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2011年10月19日 (水)

ラリマーのブレスレット

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人って生きてゆく中で時たま心の中の「おのれ」との関係がとっても大事になることがある。
『​アイデンティティ/identityとは自分が何ものかを自分に語って聞かせるストーリーです』とイギリスのお医者さんは云っていたがそのアイデンティティを形作っている一部が消失、或いは変性したときに人はその答えを何かに求める。

自然科学を万能と考え、全ての答えをここに求めようとする人もいる。
医師に問うと、やれ心臓死だの、脳死だのと自然科学者はいとも簡単に答えを出す。
しかしなぜ、「おのれ」の目前で死んだのか、なぜこんな年齢で死んだのか、なぜこんな死に方をしたのか等々、当然あって然るべきこころの原風景にヒビが入ったとき、それぞれの「おのれ」の問いに対するそれぞれの答えを自然科学者は持っていない。

そこに宗教なるものを創作した一要因があるのだろうかなんて勝手に思うこともあるが、お釈迦様にしても、また西洋の神助にしても、全能に仕立て上げられてはいるが所詮まだ勉強不足なのか、それぞれの問いに対し正解を持っていない。

イギリスはケルトの名残があるcornwall地方にはその昔、嫌われ者とされた魔女/witchが今でもいる。
ただしいるとは云ってみた所でその魔女さんは悩み深き訪問者にタロットを用いて向き合うことをある種のビジネスとしている。
その心療的、心理的効果の程はさておいて、日本でもシャーマンさんを排除させることなく今もなお各地に細々とながらも残している。

当否の程はさておき「キリスト、仏教、自然科学だけでは解決できないことがある」ことを人々は昔から分かっていたのだろう。

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人間ってものは問い続ける不思議な動物という証拠なのか。
能はその最たるものなのだろう、時間軸を簡単にひん曲げ、シテを登場させ、過去の引き出しの何処かにしまってある’モノ’と邂逅をこころみる。
引き出しの’モノ’の中には過去完了したモノから、不完全完了なたくさんの宿題、忘れモノ、さては生身の過去の「おのれ」、「分身」まで引っぱり出して今の「おのれ」と対峙させてくれる。
演じる側と観る側は時に反発、時には無視、また時にはリンクし、はては息づかいまでシンクロすることもある。

ある僧職についておられる方はそれを考えることを楽しみなさいと云う。
その’楽しみ’の深意を理解できないが「おのれ」とはなんなのか’の公案に手法こそ違ってはいるが安部公房も良寛も西行も挑戦した。

皆、’おのれが何故存在するのか’その人間存在の意義を問い、アイデンティティを求め続けた、しかし誰もその答えを残していない。

あったりまえの事。

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コメント

10年ばかり前に不安定狭心症で入院して、ステントを入れました。
その時病室で一緒だった方の話を聞きました。
その方は心筋梗塞で病院にようやく、たどり着いてその後の記憶がなかったそうですが、あちら側の花畑に行ってきたと話していました。
気が付いたときはICUで胸に電気ショックの後があったそうです。
やはり、あちら側は花畑のようですね。(笑)

投稿: 北遊人 | 2011年10月25日 (火) 14時54分

hi,北遊人さん

美しいとされる花畑があるのにもかかわらず、胸に火傷を患いながらも帰る娑婆、そこで再び問い、問われることになるidentityにはたして此岸に安着後、変化はあったのでしょうか、気になるところでもあります。

投稿: 与作 | 2011年10月30日 (日) 22時57分

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