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2011年12月 5日 (月)

ゼロ戦が飛んできた日

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確か1970年代だったのだろうか、アメリカ本土より帰国の途中オアフ島に寄り、カラカウワ通りに面したホテルで数日過ごした事がある。今そのホテルはマリオットと名称は変わったが当時はたしかリージェントホテルではなかったろうか。

当時、50歳代のある日系ルームメイドさんがベッドメーキングの際、西方のホノルル国際空港があるパールハーバー上空を指差し「三十数年前の12月7日、日曜日の朝、日本軍のゼロ戦がいっぱい飛んできました、湾に停泊していた船が沢山燃え、とても怖かったでした」と自らの目で見た真珠湾攻撃の惨状を英語混じりのたどたどしい日本語で説明して下さった事が今も心に残っている。

今思えば彼の地の日本人、日系人等がその後に蒙った被災に対して労わりの一言も発っしなかった同系の一人として恥ずべき事でもあった。

日米間で軍事的緊張の高まる1941年、日本の軍港より主力戦艦、空母の全てがいなくなった事、またハワイへ向かう日本の大艦隊をアメリカは知らなかったとする公式の見解を自海軍基地の甚大な損失からしてもこの先もきっと変えないだろう。

うすうす急襲を知りつつ、加えてdeclaration of warの遅れがremember the peal harborのフレーズを見事に作り上げたが稚拙な日本の政治手法を手玉に、嫌戦的国民に好戦的ナショナリズムを芽生えさすには充分過ぎる演出であった。

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今、アメリカをとやかく云うのではなく、勝算なき戦争に突進した往時の政治スタイルとisd条項すら認識していなかった現政権がtppを推し進めるその政治スタイルは余りにも似通っている。
往時の日本海軍、そして現政権も戦略的思考、技術が決定的に欠け、行動の殆んどがアメリカ政府の意のままに操られていることも共通している。
他に選択肢は多々あるにも関わらず、親米、保守がうたい文句の大半の松下政経塾出身者がデフォルトに向かいつつあるアメリカに対し、将来の吉凶が全く予想すら出来ない博打ち的手法を選択したことになる。

画像でしか知らない戦後の焼け野原の残像と、予想される薄ら寒い将来の仮想現実がダブって見えるのは愚生だけではあるまい。

それはtpp参加決定に対してではなく政治の恐ろしいほどの無能化、劣化でありその根っ子には今の政治家のあやふやな国家感が透けて見える故なのかもしれない。

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