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2013年10月31日 (木)

熊の哲学

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犬、猫の類をコンパニオンとして可愛がるどこにでも見かける風景、そしてコンパニオン動物に過剰な権利を与える痴的な綱吉的風潮が醸成される一方で、熊は人里に現れると、有無言わさず射殺されるが熊の運命は一体だれが、どのような価値判断で決めたのだろう。
近頃、人権々々と賑やかだが人権を主張するなら、そしてコンパニオン動物の権利を認めるのなら、熊権もあって然りと愚生は考える。
話を飛ばす、あの愛くるしいカンガルーは喰っていい、いや喰ってほしい、いや是非とも沢山喰ってほしいとほざく、ならば何れ、コアラが増え過ぎると、コアラも沢山喰ってほしいとのたまうに違いあるまい、断言しよう。
だがクジラは獲って駄目とのたまう、要はカンガルー権は認めないがクジラ権は認めるという論旨が破たんした、、三流やくざに似るオージーの主張がある。
アングロサクソン発の未熟で頓珍漢なイデオロギーの強制に日本人はあまり反論しない。
何故反論しないのかを論ずる前に、愚生はかの国のレストランの隣席から聞こえる’ミディアムですか、レアですか’とウェイトレス嬢の声の裏に、愛くるしい目をしたカンガルーを撲殺し、断頭、放血するシーンを想像せずにはいられない。
しかし日本人はカンガルーの虐殺に異を唱えないし、デンデンムシ、カエルを喰うえげつなさを論ない、しかしここで二項を対立させても無意味である。

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それらのイデオロギー、思想は簡単に利用することも出来る、例えばアーリア人の優位を説いたヒットラーにして、また19世紀まで手当たり次第にクジラを獲っていたアングロサクソンにして、である。
特に後者は’クジラが可哀そう’の一語でイデオロギーを完璧なまでにひっくり返した。
国家戦略にクジラを泳がせたフィクサーはその見事な世論誘導の結果にきっとほくそ笑み、くすぶっていた諸問題からも逃避出来たのだろう。
今更ながら、国家による’人間の感情’を手玉に取った戦略を鵜呑みにする軽薄短小なアングロサクソン、そしてアメリカの仰ることを是とする盲目的日本人という、バカバカしいほど単純過ぎる図式には嫌悪感すら抱く。
ようはひっくり返す方の高度に計算され尽した手法と、逆にひっくり返される方の軽過ぎる思考回路があってこそ成り立ち、そのアングロサクソンによるイデオロギーのひっくり返し作戦を下支えしたのは日本外務省のやる気の無さであり、朝日新聞に代表されるマスコミの、出処不明なクジラ感情論を助長する姿勢ではなかろうか。
加えてチャンネルのずれた鳩山元首相のクジラ殺りく否定宣言等々、長年、誇りを持ち、体を張ったクジラ漁師に対する労りの姿勢はついに見られなかった。

冷静さを欠いた異文化の相関関係の嵐の中で、自国の一つの文化には冷酷であり続けるその愚思考は、ある意味、まっとうなナショナリズムの自らの否定とも見える。

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更に科学的試算によると、全てのクジラが一年に食べる魚の総量は5-6億トンとされ、人間が世界中で一年に漁獲する魚の総量は1億トン前後らしいが、その差は増々開くと云われる。
要は増え過ぎたクジラが何れ魚を食い尽くすというあまりにも間抜けな現象に、策を弄したアングロサクソンはさて、次の屁理屈を考案中にしても、全ての日本人はこれを注視しなくてはならない。
クジラを喰うから喰うなへの逆転、これを例えば政治の世界では転向と言う。
余談だが評論家、政治家、革命家のイデオロギーの転向もその多くは万人に対して説得力のある論を持たず、自身、もしくは所属する集団に都合のよい、日和見的な魂胆も透けて見える。
例えば攘夷打ちが一夜にして欧化し、神様だと自他ともに認めたにもかかわらず一夜にして’朕は人なり’といった変換期に見られる噴飯ものの奇異なる現象にしても、それに’バンザイ’と言って命を賭した多くの人がいたにも拘わらず、である。

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だが’クジラが可哀そう’という作為されたイデオロギーに、民族的優位性を秘めた覇権国家特有のごり押し的戦略は既に綻び始め、同じくごり押し的戦略をイスラム圏で乱用した覇権国家は今、破たん寸前にあるのも笑止を超え、憐みすら感ずる。
科学的事実の無視、汎人間主義の無視という、バカバカしいほど無教養なイデオロギーの押し売りは覇権国家に共通する、退行の初期兆候と見えなくもない、ローマに限らずとも。

また脱線し過ぎた、話を戻す。
犬、猫の運命、熊の運命、クジラの運命を、言い換えれば種の違いによる命の選別に’感情’という天秤を用いる人間のおぞましさよ。

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コメント

2chネラーはオーストコリアと呼んでいます 他国の歴史や文化を学ぶことなく”可哀想”とか”残酷”と批判するのは私もどうかと思います 捕鯨を文化として残すのか、食べるのをやめるのかは日本人が決めることであって、他国からとやかく言われたくないです。ちなみにシーシェパードのリーダーの女の人は革靴はいてまーす

投稿: しー | 2013年10月27日 (日) 00時03分

はじめまして、し~さん
分かります、判ります、とりあえず二項対立を煽ったところで停滞するだけです。
愚ブログの本意は、人様の心模様が時に陳腐でアンチ哲学的な腐臭を放つ、美醜両面があるようなことをただ書いただけです。

and boston r/sox,congratulations.

投稿: 与作 | 2013年11月 1日 (金) 09時41分

中国で有罪になった薄キライの支持者が政党を立ち上げ武装したという情報ゲット 内乱が生きてる間に見れるかも・・・あ、私見たんだ ソ連の崩壊 ボストンにはロシア人が沢山いて(ロシアンジュー)英語学校通ってた頃クラスメートはロシア人のおじさん、おばさんばかりで、ロシア訛りの英語はアメリカ人より聞き取れました 元は大学の教授だったり芸術家だったりした教養豊かな人達で何故亡命してきたのか解りませんでしたが、皆KGBに追われたりマークされたりしたらしい。でもアメリカでは仕事もなくお医者様だった人がレストランの片付け係(ウエイトレスの補佐)してたりして 国を捨てるのは辛いなあ、と思ったものです 反面 日本人は永住権取っても国籍を換えたがりません その不利益は甘んじて受けると言うことでしょうか・・・今 海外に逃げる中国人は共産党幹部の子息達でお金持ちですが内乱になると何も持たない人が難民となるかも知れません 何だか 経済大国と言いつつ恩恵受けれないまま国を捨てる人達はかわいそすぎ 日本人に生まれたことはこの上なくラッキーかもしれないです よかった

投稿: しー | 2013年11月10日 (日) 02時25分

しーさん、よく見てますね!
そうなんですか、中国の情報となるとあの厳重な情報統制下で信頼性に?
その昔、ある作家が地上で理想的な共産主義革命なんて起こり得るのか、ならばこの目で是非とも見てみたいと言って、銃弾飛び交うヴェトナムに乗り込んだのは有名な話ですが、そこで見たものは・・・。
ノンフィクション好きの愚生にとって価値観が完全に入れ代わる革命は本の中でしか知り得ませんが否応なしに覆い被さる火の粉の中に夫々の凄まじいドラマが潜みますね。
愚生の陳腐な経験ながら、manhattan/nyで英語のあまり得意でないエストニアからの移民が運転するtaxiに乗ってしまい、てんてこ舞いしながら、最後は愚生が道を聞きまくり、やっとたどり着いたこともありましたよ。まるで漫画の世界、チップは此方がもらった方がよかったかも(笑)
その運転手さんの生い立ちは悲惨でしたが東洋からの移民と異なり、身なりもマナーもわきまえた方でした。今ではきっと立派なアメリカ人に変身していると思っております。

two points,
bending your knee & grip change.

投稿: 与作 | 2013年11月15日 (金) 18時07分

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