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2013年9月27日 (金)

この鳥、なんていうの?

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秋、快晴の今朝、枕元にまたキツツキが我が家の外壁をつっ突く連射音が聞こえる。
表に出て眺めてみると、どうやら我が家の周りに居候していると勝手に思っている数羽の内の一羽に違いない、と言ってもあまり根拠はないが、それぞれのメンコイ特徴的なお顔で判別している。
ご主人様と目が合うと申し訳なさそうに近くの赤松に飛んで行く、しかし機を見計らって舞い戻ってくる憎めない、おしゃれな友達だが、こやつ等はときにやり過ぎる悪癖があり、無性に腹が立つこともある。
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ついでに朝露の中、栗の実を拾いに行くと昨夜、栗の木の根本周りに盗っ人カラス除けに漁師より頂いたシシャモ網を敷いておいた所で小鳥が絡まり、もがいている。

鳥体に絡んだ網を切り落とすために捕まえたところ、キィッ、キィッと小声で啼きながらも愚生の指を突く、なかなかの暴れん坊だ。
よく見ると咽喉頭部に鮮やかな朱色毛を、眼の周りには嘴より線上に白、黒、白と三条のおしゃれな線を持ち、その体長16cm前後、被毛はスズメに似ているように見えた。
平衡感覚、筋力に異常はなく、目視では両翼羽、脚部に骨折等の致命的な所見もなく、いたって健康そうであった。

三前趾足、右中足骨部には可動性の小さな足環が付けられ、極小の3段文字で
’KANKYOSHO TOKYO JAPAN 3P97589’と記載されていた。
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こんな小さな野鳥にお邪魔な足環を装着するなんて、人間ってなんと阿漕な研究手法を用いるのか、外してあげようとも思ったが長時間保定することのストレス等を考え、周囲にカラスがいないのを確かめてから木々の中で放鳥した所、元気に飛び去った。
10分程度の邂逅にして、愚生の掌中に鮮やかなその温もりと存在感を残してくれたが門外漢ゆえの畏れ多い疑問がひとつ.わく。

その野鳥は漁網と共に足環も外してくれと愚生に訴えていた、明らかに訴えていた。
そんなお邪魔な足環はそれら野鳥の行動、寿命にいかほどの影響を与えるのだろうか、それとも与えないのだろうか、若しくは与えるストレス以上に得られるデータを優先してやいないだろうか?
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研究を主題とする行為なら、足環の装着の有無がそれぞれの野鳥の、例えば栄養状態に、例えば捕食、繁殖行動に、例えば寿命に、それぞれの対照群/control群との間で統計上、有意差なしの明晰な試験データをお持ちの筈であろう、ならば愚生は’安心だよ’と野鳥にお伝えしよう。
反対に有意差なしの明晰な試験データをお持ちでなければ、そのmethodsには功利主義的臭いが漂い、F.フットの/trolley prob,に、J.ハリスの/survival lotteryの問いに通ずる。

だが愚生は功利主義的思考を頭ごなしに否定はしないし、人類は知ってか知らずかそれをもとにして今に至る、現に実験動物の世界でも当たり前のように、無麻酔で断頭、開頭、開腹が行われ、使用後はゴミ箱に入るが、それら知見は多者に還元されている。
多くの人はそんなことを薄々感づいている。
ただ、ここではanimal rightsだの、各speciesに人夫々が持つ、夫々の感情論を持ち込まないこととする。

とは言いつつも、希少動物と実験動物を功利主義という天秤はかりに掛けるとすればその線引きの根拠は一体、どこにあるのかという避けられない問いが生じる。
その問いは時に’doctrine of double effect’にぶち当たり、我々現代人はやっぱり勝手だなぁ、などとのたまってお茶を濁すだけに過ぎないのだろうか。

また余計な事を書きすぎたが、これから寒くなるのにこやつ、どっちに向かうのか、キツツキと同居しても別にかまわないけれど、その前にお名前は?

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2013年9月21日 (土)

忘れちゃいけねえよ

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加藤周一に曰く、「いにしえの日本に入ってきた外来の世界観は人格の意識的・理性的な表層にあらわれ、土着のものの考え方や感じ方は、具体的な感情生活の深層に働いていた。
人格の表層と深層は、すくなくともある程度まで、たてまえと実際、表と裏が生活の公的領域と私的領域とに応じる」(日本文学序説/加藤周一著/ちくま学芸文庫上巻、p46より引用)。

ここで外来の世界観とは仏教を指す、やがて13世紀に道元の説いた教えは徳川期に至り、金地院崇伝の学芸と化けたがなるほどと一人合点がゆく。

先般のオリンピック誘致の最終スピーチで安倍晋三は「福島原発はunder control/管理下にある」と述べた大嘘も、公私を使い分ける大多数の日本人は異を唱えない。
それどころか大方のマスコミもunder controlの発言を肯定的にとらえたようだが、これは明らかに日本社会の隅々にまで加藤周一の指摘する日本人の表層と深層の渕が漂う何よりの証拠だろう。

してやったりとみごとなたてまえ論に大多数の日本人は拍手喝采をおくったが愚生はいまだにfundamentalな日本人の思考法に大いなる疑問を持った。

同じ東洋でありながらも日本と分かち合うことなく、逆に日本のオリンピック誘致に対するネガティヴキャンペーンを展開した中韓、その両国文化は’旧に新を代える’手法だが、日本は、’旧に新を加える’手法で歴史を発展させてきた質の高い文化がある。
それこそは諸外国にこそ大いに伝えたい。

はやくもたけしの開会式演出待望論もでた、決して否定はしない、だが日本人たるもの、長い歴史の中で歌人は’もののあわれ’を、能役者は’幽玄’を、茶人は’さび’を、そして芸者は’粋’を代えることなく、貴んできた文化の裏にこそ潜む’もてなし’の心を決して忘れちゃいけねえよ!

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