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2015年5月17日 (日)

b.bキングの聴き方

4月、幌尻岳に向かって!

数ドル支払って、お世辞にもきれいとは云えない小ホールに入ると、まずマリファナ臭が鼻をつく。聴衆はみな普段着で、表情には笑顔がなく、低音でまくしたてるような声でお喋りする黒人ばかりであった。
アルコールは禁止、だが当然、皆酔っぱらっている、もちろん愚生も。

やがて演奏が始まるとイントロから強烈なアクセントを持つ歌、リズム、そして独特の’間’、その’間’にこそブルースの命があることを叩きこまれる。

気が向けば、果てしなく連続する単純な8小節は、限りなく連続し、野太い低音声と軽い高音声はやがてギター、maj7/9の残音だけとなり、会場は拍手と、どよめきと、奇声に変わる。

歌詞は主に嘆き節、だが奏者らはお洒落で、ミスがなく知的で、聴衆の心をつかむのが実に上手いし、丁々発止の掛け合いもお見事だ。だがその一線を越えるとえぐみをあじわされる羽目となる。

純で遊び心を欠き、ミスのないマニュアル通りの演奏に興味はない等といったならおかしいが、エロスの神もヴィゴロスも消え、去勢されてしまった、もっと言うと野心、自由な思想を有しない演奏をchicago,new Orleansで聞いても、それはまったくつまらない。
それはまるで、コクのない料理を強制的に喰わされるようなものである。

例えば小樽の薄汚い呑み屋で日本酒を浴びながら挽歌を聞くように、例えば津軽で焼酎を浴びながら三味を聞くように、b.bキングは例えばハーレム界隈のオンボロタクシーで、更に加えるなら周囲の生活音が入り混じる中、感度の悪いラジオのヴォリュームを目いっぱいあげて聞くのが丁度いい。

それは魯山人の使い込まれた絵皿に、アイヌネギを盛るように。

もっと拘るなら、その魯山人の絵皿は、少し欠けていた方がよい。

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