遊人 | 2009年11月 4日 (水) 21時55分

早いものですね、
そうだったのですか、凄い人生を送られたのですね、敬服致します。

改めて感謝しなければなりませんね。

数年前、札苅沖でマコカレイ釣りをしていた時、ついうっかり1954年の洞爺丸台風の事を聞いてしまい、船長の顔が一瞬ながら、くもったことを思い出します。

投稿: 与作 | 2009年11月 5日 (木) 21時50分

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