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2010年3月 8日 (月)

二つの'J'

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内村鑑三が洗礼を受け、理想郷と信じていたアメリカに行き、目にしたのは差別、拝金主義、その現実に落胆しつつも、新渡戸稲造と同じく二つの’J’、つまりJesusとJapanを掲げて活動、新渡戸は後に「武士道」を発表する。

映画ベンハーでユダヤ人の主役Judah・Ben-Hurはジュダ、またはユゥダと呼ばれ、民族による発音の微妙な違いを正確に使い分けている。
ラストシーンでユダヤ人のキリストがゴルゴダの丘に連れてゆかれる時、ローマ人、ユダヤ人、アラブ人らの嘲笑、悲嘆など入り混じった豊かな表情の違いがとても印象的であった。

ところ変わって、日本海軍に攻撃された歴史を持つオーストラリアに行けば’J’の趣旨はまるっきり異なる。特にシドニー界隈で稀に見聞きする日本を卑下した韻語、落書きとしての二つの’J’はどうやらJapan&Jew<J&J>らしい。

それがオーストラリア環境保護団体等の演じる、幼稚でコミカルな反捕鯨運動とリンクするのか、否か判らない、しかし根底には侮蔑を込めた人種偏見を含んでいるのは明かである。

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日本捕鯨船が南洋で晒し者にされているにも拘らず、日本政府の及び腰の対応に忸怩たる想いを抱くのは愚生だけではあるまい。
病的なまでにナショナリズムを抑制しようとしているのか、或いはクジラ如きととらえ、主権の侵害がやがて放棄にも繋がりかねない状況ながら、毅然とした態度を示さない政治手法、加えてチャランポランな鳩山首相自らが「私はクジラを食べない」などと全く余計な軽口なども敵を利するだけで、そこから得られるものは何かあるのだろうか。

逆に曖昧で弱腰な'Jap'と見られた結果、理解困難なヒーロー気取りで、カルト的なシ-シェパードとやらの職業化したパフォーマンスは年毎に、より過激化、遊戯化ているのも事実であろう。

もうひとつの'J'は敵対する隣国の人口密集市街に平気で強力なミサイルを叩き込む事すら是とする、生き残らんが為、ラディカルなナショナリズムが生命線の国でもある。

イスラムの命は勿論だが、クジラの命も次第にナショナリズムというフィルターを通して見るようなご時世、しかもオージー、キューイの愚かなフィルターは徐々にぶ厚くなりつつある。

ここは日本国家として、厳格で凛とした主張、対応を見てみたい。

勿論ナショナリズム抜きで。

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