« グループ1984考/つづき | トップページ | 方舟の怪 »

2012年3月16日 (金)

君が代/吉本隆明のこと

Imgp1766
吉本隆明の訃報に’君が代’が頭をよぎった。
日本人の皇室に対する、あたかもコンパニオンアニマルに対する生殖、繁殖を乞うが如き病的思考様式がある。
それは強烈なストレスとなって宮中の皇后、妃殿下に極度の心労をもたらし、それに起因するそれぞれの精神障害は一国民として見るに忍びないが槍の如き意見は浴びせ続けられる。
皇室のファッションを取り上げる女性週刊誌から国体論のてっぺんに位置すべきを絶対のテーゼとする脂ぎった御仁まで自由のお国とはいえ、何故か忍びない世相でもある。

そもそも明治期に至り、それまで午睡を楽しんでいた大君を突如万系一世という大うそを持って担ぎ出し、覚醒せぬ間に現人神に祭り上げ、それこそ神様役から大元帥役、果ては象徴役にいたる様々な演技をして頂いていると言うべきか、或はいまだにさせていると言うべきか人それぞれだろうがその阿呆らしさを知るほど’君が代’の’君’が持つ意味、つまり’大君’を歌詞に込める見え透いた欺瞞はある意味、腹立たしい。
それを一番熟知しているのが或は皇室の住民なのかもしれない。
皇室の住民はそれをはたして自然体で聞いているのだろうか。

21世紀に至り、宮内庁に多額の国費を注ぎ込み、従前通りの国事行為、神様役を演じていればそれで済む時代では既にない。
今はまだ誰も口には出さねど、上記のような外貌に集中する好奇な目線、或はティーパーティの絶対者の存在の如く偏狭な国粋思想家がそれをして絶対的存在とのたまう愚行が続けば天皇制の存否を問う日が来るのを早めるだけのようにも思える。

Imgp1489
また識者の中には宮中の住民に人権はないと言う、確かに一理はあるが発言する事は慣例上許される。ならば日本人たるもの歌う側の屁理屈をこね回すだけでなく、歌われる側の論も聞いてみようではないか。

天皇に訊け、皇太子に訊け、そして必要ならもう少し明るく、なじみやすい唱に変えればよい。

戦争を終えて尚’君が代’を国歌として遺残させた輩は天皇制存続という強い意味合いを歌詞に込め、宮中の住民等のいう’開かれた皇室’という言説にも同じく皇室のサバイバル臭を多くの日本人は嗅ぎとるがそもそも天皇なるものと、制度としての天皇制は全くの別物であり、後者を全ての日本人が肯定しているわけでは決してない。

文明史観として天皇制はなくなったほうがいいが天皇主義の深層はなくならないと述べた吉本隆明『天皇制の基層、本人&赤坂憲雄共著より』、またそれとは真逆に日本文化のど真ん中に天皇をすえ、それを思想、行動の原点とした三島 由紀夫が憂いたものは将来の天皇制の劣化であったが共に的を的確にえている。

君が、君を案じ、君の将来のために’開かれた皇室’を演ずるのであればまず’君が代’は変わらなければならない。
それを一歩として両極に座した者等が賑やかな議論を再開するのも御苦労な話だが大思想家の吉本隆明、三島 由紀夫の心境やいかに。

なにより橋下大阪市長の参議院不必要論を掲げるくらいの発言力があるならば’君が代’を変えろというのは容易いことでもあり、法律を守れなどと空疎な能書きをたれるよりは日本人の優れたバランス感覚を内に持つ常識を優先すべきである。

責は’君が代’にある。

常識をわきまえた人はそんな如何わしい唱を歌わない。

歌わない彼等に非はまったくない、橋下さん!

|

« グループ1984考/つづき | トップページ | 方舟の怪 »

コメント

 ブログ主さん、こんにちは。

 私は、高校生の時には君が代を歌っていました。
 大学生になり、法学、政治学の勉強をするようになってからは、いろいろな情報にさらされたこともあり、君が代を歌うことに疑問を感じ始めました。

 先日、吉本隆明さんの『真贋』を読み、ちょこっと興味をもったので、ネットで検索していたところ、このブログにたどり着きました。
 興味深く読ませていただきましたが、残念なことに、自分の天皇や天皇制などに関する知識が不十分なため、ブログ主さんの書かれたことを充分に理解できているかは自信がありません。

 そこで、なにか参考になる書籍や論文、あるいはブログ主さんの考えや体験談を教えていただけないでしょうか。
 紹介されていた『天皇制の基層』も読んでみようと思います!
 

投稿: masa | 2012年3月18日 (日) 11時40分

masaさん、コメントを有難うございます。
古くは瑞穂の国の神様、つまりお百姓さんの神様でもあった天皇はやがて軍服を着用します/着用させられます。
その長い時間軸を過ごした天皇を日本人のイデオロギー、日本人のナショナリティ、日本人のアイデンティティというそれぞれの名刀、錆び刀で切った時、その切り口を思想というなら、いろんな形があって然りです。
それを加藤周一のいう人間という複雑な組織、生命体の前では整合性も時に否定され、ちょっぴりの矛盾を含みます。
しかし日本に潜む大きな力はそれに滑稽なほど普遍性を持たせようとし、天皇に私見を述べさせず、原理化させます。
或はご存知かもしれない何某国の創造博物館のクリエーターの如しです。
ときにはイデオロギーがポリティカルなものへと変化し、カオス劇が演じられているのは日本の歴史に限らす、です。

主観抜きの天皇論、天皇制論なんてありません、朝日、読売にして然り、論客でも愚ブログで取り上げたように多士済々です。従って汚染されぬよう客観的に読み取る力が備わっていない凡な愚生如きがまっさらでしかも知識の豊富な貴殿にたいし、悪徳で毒気をはらむ我が読書録を紹介するなどもってのほかです。

手っ取り早い方法は両極に座する御仁と議論する事です、しかし彼等は自らに好都合な論のみを声高にのたまう悪癖がございます。従って片側だけでは駄目です、両極です、しかし何れその多くがむなしい事と分かります。

次のようなものはどうでしょう。
ここ北海道は明治の大革命で開拓した際、旧帝国大学/北大は植民主義を持ち、国家は皇民を持ち、アイヌ民族の生活の場を奪ってしまいました。ナショナリティの破壊です。
そんなアイヌ民族のまるっきり逆の目線で’天皇’を書いたブログを紹介します。

『シャクシャインのおひざもとのアイヌの美学』の’ある嘆願書’などは如何なものでしょうか。
お時間が許されるのならば一笑して下さいませ。

余談ですが、不思議な事に今ではアイヌ民族の子弟も’君が代’を真顔で斉唱しております。

答えとなったでしょうか?

投稿: 与作 | 2012年3月21日 (水) 19時40分

 お返事ありがとうございます。

 最近、違和感というか息苦しさのようなものを感じてしまいます。

 何かものを言えば、「左翼」だとか「反日」だとか。「自虐」とか「国賊」とかいう言葉もありますよね。
 私の周囲にも思い浮かぶ人が何人かいたりしますが、彼らは自分と異なる意見を持つ人の話はほとんど聞かないのに、自分の主義・主張は全く関係ない話の時にも引っ張り出してきて、人を説き伏せようとします。
 
 異なる意見に対する嫌悪感や猜疑心といったものを完全に排することはできないでしょうし、論理的に一貫していなかったり理想と現実のバランスがとれていない意見を受け入れることは難しいことだと思います。
 しかし最近は、人の話を聞く気がない、あるいは自分自身にも他人にも「無矛盾性」を求める人が多すぎるような気がしてならないのです。

 一つのテーマに対する様々な視点があるということを知ってしまえば、自分の意見が普遍的に通用する可能性がどんどん低くなってしまう、ということを恐れてしまうのでしょうか。

 そういう人たちは、相手を論破して、仲間を増やすことが「思想」だと思っているのかもしれませんね。
 私自身はそれは「思想」ではなく、「政治」であると思っています。矛盾や様々な価値観を吟味したり、弁証したりして、新たな矛盾や価値観を創造していくことが「思想」なのではないかと思っているのですが、この私の考え方もまた世の中に数ある考え方の一つに過ぎず、決して普遍的なものではないですよね。

そうなると物事の決着なんて永遠につきそうにないですけど、今の日本の風潮は決着をつけたいがために、無理やり、矛盾や多様な視点・価値観を、二項対立に押し込めているように思えるのです。そんなふうに無理をしているから、「思想」も「政治」もうまくいかないのではないかなと、お返事のコメントを読んで考えました。

 と、ここまで生意気なことを長々と書いてしまいましたが、書いている最中にもいろんなことを考えてしまったので、わけのわからない部分があるかもしれません。笑
申し訳ないです。
 紹介していただいたブログも読んでみたいと思います!ありがとうございました!

投稿: masa | 2012年3月23日 (金) 12時41分

masaさん、再度のコメントを頂き有難うございます。

一つの解になるか、否か、分かりませんが新たに異人の持つ思考とやらを思いつくままにアップしました。

参考になればと思います。

投稿: 与作 | 2012年3月27日 (火) 21時46分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47604/44518965

この記事へのトラックバック一覧です: 君が代/吉本隆明のこと:

« グループ1984考/つづき | トップページ | 方舟の怪 »