« がまかつ釣り大会のあやまち | トップページ | 田舎者の旅の流儀 »

2013年8月16日 (金)

知ること、解ること

Imgp6572
ある種の現代人とうぬぼれる輩はときにみみっちく、しょぼくれた罪を犯すことがある。
東大教授の研究費流用詐欺罪もその端くれである。
研究者は自らの名を研究論文に残す、ところがアカデミアに潜む悪癖のひとつに、名を残すための研究がある。

余談だが、木喰さんがいた。
江戸期のスーパースターお坊さんである。
後世の識者らは木喰さんを宗教者、仏師、遊行僧などと細切れにしてのたまう、よって本来の旨味を薄め、ややこしくしてしまうが大ファンである愚生は勝手に’坊主’でいいと思っている。

出家とはもちろん、この世に家を持たない、無住心に活きてゐると柳 宗悦は残している。(柳 宗悦選集/第9巻、p47-48より引用、以下も含む)
佛土に木喰さんの家の凡てがあるという。
火食する身をもたず、晩年には五行を僧名に加え、木喰五行を用ゐたともある。
その意は終身、五行戒を守るという、中身は布施行、自戒行、忍辱行、精進行、止観行の五行で難解なtechnical termが並ぶ。
関連して’つつしみ’の意味を以下の句で深く、明解に説いている。

   つつしみは 五行の道の 極いかな
   
   ならべて見れば 五かひ なりけり

更に自叙傳には’菩薩’の二字を書き加え、木喰五行菩薩としている。
’菩薩’とは学を求めんと志す有情とさす。
上は菩薩を求め、下は衆生を化す者は皆、菩薩である、佛道に志すほどの者は菩薩であらねばならぬ(ママ)、とある。

Imgp6272
身の危険すらも修行とし、北は北海道の熊石、江差にまで訪れて下され、材に佛を彫られた。
後世の人はその仏様を木喰仏さんと愛着を持って呼び、それらは円空仏同様にお医者さんであり、薬剤師さんを意味する薬師如来もあるやに聞く。
開眼祈願を終えると木喰仏をお堂に安置し、すぐに次の修行地へと向かう、白道などのお弟子さんも時に同行したとあるが殆どは杖を片手に一人旅の苦行、よって木喰さんの名も忘れられる宿命にある。
しかし木喰さんは地元民にとって、命を賭してはるか遠方より来てくだされた精神的な権威だったに違いない。
Imgp2603
聖と俗の混沌に迷う宗教者がいるのは古今、洋の東西を問わずとも、俗があってこその聖でもあろうか、控えめながらも木喰さんは酒と温泉を好んだと書かれているが愚生には何故かホッとするプラス一行でもある。

愚話を元に戻す。
研究者はこぞって自らの名を論文に残す、そのペーパーの質と量がアカデミア、所属する学会、或いは社会でステータスシンボルに変わる。

木喰さんはステータスシンボルを五行戒の中の自戒行に触れると考えた、自叙傳には行く先々の大寺で住職の役職を懇願されるも固辞、老域に至るもおんぼろ服とまとい、数本の彫り道具を持ち、衆生を少しでも救済するがために、お辛い旅を自らの修行として全国を廻って下さった。

愚生は信仰の意味をいまだに解せない、ましてや’帰依’などとは理解不可能、また神仏、キリスト、アッラーに対する世間様のいう信仰心など殆どないに等しいが、まみれていない木喰仏さんの’つつしみ深い’笑顔に引き付けられる原点はそこにある。

木喰さんはしっかりと21世紀の今を観ていた。

|

« がまかつ釣り大会のあやまち | トップページ | 田舎者の旅の流儀 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47604/52902210

この記事へのトラックバック一覧です: 知ること、解ること:

« がまかつ釣り大会のあやまち | トップページ | 田舎者の旅の流儀 »