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2011年2月18日 (金)

生物学と医学のはざまで

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心移植の和田寿郎教授訃報を耳にし、今更口はばったいが生物学のはしくれに医学はあり、医師は医学者である前に生物学者であり、「人間学」を忘れてはならない事は科学者に限らない。

二つの生物体を止むを得ず一つにする時、当然ながら第三者を含む誰が見ても納得できるdonorの確実な死の証拠は大前提であり、若しそれがなければ殺人である。この単純な理屈をうやむやにして仮に成功したとして最大の被害者はdonorであり、又recipientも一生涯与えられた生命に疑問を持ち続けるのだろう。

1968年に行われたこの心臓移植という壮大な生物実験の後、生命のrespectを謳っているはずの札幌医大は組織ぐるみで証拠を隠蔽し、さらに小説「ダブルハート」、「白い宴」で学内より問題提起した当時の渡辺淳一医師を追放してしまった。

また和田寿郎教授は情けない事にその後の調べで移植に必須な免疫学の基本知識を欠いていた事が判明、従って免疫抑制剤すら知らずに心臓移植を行った事になる。その後、言を左右にして惨めな逃げの姿勢をとり続け、責任転嫁ともとれる行動を繰り返した。

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donor、recipient共々和田教授に執刀されずに別の治療法を選択したなら健康な人とほぼ同じ人生を歩んだ筈と多数の専門医の意見がある中、札幌地検、札幌検察審議会は殺人罪で起訴すべきものを証拠不十分として猶予してしまい、遂に和田寿郎教授は日弁連からの警告書一枚のみで逃げ切った。

donorは自発呼吸を行い、血圧は安定、瞳孔反射も正常にあったと各資料に残っており、特に初診の小樽病院では札幌医大に緊急輸送するほどの急を要する症状はなかったと担当した勤務医、救急隊員等の証言からも、札幌医大のプロ中のプロといわれた経験豊かで優れた専門医師団がどう常識的考えても生存の可能性大なる事を判らない訳がない。
つまり素人ですらも分かるdonorの生きているsign、言い換えるならdonorが必死で訴えた生還出来うるsignを無視して和田寿郎及びその心臓移植医師団は冷酷、無慈悲にも心臓を摘出したことになろう。
他にも多々疑わしい事実はあるが、この弁解の余地のない手術一つとっても現在の裁判員制度では明らかに有罪であろうし医師免許剥奪の可能性もあった筈である。

生存の可能性のあった生体にメスを入れ心臓を取り出す手術に和田寿郎教授並びにその医師団の誰一人として疑問を感じなかったとは絶対に言わせない。

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テクニッシャンが時に陥りやすい功名心、幼稚で浅薄な目立ちがり屋的心情が加わると往々にして発症してしまう病的な所業に対して和田寿郎は晩年、医の理念と心静かに向き合ったのであろうか、強弁を繰り返すのみで人としての精神世界、深い洞察を含んだ声はついに聴く事はなかった。

大変失礼ではあるが和田寿郎はどう客観的に見ても一犯罪者にしか過ぎない。

なにより医学の為に生物学があるのではない。

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2011年2月14日 (月)

名もない温泉

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流れ込む無色透明の自然湯から析出された湯の花から勝手に想像するに鉄分、石灰、珪酸を含み、若干の硫黄臭は酸性なのか、その湯に浸かりながら地元漁師さん等と釣り談義もまた良い。

恵山御崎漁港に面した無看板の温泉小屋から対岸の青森尻屋岬の眺めは正に絶景でカナダ国境沿いから南方に眺めるシアトルに似ており、漁村に漂う硫黄臭は南十字星を眺めながら浸かったrotoruaの露天風呂を彷彿とさせる。

先ほどまで使っていたサクラマス釣り用のマスシャクリ仕掛けに談が及んだ所、同湯していた地元の老漁師も会話に加わり、
「俺等はテンテンと言うんだ、戦後、この町の花田民乃丞(民之丈?)という人が刀掛けの鹿の角を用いて造り、その結果が良かったので皆真似たんだ」と教えていただく。

聞くに、釣り竿を用いず腕の上下運動だけで行うそのマスシャクリ仕掛けに隠された臭い、形状、動作、色彩等は究極に凝縮されたオリジナリティの塊である事、また恵山の漁師等は各々自作し同じ物は一つとしてない等々楽しい釣り談義であった。
アングロサクソンが考案したとされる現代のルアーに比べてもはるかに深淵で、尚且つ芸術性を併せ持つ一品に日本人ならではの英知、技が見て取れる。

このマスシャクリ仕掛けは従来、日本海沿岸の何処かの漁村で考案されたとも噂されていたがひょっとして恵山御崎が発祥の地であるのかもしれない。
又、この仕掛けにやや重量感を持たせると南半球のヒラマサ釣りにも充分対応できるのではないかと一人合点がゆき、来年の宿題が一つ増えた。

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漁港に面したこの名もない温泉も夕刻になると地元の老若男女が一つしかない小さな湯ぶねに浸かり、暫し交流の場になるらしい。
今でも北海道の片田舎にこんな素朴でゆったりと時間の流れる所がある。我々現代人が忘れてしまった大事なものがこの小さな漁村には残っている、これが本来の秘湯なのかもしれない。

自利があたり前になってしまった今、世知辛く変性してゆくのが近代の宿命とは思いたくもないが、ひょっとして日本人はまだ失っていないかもしれない利他の心はこんな所から生まれたのか。

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