« ある小児科医の目線 | トップページ | 田舎道にて »

2012年9月19日 (水)

ニヒルを演ずる

Imgp1297
一昨日、日本vsイスラエルのデビスカップ戦は見事なイスラエルの勝利で終えた。
なぜ国別対抗戦はときめくのか、あるひとは’ナショナリズム’の戦いという、ならば心情的には地域対抗の綱引き合戦と同類であろう。

その昔、ジョン・マッケンローがイワン・レンドルをチキン/chickenとこき下ろし、挙句にその語尾にはヘッドだの、ハートを付けた。なんとも酷い単語だが発する側にも同じチキンが蠢いていたことを観衆は見逃さず、それらを含めてゲームに酔いしれた。

中国では尖閣問題で右派がそれぞれに烏合し、いよいよチキンが賑やかに危ういショウタイムの始まりを告げた。
根っこにはもちろん’ナショナリズム’が潜む、それをときに民族主義と訳される、が愚生はそれを誤訳と考える。

ユーラシアの東端にある日本に住む日本人なるものは所詮人種の混成チーム、言い方を変えればその昔に韓、中からの移民が縄文人と交雑して出来た雑種/ハイブリット種である。またイスラエル人と称する人種もまた同じである。あえて取り上げることもないがイスラエル人には白人、黒人の他、少数だがイスラム出身のアラブ人も含んでいる。
それはdnaレベルでも証明されている。
従って今じゃピュアなdnaのみで構成される民族なんてありゃしないが国境という線引きでそれは一気にヒートアップする。
俺達のものを取った、盗られたと餓鬼の喧嘩の如く、だがこちらはクーリングダウンの方法を持ち合わせていない。

「近代日本のナショナリズム」/大澤真幸著には’ウルトラナショナリズム’と表現されている思想の持つ嗜好性、毒性、発生メカニズムを論考しているが特段目新しい論はない、そもそもそこに何がしの緩衝剤を期待する愚生の愚かさを改めて知らされるだけである。

所詮、’ナショナリズム’なんて食べ過ぎ注意と但し書きされた珍味程度のものでしかないが飲兵衛には必要かくべからずの代物でもある。
また猫にあってはマタタビのようなもの、酔い、ふら付き、知覚鈍麻の症状をほぼ正確に誘引するが閾値を越えると重大な結果を伴うのは言うまでもない。

Imgp1296
日本人たるものイデオロギー的ポジションは十人十色でいい。
「そんなもの、くれてやれ」の意見もあっていい。
ただ一点、団塊の世代の愚生には気になることがある。
メディアに流れる画像を是非、善悪、正邪を取り払って見ると彼の地のきっと一握りの若者を中心としたエネルギッシュなデモ、破壊行動は催涙ガスにまみれたかの10.21新宿騒乱事件を思い出すが、対照的に日本に住む若者の無批判、無行動ともみえる思考の根っこにニヒリスティックなものが宿るのだろうか。

ならば日本の若者らは各々真のニヒリズムと真摯に格闘したのか。
所詮、愚問だと叱られるにしても、ニヒルを演ずるにはそういう礼儀が必要であろう。

|

« ある小児科医の目線 | トップページ | 田舎道にて »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47604/47125946

この記事へのトラックバック一覧です: ニヒルを演ずる:

« ある小児科医の目線 | トップページ | 田舎道にて »