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2010年3月27日 (土)

あるアメージンググレース

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大方の日本人が思い描く清教徒、ピューリタンとは17世紀、新世界に旅たった質素、無垢にして神の下の平等を説く、宗教心の清い人々、といったものか。
しかし、新大陸に入植したピューリタンの多くは「邪魔なインディアンは悪魔が創作したもの」と考え、それを抹殺する為、なんら躊躇いもなく天然痘に汚染された膿汁、痂皮を毛布にすり込み、ばらまき、そして理想郷を造った。

ナチのホロコーストはそのメソッドに選択肢は色々あったみたいだが、こちらは単純にして簡便、しかしご本人自らも感染し、返り討ちに会ってしまった。

一方、ここ北海道でもアイヌ語の’ぱ’(pa)は痘瘡、つまり和人が持ち込んだ天然痘(イモガサ)を指すことが知里真志保、J・バチェラーらのアイヌ語辞典にも記載されており、恐れられていた伝染病だったのだろう。

実際、種痘摂取の際にアイヌの中には山奥に隠れた者もいたと「静かな大地/花崎皋平著」には書かれているが、人痘法ではなく牛痘法だったはずである。

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後の1857年(安政4年)、函館奉行所の調査役、水野正太夫持場種痘済み候人数調書によると、志津内場所675人中437人種痘相済みで、実施率は68%と記されている。
<アイヌの国から/鷲塚鷲吾朗の世界 藤本英夫著>より引用

ピューリタンの隠れた残虐性、おぞましさは、今に通ずる民族のプロトタイプを見る様でもあり、「天然痘は神が与えてくれたアメージンググレース」と考え、そして割りきれるアングロサクソンに、唯一にして絶対神は存在しているのか。

或いはピューリタンという仮面の整合性の問題なのかもしれない。

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2010年3月20日 (土)

イエローカード必携の頃

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中川五郎次の持ち帰った天然痘予防に付いて書かれた露語の種痘書は日本幽囚記byゴロヴニンの翻訳者でもあった馬場佐十郎の翻訳で「遁花秘訣」と名を変えるが、その原因を本書にはなんと書かれていたのだろうか。

1970年代に入り、ウィルス学が急速に発展するとその痘瘡苗に抗原として用いられたウィルスは、天然痘ウィルスと同属で、極近い牛痘ウィルスと考えらるようになる。
やがてそのウィルスは遺伝子配列よりまったく別ものとされ、今では自然界で野ネズミの間で継代されているらしいワクチニアウィルスと理解されている。

NY9/11以降、バイオテロの筆頭に上げられる天然痘に対する抗体作成にあたって、より安全性が高く、より強い免疫力をもつ改良型のワクチニアウィルスが再登場、またベクターの中には抗原遺伝子を複数作製する事が可能で、エイズワクチンとなりうる可能性も秘め、今ではバイオの世界で一躍、ヒーロー的ウィルスでもある!!

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昔の海外旅行は種痘接種を証明するイエローカード/国際予防接種証明書は必携であり、直前に決まった時などは急いで近くの検疫所に行き、接種してもらった記憶がある。
繰り返しになるが当時はまだ接種する側、される側共々、牛痘ウィルスと考えられ、それを信じた者、或いは信じなかった者も救われた時代であった。

ジェンナー、そして中川五郎次らは疫病に何某かの精神性を加味して考えていたのか。
それがナノの世界のウィルス戦だと知ればさぞかし驚く事やら。

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2010年3月17日 (水)

おぬし、なかなかやるのー

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日本幽囚記、下巻、ゴロヴニン著、井上 満訳の中に艦長リコルドの手記がある。
お互いに大将と呼びあった高田屋嘉兵衛とリコルドのそれぞれ命、国運をかけた交渉事が最大にして、最高の読み所だろう。
司馬遼太郎も「菜の花の沖」執筆にあたり穴が開くほど読んだに違いなく、嘉兵衛に惚れ込んだのだろうか。

文中で1807年、エトロフ島で捕らえられ、シベリアに連行された船持ちとして登場する、良左衛門(レオンザイモ)という日本人がいる。
高田屋嘉兵衛はリコルドへ「良左衛門とは五郎次の事でアイヌの娘と一緒になった南部藩出身の門番で、船持ちではない」と説明している。

彼はオロシアに5年間拘束の後、日本で幽囚されているゴロヴニン艦長の交換要員として副艦長リコルドの船に乗せられ、再びエトロフ島の背信湾(泊湾)に連れて来られ、日本の島守とリコルドの交渉役として数回、露船ディアナ号と島の間を往き来させられ、最後に本船には戻らず、姿を隠してしまう。

ところが、後に松前藩で中川姓を給わり、オロシアで習い受けた種痘法を道南の大野の牛を用いて実施したらしい。
まず健康な牛に植付け、その痂皮より採取したワクチンを用いて函館、松前あたりで接種し、成功したと史書に記載されている。事実、明治初期に中川五郎次より直接接種された函館のお婆さんの明確な証言もある。
同時期、シーボルトも日本へ牛痘株を何度も持ち込み、種痘接種を試みているが、こちらはウィルス量の違いなのか、失敗している。

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ただ大きな疑問もある。
成功した中川五郎次はいったい痘瘡の苗をどのようにして見つけ、或いは入手したのか史書には書かれていない。

日本に公式に種痘が伝えられたのが1849年、そして緒方洪庵の除痘館開設より20年以上前、歴史のいたずらなのか、偶然、幸運の連続で奇跡的に死の淵より生還の後、北海道の片田舎での快挙、凄っごい男がいたもんだ、但し医者ではない。

ちなみに接種料金は2分、もしくはそれ以上とある、現在に換算すると間違いでなければ3万円以上となる。難しい定めなど必要ない時代、松前藩のお殿様より褒められたかな?

なお、文中には狡猾でしかも依怙地な良左衛門(レオンザイモ、五郎次)とオロシア側からの視点で人物像が表現されている。

私見、本邦では名誉回復があって然るべく申し上げ候成!!

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2010年3月 8日 (月)

二つの'J'

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内村鑑三が洗礼を受け、理想郷と信じていたアメリカに行き、目にしたのは差別、拝金主義、その現実に落胆しつつも、新渡戸稲造と同じく二つの’J’、つまりJesusとJapanを掲げて活動、新渡戸は後に「武士道」を発表する。

映画ベンハーでユダヤ人の主役Judah・Ben-Hurはジュダ、またはユゥダと呼ばれ、民族による発音の微妙な違いを正確に使い分けている。
ラストシーンでユダヤ人のキリストがゴルゴダの丘に連れてゆかれる時、ローマ人、ユダヤ人、アラブ人らの嘲笑、悲嘆など入り混じった豊かな表情の違いがとても印象的であった。

ところ変わって、日本海軍に攻撃された歴史を持つオーストラリアに行けば’J’の趣旨はまるっきり異なる。特にシドニー界隈で稀に見聞きする日本を卑下した韻語、落書きとしての二つの’J’はどうやらJapan&Jew<J&J>らしい。

それがオーストラリア環境保護団体等の演じる、幼稚でコミカルな反捕鯨運動とリンクするのか、否か判らない、しかし根底には侮蔑を込めた人種偏見を含んでいるのは明かである。

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日本捕鯨船が南洋で晒し者にされているにも拘らず、日本政府の及び腰の対応に忸怩たる想いを抱くのは愚生だけではあるまい。
病的なまでにナショナリズムを抑制しようとしているのか、或いはクジラ如きととらえ、主権の侵害がやがて放棄にも繋がりかねない状況ながら、毅然とした態度を示さない政治手法、加えてチャランポランな鳩山首相自らが「私はクジラを食べない」などと全く余計な軽口なども敵を利するだけで、そこから得られるものは何かあるのだろうか。

逆に曖昧で弱腰な'Jap'と見られた結果、理解困難なヒーロー気取りで、カルト的なシ-シェパードとやらの職業化したパフォーマンスは年毎に、より過激化、遊戯化ているのも事実であろう。

もうひとつの'J'は敵対する隣国の人口密集市街に平気で強力なミサイルを叩き込む事すら是とする、生き残らんが為、ラディカルなナショナリズムが生命線の国でもある。

イスラムの命は勿論だが、クジラの命も次第にナショナリズムというフィルターを通して見るようなご時世、しかもオージー、キューイの愚かなフィルターは徐々にぶ厚くなりつつある。

ここは日本国家として、厳格で凛とした主張、対応を見てみたい。

勿論ナショナリズム抜きで。

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