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2013年1月24日 (木)

森町の鷲ノ木遺跡-1

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北海道南部の噴火湾沿いに森町という田舎町がある。
南北に羊蹄、駒ケ岳を抱えるその絶景は世界を探してもそうあるものではない。
そこに我々のご先祖様である縄文人はヨッコラショと重い石っころを沢山運んでストーンサークル/環状列石、通称’鷲ノ木遺跡’なるものを今に残してくれた。

今更言うまでもないが、縄文人のdnaは、アイヌ民族に色濃く引き継がれているが、日本人と称する大方の人にも濃淡の違いこそあれ弥生人のdnaと共に、二重ラセンの端に、申し訳なさそうにペーストされているのは今や遺伝学の常識とされる。

豊富な食糧を生む温暖な噴火湾の周囲には、沢山の縄文人が生活し、とりわけ森町の’鷲ノ木遺跡’は今でいう寺社のようなものだったのだろう。

縄文人の原初的な信仰はきっと自然と一体であり、その祭壇は石と流木くらいの至極簡素なものだったのだろう。
そこには火の神、水の神のほか、沢山の神様を祀り、タナトスにはきっと輪廻の思想もあったと愚生は勝手に想像する。何故なら、今のアイヌ民族がご先祖に対してイナウを立て、イㇰパスイで酒をふるまい、敬う、イチャルバと呼ばれる儀式にその思想の片鱗がみえる。

縄文人の日常はきっと自然を打っ壊すな、獲り過ぎるな、喰うだけだ、の思想を基本とし、ストーンサークルの中では、時に焚き火を囲み、月を眺め、或いは濁酒を片手に’オラ達ズウモンズンは何故存在するんだべー’と哲学論議に花が咲いたのかもしれない。
そんな時間も、お金も石っころの様な時を過ごすうちに弥生人と邂逅、カオスへと引きずり込まれたのだろう。
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北海道の大地では明治維新後のカオスで自然の大破壊が行われ、今に続いている。
それはカオスを単に’開拓’という耳障りのよい単語に置き換えただけであり、アイヌ民族にとって’開拓’とは死刑にも等しい語であることを知りつつ、である。

アイヌ民族の生活の場をイオㇿ/イオルといい、無主、無所有の土地である。
今でもアイヌ民族の古老はシャモ/和人のものじゃない、と本質的な問いを持っている。

和人も皆、この不条理を知抜いている、だが和人は誰一人として発言しない。

何故なのだろう。

アイヌ民族を隅っこに追いやって成り立つシャモ/和人の生活、ここにも他者を見殺しにして自利に盲進する、哲学の問いが潜む。

アイヌ民族の言説は正論である、この事はまた後で触れる

北海道の’開拓’は欺瞞から始まっている、という視座に立つと、縄文人がゲニウス・ロキ/genius lociを棲まわして、その崇高な霊性を宿らせた、鷲ノ木遺跡といわれるストーンサークルの直下に何の躊躇いもなく高速道路をぶち抜く思想、むべなるかな。

三浦誠一曰く、世界観とは、自分が世界の外に視点を置いて、世界を客観的に観察するような質の知ではなく、自分もその世界の内にいて、世界の諸部分とかかわりあいをもちながら、自分や自分たちにとって、世界の何であるかを捉える、そういう質の知であると残している(滅びのアテナ/北樹出版p19よりママ引用)。

                                                                   つづく

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