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2011年4月14日 (木)

小説「ダブルハート」を再読

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学生時代、夜を徹して議論したものに「人の死」がある。
目前に横たわった人が温かく、しかも心音が聴こえると医師がなんと言おうがそれを死とは受け入れられないのは梅原猛らがとやかく言う前に東洋に住む日本人の当たり前の心情でもあろう。
アングロサクソン由来の脳みそがとろとろに溶けてしまった’脳死’とやらの真新しい概念を都合よく引っ張り出し、たとえ理解したとしてそう簡単に受容出来ないのが人間をなのる生き物なんだってことを渡辺淳一も考えていたのだろう。

渡辺淳一が札幌医大講師の座を辞す事になる二冊の著書「ダブルハート」、「白い宴」がある。両著とも既にカーキ色に変色し、古書特有のかび臭さがまた心地よく、学生時代を思い起こさせる。

まず「ダブルハート」を再読する。
「術式はダブル・ハート方式」の一言で文体が急に緊張感を持つ。
脳波がフラットの状態になったdonorより心臓を剔出、次にホストと表現されているrecipientを開胸、心臓は取り出さずに残し、donorより取り出された心臓を狭い胸腔に移植するという設定である。
趣意はdonorより心臓を摘出する医師の葛藤を鋭く描いているが勿論こちらはフィクションである。
渡辺淳一は末尾に自然科学はロマンと隣合せなのだと述べ、医師として考えた「肉体を持った人間が自然科学という武器の前にひとつずつ神経の砦を失っていく人体のかなしさが、私を文学にかりたてている」と述べ、この「ダブルハート」が出版されて間もなく和田寿郎等による心移植が行われた。

このフィクションはあくまで脳死が大前提であり、刑事訴追からのがれる為に脳死という大嘘をついた和田心臓移植医師団との決定的な違いでもある。

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またノンフィクション作家の祝 康成(長瀬隼介)は精力的に当時携わった医師より証言を集めている。
ここでは詳細を取り上げないがそこに実名で登場する和田寿郎教授並びにその医師団20名の行った心臓移植は各関係者よりの証言からしても明らかにdonorは蘇生の可能性大であり、あまりにもおぞましく残酷、非道な手術は名誉心からはじまり、その後、医師団全員が偽りの発言を繰り返し、惨めったらしく口裏を合わせ、やがて徹底した自己保身へと変わってゆく過程を生々しくあぶりだしている。

例えば病理検査より逃れるべくrecipientより摘出された心臓を所在不明とし、その後に提出された心臓の肝心な弁はくりぬかれ、最重要な大動脈弁にいたっては他人の弁とすり変えるなど医師が行った到底容認できそうもないあくどい所業に対し、ある時期検察は和田寿郎教授並びに手術に加わった胸部外科医師20名を全員逮捕すべしとの方針もたてられたという。

繰り返しになるが各証言、状況証拠からしてもプロ中のプロといわれた心臓移植医師団20名の多くは手術の不必要性を理解していた筈であり、本当に心臓移植しかないと診断を下したのなら余程の失格者か無能者でしかない。
そして刑事訴追より逃げ切ったそれら医師らはまた第一線の臨床医としてまた自他大学の教壇にも立ったというから恐ろしい事でもある。

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学生時代から引きずる大きな疑問がある。
手術前、つまり医術が犯罪となる瞬間に医局内部で異議を唱えた医師はいなかったのだろうか。
3.11以来、福島第一原発をかかえる東京電力のトップ等は既に提起されていた種々の原発不安定性、危険性を影で蠢く政、官を利用しまくり無視と嘘で塗り固めていたが両トップに宿るある種の共通した根源的病理現象が垣間見える。

逆に今回の津波で漂流中の人を助けた小さな漁船の船長は「名乗るほどの者じゃねー!」と言って去ったそうだがこれも同じ人間のなした業である。

いずれ、「白い宴」を再読の予定。

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