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2014年7月24日 (木)

フクロウの嘆き節

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現代人はナイフ一つにも、いかにして切れ味の良いナイフを作るかを競う、しかし近代史よりはるかに長い、数千年に及ぶ縄文時代の初めと終わりに、ナイフの切れ味は変わらないらしい。
技術的進歩は二の次で、一定のコントロール下にて、切るという道具というよりは、フクロウやタカなどを高度にデザインして、食材に命を吹き込むことが主目的であったと、筑波大学の西田正規は文化人類学的視点より結論付けている。
つまり縄文人は技術的な革新を望まない社会、「取り過ぎない」生き方を選択していたという。

なるほどと一人合点がゆく、そんな生活がここ北海道でも数千年繰り返され、やがて農耕技術が入ってくると、それらは途絶え、今のアイヌに引き継がれているにすぎない。

西欧で農耕、牧畜を知ってしまった人間は、規模拡大して森林を焼き払う、次第に組織化され、必然的に優勝劣敗を謳い、勝者のイデオロギーは資本主義だとのたまう、だが資本主義には限界がある。
アングロサクソンは、それだけに留まらず、今度はより露骨に、民族エゴ丸出しの、ずる賢く捻出したグローバリゼーションなる噴飯ものの屁理屈を唱え、さらに一神教に至っては種族エゴむき出しで好戦的になり、世界の勝者を自認して思い上がる。
ついにはあまり賢くないヤクザの常とう手段と同様、難癖をつけてサダム・フセインを殺し、イズラム世界にカオスを巻き散らす等とやりたい放題だったが、所詮は能力の決定的に欠如した為政者に武器、強権力が与えられると、せいぜいこんな無様な傷を残すだけだ。
そんなアングロサクソンは、必然的に莫大な借財を背負い、凋落の兆しは明らかで、ナンバーワンは決して長続きしない、いずれ滅び去る宿命にあることは何より歴史が物語る。、それを知る者はただ怯え、更なる次の一手を考えあぐねている。

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さて、話を北海道にもどす。
北海道でもグランドデザイン、先見性の決定的に欠如した政治、ただ単に生産力だけを求める無思考な大学農学部、さらには無気力、無残な環境哲学を批判した所で今さら手遅れだが、なぜ北海道でも開拓可能な山野を、無制限に、自然を残さず徹底的に切り開く西洋式の手法、思考を取り入れてしまったのかという、原理的問いは残る。

これらはすべて北海道人が躊躇いもなく容認した結果であり、縄文人、アイヌが次世代の為にと残してくれた海山の資源、産物を再生産力を無視して手当たり次第に獲りまくり、資源が枯渇すると、今度は人口減少が勢いよく進み、近い将来、各所にゴーストタウンが出現するという大間抜けな現象は、ヨーロッパ諸島のほぼ無人と化した島々に限らずとも・・・これこそが人間を名のる愚かな生き物の最たる悪業だろう・・・。
加えて将来のゴーストタウンを指摘された田舎に住むご高齢の住民が主張する、さらにダムを造れ、もっと道路を作れと、パラドキシカルな論すらもまかり通る、無秩序な現実も決して笑えまい。

アイヌ民族時代を含むそれ以前のエゾの社会はきっと開発、進歩には疑いを持つ、そんな社会だったのだろう。
還元不可能なアングロサクソン由来の西洋式開拓手法を恨みつつ、深夜、風呂の窓を静かに開けると、静寂の中のフクロウの遠啼きは嘆き節か。

湯船に浸かり、つらつらと、日本の夜風は心地よい。

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