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2014年12月19日 (金)

宗教者は何と言う

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数年に一回、アメリカでお会いするイズラム系の知人がいる。
よく見かけるアラブ風の外貌だが、髭を剃りあげ、豚肉もむしゃむしゃ喰らう御仁でもある。

氏曰く、自分の家、職場はイスラム国の暴徒に乗っ取られ、家族らはなんとか隣国へ逃げのびたという。
御仁は、日本人たる愚生の宗教を聞かない、此方も御仁の宗教には全く興味はないが、どうやらキリスト教みたいだ。

キリスト教発祥の地、エルサレムを抱えるイズラム地域でキリスト教徒は異端視され、イスラム国最高指導者の個人的嗜好なのか今、彼の地で信仰の自由はないらしい。
それは家康のキリスト教弾圧に似て、その残虐性、不条理は信長の手法に酷似するようにも思える。
斯様な時限的集団もアメリカ的手法の副産物にして、帝国という名を冠した国家はかくも周辺にカオスをばらまきながら、やがてナンバーワンの座から消え去ることは今更、歴史を振り返るまでもない。
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今、イスラム国と名乗る過激な組織に若者自らが入る現象が世界各国に少なからずあるという現実、それに対して哲学、イデオロギーは全くの無力、たとえ哲学者、思想家がどんな高尚な理論を打ち立てたところで経済が成り立たなければ絵に描いた餅に過ぎずない。

ならば宗教者は何と言うか興味のあるところだ。
そこにローマカトリック教会に、興味ある一行を見つけた。
フランシスコ法王は、イスラム圏に向かって’コーランは平和の書だ’と言う、確かに立派なことを言う。
ならば聖書もまた、’平和の書’でなければもちろん整合性はとれない。

ブッシュは就寝前に、真偽のほどはどうであれ、必ず聖書を熟読したと自著で語る。
読むだけなら高校生にも出来る、意味を理解するにはそれよりも時間がかかるだろう、しかし深淵に達するには、深い洞察と内面的、経験値的不条理との葛藤も必要であろう。

ただし、愚生にそれを言うだけの資格はないが、十字軍を出兵させたのも、更にはイラク派兵を止められなかったのも聖書、ならばアングロサクソンにとっていったい、聖書とはなにものか。
異教徒の愚生がそんな邪推を抱きつつ、manhattan/nyのど真ん中にある教会で、聖書片手につらつらのたまう牧師が主催するミサに出席した。

十字架なんてそんなもの、嘘っぱちだ、イワシの頭のほうがまだましと思う愚生一人を除いて、ほぼ出席者全員の、心静かに、安らかに祈るその表情からは、明らかに神と会話していることを野暮な愚生にさえ気付かされる。

逆に日本国内の葬儀などでは、意味不明な読経を延々と聞かされ、欠伸を抑えるのに苦労する愚生を含めた大方の日本人の信仰心と単純には比較できないにしろ、信仰という、内に住まわせるであろう神との邂逅に対する想いは、かなり異なるやにも思われる。
しかしそれはあくまでも、内なる神との対峙に過ぎない。
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話を元にもどす。
百歩下がって、アングロサクソンがのたまう’戦争は絶対平和のため’としても、もしかして聖書はアングロサクソンを自壊させる為の書でもあるのか。

なぜならそこにはcosmosと同時に明確にchaosがある、間違いなくある。

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