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2014年8月15日 (金)

なぜ北海道でカジノか?

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海の再生産力を無視して、無制限に網を刺せば魚はいなくなる、よって漁村はさびれることは小学生にも判る、同じく山の大木も一本残らず伐採し尽くしたら寒村が増えることは小学生にも判る。

北海道人は何をめざしてきたのだろうか、というこんな小学生の素朴な問いに、誰か解を有しているのか。ただ時代に翻弄されただけで、ある時の米の飯程度の思考力しか持ち合せていなかったのはどうやら確かなようだ。

加えて近頃の世論では、いったいどこから引っ張って来たのか、北海道でカジノ構想が持ち上がることには驚かされる。これはただ単に為政者の発想力、企画力の欠如を表しているだけではない。

カジノなどと言ったら耳触りはよいが所詮は博打場、或いは賭場/ドバに過ぎない。
カジノと看板があがっていれば、服装には煩く、短パン半袖では入場禁止、入り口にはゴツイ体躯を有し、あまり賢そうにはお見受けしない大男が仏頂面で両手を前に結び、門番としてつっ立っている姿は世界共通のようである。

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一方、賭場に共通するのは薄汚い路地に建ち、一緒に女郎屋も見え隠れする、そこではシャブは勿論の事、麻薬から、場所によっては警察官に何某の金を渡すとピストルまで簡単に手にすることができる。

愚生が見た限りをもっと書くと、無法地区の空気は淀み、スリ、強盗は当たり前、盗んだ方が賞賛され、逆に被害者が嘲笑され、人殺しもそう珍しくもないといった、常識が完全にひっくり返った地区もあったが、はたしてそんな現象がこの北海道に似合うのか。

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’経済こそが最高の道徳であれ’と、先人の弁にある。
しかし北海道でも知事を含めた政治家に人を得ないと所詮、こんなみっともない手法しか選択肢に上らない。

ちょうど中南米の低開発国に共通してみられる、創造性のかけらもない、貧弱な猿まね程度の経済手法とお見受けする。

もう一度、’北海道の財産とは何か’の問いに帰って再考すべきであり、カジノは決して賢者の選択ではない。

使っちゃいけない言葉だが、’後進性’が如実に表れた現象でもあろう。

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