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2010年2月11日 (木)

あえて立松和平を読む

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道元禅師を師と仰いだ良寛の詠んだ句の中にはあえて真似たものもある。だがそこに良寛のオリジナルな世界が広がり、これを日本人は長い間、守り伝えてきた。
立松和平の盗作疑惑が大々的に報じられた時、愚生の中では、感性、筆致、運筆が似るなら多少の一致は当然起こりうる事ではなんて思いもしたが、実は丸写しに近いことが原作者より指摘されて謝罪した。

文字と格闘する一流の職人が技とマテリアルを否定されてしまって以来、愚生の中では許容限界をはるかに超え、それまで読んでいたものがいっぺんに消え去り、人として作家としての常識を疑い、嫌悪感さえ抱くようになった。

しかしそれも遠い昔の事になってしまった。

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作家と名の付く者なら「源氏」だの、難解な正法眼蔵に集約される道元禅師に現代の論理、公案を持って挑むのは読者の期待するところでもある。
その多くの作家等が玉砕する中で、出版に至った瀬戸内寂聴、同様に立松和平の、「道元禅師」に賛否は確かにあるにしろ、その努力は評価されてしかるべきだろう。

今思えば過去完了の乱心を反芻しながら、輪廻を疑い、信じ、時には僧の如く、無常の何たるかを説きもした。

見逃した感性があったのかもしれない、

再読するか。

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