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2010年10月 4日 (月)

毛蟹の密漁

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数日前、船上でのほほんと釣りを楽しんでいた所、棘のある小さなカジカに混じって毛蟹が引っ掛った。よく見ると釣れたと言うよりは不真面目な釣り師にほったらかしにされた餌のエラコにちょっかいをだしたカニさんのはさみが絡まったみたい。

カニといったなら二人の巨匠が思い浮かぶ。
まず魯山人、ある意味一休と森侍者の関係の如くと言ったなら大げさにしても、蟹を食材、画題として好んで用いたとされ、その今に伝わる活々し、かつ飄々とした優れた陶器はまさに垂涎もので上等品はもはや愚生の手の届くところにはない。

かたやチビでギョロメのラッキョウと呼ばれた男がいる。その青っちょろい虚弱な若僧は天皇の軍隊に入隊する為の徴兵検査会場で仮病を演じ、期待した通りの不合格通知の後、父親の平岡 梓とともに脱兎の如く逃げ帰った光景とその対極に作家として成功した後、体を鍛え直し、自衛隊へ体験入隊、挙句にテレビカメラを用意させシナリオ通りに人生を閉じる劇を演じた相反する二つの光景を有している。

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遠い過去からのあまりにも奇異な儀式を想わせ、それ以降変遷するであろう思考を断絶させる無意味な生態をある人は茶番劇といい、ある人はエロスと言い切っていたが所詮評論家なんて気楽な商売でもある。

よく金箔付きの臆病者と揶揄されたご当人にとって蟹は何故か特別に恐ろしいらしく、しかも半端な怖がり方ではないらしい。澁澤龍彦は作家と蟹の間にその文学性のヒントがあるなどとあたかも正解があるらしきこと書くから読者はますます分からなくなる。

南半球、北島のパヒア(Paihia/NZ)の蟹、或いはシドニーの魚屋さん、大西洋岸メリーランドのBaltimore、NYのイタリア人街界隈で見かけた青っちょろい蟹、バンクーバーの港にいる黒い蟹、エリモの毛蟹も含めて愚生には形態の違いだけで単なる食材にすぎない。

エリモ岬の漁師はカニをガニと呼び、獲りたて、茹でたての大鍋に山盛りにされたガニを漁師の作業小屋から出してきて「ケエ、ウメーゾ」とよくすすめられた。
贅沢といえばこれ以上のものはないと思いつつ、もしも天才がエリモで生まれ育ったならもちろん都市の雑踏、フラッシュ、派手な商業主義もない中では衆目を集める行動も必要なかっただろうし、悪趣味な贋作も必要なかったに違いない。

日本人の幾人かは嫌い、大方は好んで読んだが時代を見抜いた鋭い切り口を活字に置き換える一連の作業にも満足し得なかったのか、或いはその創作力に陰りを感じたのかは分からない。
作家として名を成したことは所詮、薄い紙っぺら一枚に肩書きが一行増えた程度のものだったのか、突如としてどっからか拾ってきた天皇主義のおいしいところへとぶっ飛ぶ摩訶不思議な行動をして、精神病理医より自己愛性人格障害という立派な診断名を拝受している。

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生理と病理の間にある垣根を飛び越えたにしても又、如何程の副題が用意されても思考回路の根っ子に井戸のカエルの騒々しい論議の如く、生い立ち、嗜好、太宰 治、川端康成・・・を無理やりご登場願い論ずることはある意味、簡単であろう。

帰宅後、逃がさなければならない事を知ったが、愚生如きにはいまだその精神性に納得のゆく答を出せない40年前の宿題である。

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