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2015年8月 3日 (月)

ブリ釣りのある風景

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2015年7月30日、早朝の積丹、余別来岸港。
ブリ釣り師の多くは30代前後で、短パン、半袖に、似通った帽子、靴といった出で立ちの集団があちこちの釣り船に乗船する。
愚生には、何故同じファッションなのか理解出来ないと言うよりも異様な光景と映るが、彼らは西洋由来の釣法であろうジグ、ミノーを上手に使い分け、加えて英語圏では通じそうにないトップ、フォール、ソルトウォーターなどtechnical termsもどきが、笑い声と共に船上に飛び交う。

お仲間内ではそれがきっと共通の言語であり、ある種のsubcultureとしても、愚生には、言語を抜きにしてもアメリカ、カナダの船上では、先ずお目に掛かれない珍風俗とお見受けする。

彼らを揶揄する気は更にない、しかし全員がそろって釣り雑誌から飛び出て来たかの如きファッションは、日本人ならではのいまだ脱皮出来ない横並び主義的嗜好の表れなのか。
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嗜好と言えばミュシュランなるフランスの三流のタイヤ屋が出版するミシュランガイド誌なるものに、いまだに群がる幼稚な社会現象、フランスと名の付くものには盲目的に飛びつくのもまた、日本的原風景にして、その感性の成長しきれぬ田舎性を、あるフランスの知人は、西洋に対する東洋人の劣等感の現われと、thumb downしながらにやけるが、そもそもフランス如きに出しゃばられる様な日本では、ちと寂し。

繰り返すが、たかが西欧的釣り如きに、あたかも統一された服装と、その意味不明な英単語の珍妙なコラボレーションを彼らは生真面目に演じる。
それは大正期に最先端のファッションであったろう、着物にカンカン帽の尻っぱしょり姿が似合いの、ももひきオヤジが新調した革靴をして’シュンズ’とのたまった珍事と似る。
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では何故釣りに、英単語が用いられるのか、の問いに勝手に以下のことを挙げてみよう。
近代化という変革期に諭吉は、アメリカ、イギリスの中産階級社会を手本とし、鴎外はミュンヘン、漱石はロンドンに習った。
言葉のプロである彼らの深奥に共通して宿っていたのは、積丹の若い釣り師と同じく、’西洋’であった事は否定できない。
しかし日本人としての誇り、虚栄心が’西洋崇拝’という直接的で、露骨な表現を避けたに違いない。
文明に優劣を持ち出したところで無意味だが、愚生は21世紀の今に至って日本人の’西洋崇拝’は既に消去されたものと考えていた。
だが現実はより以上の’西欧信仰’にまで高めたいようである。

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