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2012年2月18日 (土)

グループ1984考

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海外の大きなコンベンションでは必ずと言っていいほど何処から見ても日本人と分かる一団がいる。他と交わらない、会議からアフター5まで然り、レストランでテーブルにディッシュが届いてもありがとうの一言すら発せず、時差も影響しているかほとんどの皆さんは仏頂面である。
まして学会長をつかまえて議論など殆んどないに等しいが帰国後、各々が所属する組織に提出される復命書を見せて頂くと立派な出来栄えだがこれも似通っている。
他人の目は異常なまでに気にする、しかし他人には興味を持たないというこの奇妙な二重構造は21世紀に至っても日本人のdnaに遺残し変異しそうにない。

自ら日本人というアイデンティティを取っ払ってその生態を眺めると実に興味深い。
それはまるで動物園のペンギンちゃんの行進然りある。
先頭に立つペンギンちゃんはただマニュアル通り直行するだけ、2羽以降は眠そうなおめめでぼんやりと無思考で追随するだけでおいしい餌にありつける。
それを観た来園者は可愛いだのとはしゃぎ、大喜びする。
毎日同じことを繰り返すペンギンの中には嫌気が差し、新世界にあこがれ列を離れるものもでてくる、それを不届きな奴として来園者はダメーとほざく。その行動にこそ大きな意味があることも知らないで。
内向き、同一行動、出しゃばらずを良しとする自閉的空間より生み出されたある種のねじれた思考をもってそれを美徳と勘違いしてペンギンちゃんに強要し、上手に出来たと拍手する不思議な日本人という図式であろう。

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匿名のグループ1984が書いた論文がそれぞれ論点を異にする朝日新聞1月版と文芸春秋三月特別号に再掲載されている。
「日本の自殺」と仰々しく題されいっけん、売れない作家によくある刺激的なタイトルのようにも思われるが実はそうではなく、中身は重い。
そもそもこの論文は1975年二月号の文芸春秋に掲載されたらしい。
ならば愚生は以前より毎月欠かさずに通読していたから間違いなく読んでいた筈である、しかし同著者のその他5,6編は記憶にあるが本論は全く憶えていない。
おそらく愚生は匿名の1984と名乗るグループが指摘している「高度に文明化した国家は将来、その繁栄の代償として歴史から消え去ることは必発、それを具体的にローマの’パンとサーカス’に喩え、その経過まで詳細に書かれている」ことを否定したに違いない。

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1975年とは連合赤軍事件も終え、世はまさにバブルに突入前夜である。
そんな時世にあたかも都落ちした傘貼り浪人的な発想から炙り出された保守的、内省的な退行論とでも軽く読み流したのかもしれない、或は’ふざけるな’などとお尻の青かった主役の大半はいきがったのかもしれない。

しかし本論を37年経った今再読した時、その論点が見事に的を射ている事に驚かされる。
繁栄とバブルの違いすら気付けず、国民全員が大いに浮かれた結果、次世代の生存プランすら決定的に欠いた間抜けな国家に成り下がる。
今頃になって慌てふためき、日本国家の消滅すら囁かれつつある現況を演出した中心にいたのがまさしく団塊の世代である。

愚生を含む団塊の世代のペンギンたる所以である。

                             つづく

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