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2012年2月22日 (水)

多喜二、世界に出る

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彼方へと飛び去った’プロレタリア’なる単語が一段と切れ味を増して再来、しかし愚生はそのカビ臭さを払拭できない。
昨夜の2012年2月21日、小樽商大主催「小林多喜二記念講演会~21世紀にどうよむか」と題されたシンポジュームが小樽市で開催、拝聴した。
小林多喜二著、蟹工船の出だしの有名なフレーズ「おい、地獄さ行(エ)ぐんだで」の一節からはじまる物語にファリエーロ・サーリス/イタリア、エヴァリン・オドリフランス、マグネ・トリング/ノルウェー、ジョルディ・ジョスティ&小野志津子夫妻/スペイン、ジェリコ・シプレス、 ヘザー・ポーウェン=ストライク、サミュエル・ベリー/アメリカらの優秀な日本文学翻訳家が集まり、それぞれが冒頭の数行を自国語で朗読させられていた。意味不明な舶来語を聴衆に強制的に聞かせても全く時間の無駄、それより翻訳家のあまり販売部数が伸びそうにない蟹工船にこだわる現代的意味を聞きたかった。

ステージ右横には多喜二の写真が飾られ、好みとはいえ意味深げに何故か真っ赤なバラだけが添えられていた。バラにはいろんな色があっていい。

講演者のシカゴ大学教授ノーマ・フィールド女史(Norma M Field)は自らのおばあさんが小樽出身の日本人だという。
昨年、ワシントンスクェア/nyで起こった’ウォール街を占拠せよ’を例に、デモ隊に対して棍棒を振り回す警官(アイリッシュ系の薄給と思われる/愚生注)の心模様は多喜二著、『1928年三月二十五日』の中で「警官の俺だって、本当のところは君等のやっている事がどんな事か位は、実はちぁんと分かっているんだが・・・」と既に警官に言わせていると語る。
また女史は「生命と生活の乖離を乗り越えるには』と題して、多喜二は命がけの運動を続けて絶命した。反・脱原発運動に触れて抗議すること、人権を主張することは贅沢なのだろうか、だとしたらその贅沢をもっと公正に分配するには・・・と現代日本の重い命題をきれいな日本語でさり気なく語るところがなんとも憎いではないか。
ノーマ・フィールド女史あっての多喜二でもあろう、日本人は決して女史を忘れてはならない。

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この『蟹工船』がこれから世界的に読破されるに至ってそこから主体的な行動がうまれるとは到底思えないがさりとて単なる’知識の肥やし’で終えるとも思えない、期待とともに冷めた眼でことの成り行きを見てみたい。

本講演は最後までイデオロギー、torture、社会的なヒエラルキーといった単語は飛び出さなかったがそれを痛いほど感じさせるスマートな講演であった。
しかしスマートと言ったところで時代に追従する論は掃いて捨てるほどあっても巨大な時代という大壁を飛び越える生き生きとした論には早々巡り合えるものではない。
なにより多くの論、著書は移り気な世間によってそのほとんどは消え去る宿命を持つ以上、北海道の田舎町より世界へと発つ多喜二の面目たるや如何に。

また、現代社会に対し文学は如何程の力になりえるのかという問いであり、優勝劣敗化した人間がまだ僅かに持ち合わせているであろう理性とやらへの問いかけとも聞こえた。

小樽商大もセクトを超えてたまにはよい事もする。

帰宅後、同席した我が奥方に感想をお伺いすると小樽のかまぼこ、買うのを忘れた、とだけのお答だった。

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