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2010年1月21日 (木)

新実智光の心の闇

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新実智光被告の刑が確定したらしい。
その後、ほかのオウム信者らが次々と離れる中、彼は今でも強固な信心を変えない、或いは変えられないのだろうか。
いったん何かを信ずると、信じた己を容易く裏切れないとしても、師と仰ぐ麻原彰晃が世間様より、全人格すら否定されてもなお自己相対化できない新実智光のいきざまに、何故か空疎な善悪論だけが徘徊している。

麻原彰晃の云う’行’がときに恍惚を生み、修行の過程で超能力が付くと称し、もしも失敗したなら地獄行きなどと、非科学的で珍妙なる論理ですら、宗教にスキルを持ち合わせない、無抗体の科学者らまでもが感作された。

犯した罪は決して肯定出来やしないが、悩み探した挙句、在来の仏教に少し留まるもやがて通り越し、彷徨い、最後にやっとたどり着いた、それが身の丈にあった教義を有するオウムだったのだろう。

連合赤軍の永田洋子を思い出す。
新実智光同様、引き金になった要因の一つに身体上のコンプレックスがあったとも云われているが、ある種のいいかげんさ、幼児性をあわせ持つ故のおぞましさ、残酷さに於いても共通点がある。

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日本古来の伝統仏教からオウムを否定する意見は確かにでた、しかしオウム信者救済の為の代案はいまだに提供できないでいる。
新実智光が多数の人を犠牲にしてまでも夢見た形、空間、それがどんな理想郷だったのか、涅槃なのか知る由もない。

また、自己相対化できないほど決定的な思想を有するまでに、どうやって沢山の障壁を乗り越えたのかといった疑問とともに、見ようによっては新実智光のある種、確信犯的澄んだ眼はその原因、治療、予防方法を現代に問うているのか。

また被害者感情は別として、仮に今生で人生のミスマッチに気付き、自己相対化できたとしても、新実智光師にとっては、それが最良の選択肢だろうか?

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