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2012年8月12日 (日)

魔物の正体

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オリンピックには魔物が棲む、という。
各国のアスリート達の魔物と対峙する姿を観るにつけ、魔物が棲むという魔界とやらがどうも気になる。
その魔界を一休さん、川端康成は「魔界入り難し」としてその問いを後世に残した。

川端康成はその「美しい日本と私」に道元禅師の詩を引用し、何れの日にか反論されるであろう覚悟を持ち、ノーベル賞授賞式で発表したがその後'vague'といって噛付いたのが大江健三郎だったことはよく知られている。

大江健三郎は「それは責任をぼかし、日本という、或は天皇という神秘的な空間の中に閉じこもる逃避的な態度」として鋭く批判したが本主旨は国会周辺における昨今の大規模な反原発、脱原発デモの通奏低音として流れていることに論をまたない。

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仏界/常識の世界を超えた魔界においてデカダンスとひきかえに、人間実存の極限、美の極限があらわれるという、それを川端康成は追い求めた。
個人、自己を取っ払い、身を捨ててこその覚悟で魔界に入る時、自他未分、自他以前の広大無限の世界が開かれる、それが川端康成にとって究極の日本であり、文人の美学の頂点だ、ということらしい。
(日本文化論の系譜/大久保喬樹著p,179より引用)

その点に対して三島 由紀夫は最大級の賛辞をおくっている、川端康成にとって自身/芸術家とはデカダンスとひきかえに、まさしく一休さんとシンクロしたように、魔界に入る人間である、として挑戦していたのだろうか。

ならば川端康成は魔界に入ったのか、あるいは入りきらなかったのだろうか?
こんな愚問がある限り愚生は再読せねばなるまい、何故なら20代に読んだそれらの著書にその問いすら存在しなかった。

宗教者、芸術家、アスリート達それぞれに魔界を思うとき、とくに試合後のアスリート達の大汗をかく形相の奥にもうひとつの魔界に対する覚悟がみえる。たとえば膝の靭帯を損傷しながらも激痛に耐えながら試合を続けたバトミントンの選手のように。

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ロンドンオリンピック2012の結果、もしもメダルの色、数のみを注視するのなら、後進国が大枚をはたいて製作した高性能のサイボークもどきに安っぽいナショナリズムをくすぐられ、ぬか喜びしているようなものにしか過ぎず、それはまた著書「みずうみ」で川端康成が銀平に託した究極の想いを読み取れない愚生の無学に似る。

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