« テキサスの大風呂敷 | トップページ | グループ1984考 »

2012年2月 4日 (土)

覚悟

Imgp2566
愚生は最後の宮大工と称された西岡常一棟梁の大ファンであり、白洲次郎同様に魅力的な生き様をさらしてくれた人でもある。

ある本には次のことが書かれている。
西岡常一曰く、「お堂を建立する時、まず最初に行う事は、自分の心にお堂を建てる事である」と言う。
法隆寺が今に残り、ほぼ同時期に建てられた官製の国分寺がことごとく消失していることを喩えて言い放つ達観、つまり技も材料もあまり違わないのに国選のかり集められた大工が建造した国分寺は現在殆ど壊れ、消失しているのに対し、法隆寺を手掛けた飛鳥の宮大工は千年先の今を見据えて仕事をしていたと断言している。

それは’大工の心の違い’であると述べている。

また別の本には次のことが書かれている。
祖父、常吉よりあんまをしながら授かった西岡家の口伝の中に

百工あれば百念あり、一つに統ぶるが匠長が器量なり
一つに止めるの器量なきは謹み惶それ匠長の座を去れ

宮大工という個性的な技術集団を纏め上げるのも棟梁の役目であると言うが人間として懐の大きさ、包容力には勿論触れていない。

宮大工の後継者は腕がなければ、血縁者でもはずし、弟子たちの中からもっとも優れた者を選んだようだ。家元制とちがい、’技法に世襲なし’ときっぱりと言い切っている。

Imgp3650
今日、やくざの世界を除き日本はどちらを見ても世襲ばかりである。
七光りを錦の御旗に緊張感に欠ける社会システムが出来上がってしまった今、千年先を見越した技術、論など皆無であろう。

親が苦労して作った会社の資産を何十億と使い込んでも無表情、また沖縄人に腹案ありと大嘘をついてもあっけらかんとしていることが許される堕落しきった日本に西岡常一さんは明治生まれの人間が持っていた’人の覚悟’を教えてくれる。

余談だが、その他の口伝には西洋のゲニウス・ロキ/genius locciという考え方にあたる’四神相応に地を選べ’と書かれている。この考えは飛鳥の大工は勿論、アイヌ民族、ケルトにもあり、五木寛之も古よりの教えとして自らが実感したと書いている。

なお高田好胤住職は西岡常一棟梁が講演等で得た収入は全て寺に寄進され、ご高齢になってからは寺からいただく自らの給金の減額まで申し出たと述べている。

こんな心は今の日本にまだあるのだろうか。

|

« テキサスの大風呂敷 | トップページ | グループ1984考 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47604/43985034

この記事へのトラックバック一覧です: 覚悟:

« テキサスの大風呂敷 | トップページ | グループ1984考 »