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2013年9月21日 (土)

忘れちゃいけねえよ

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加藤周一に曰く、「いにしえの日本に入ってきた外来の世界観は人格の意識的・理性的な表層にあらわれ、土着のものの考え方や感じ方は、具体的な感情生活の深層に働いていた。
人格の表層と深層は、すくなくともある程度まで、たてまえと実際、表と裏が生活の公的領域と私的領域とに応じる」(日本文学序説/加藤周一著/ちくま学芸文庫上巻、p46より引用)。

ここで外来の世界観とは仏教を指す、やがて13世紀に道元の説いた教えは徳川期に至り、金地院崇伝の学芸と化けたがなるほどと一人合点がゆく。

先般のオリンピック誘致の最終スピーチで安倍晋三は「福島原発はunder control/管理下にある」と述べた大嘘も、公私を使い分ける大多数の日本人は異を唱えない。
それどころか大方のマスコミもunder controlの発言を肯定的にとらえたようだが、これは明らかに日本社会の隅々にまで加藤周一の指摘する日本人の表層と深層の渕が漂う何よりの証拠だろう。

してやったりとみごとなたてまえ論に大多数の日本人は拍手喝采をおくったが愚生はいまだにfundamentalな日本人の思考法に大いなる疑問を持った。

同じ東洋でありながらも日本と分かち合うことなく、逆に日本のオリンピック誘致に対するネガティヴキャンペーンを展開した中韓、その両国文化は’旧に新を代える’手法だが、日本は、’旧に新を加える’手法で歴史を発展させてきた質の高い文化がある。
それこそは諸外国にこそ大いに伝えたい。

はやくもたけしの開会式演出待望論もでた、決して否定はしない、だが日本人たるもの、長い歴史の中で歌人は’もののあわれ’を、能役者は’幽玄’を、茶人は’さび’を、そして芸者は’粋’を代えることなく、貴んできた文化の裏にこそ潜む’もてなし’の心を決して忘れちゃいけねえよ!

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