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2015年9月23日 (水)

わしゃ錆び刀

アイザック・ウォルトンの気分で
政治家はその政治技術、人物像は批評されなければならない。
例えば内村鑑三にして、西郷隆盛を’征韓論者だ’として論をすすめる。
日本が、アジアを単なる搾取の対象としかみないヨーロッパの列強に対抗すべく、もっと言うなら、盗られる前に盗るという帝国主義的な思慮、加えて日本国こそが東アジアの指導者であるとする、一大使命感が西郷にあったという。

逆の遣韓論も重きをなすが、西郷のイデオロギーの成り立ちには大いに興味がある。

同じくイデオロギーの成り立ちと言えば、安倍晋三が若かりし頃、’安保反対’を街頭で叫んでいたらしいが、如何程の感作で右翼席へと転向したのか、そこに深い自問はあったのか。

余談だが、井戸端的には安倍晋三が尤もらしくのたまう国家安全保障に関しては、全てアメリカのお申し付けを忠実に実行する、当て馬的演技からしても、その主体性は安倍晋三にはない。
斜陽の帝国と化したアメリカに対して、いまだ媚び、へつらうスタンスに多論はあるものの、国家としてのoriginality/ingenuityの欠如こそが、問われるべきではないか。

話をもどす。
教科書的には岩倉らが帰国後、あらゆる手段を講じて征韓論を撤回させて、西郷を激怒させ、やがて謀反人のレッテル張りから、憤死に至る。立てこもった城山が包囲されようが、悠々として碁を打っていたとも言われている。

しかしだ、内村鑑三は革命時の西郷を歴史が解明するには、百年先とも付け加えるのを忘れない。

一緒に釣り、熊の監視!
その他の西郷に対する批評、例えば司馬遼太郎のそれは芳しくない、もっと言うと酷評している部分もある。確かに政治技術的にはごもっともな部分もある。
逆に内村鑑三は最後のサムライと残している(代表的日本人/内村鑑三著、鈴木範久訳)が、内村の言うサムライとは、そのいさぎよさだけに求めているのだろうか。

要は西郷の政治家としての資質とそのイデオロギー、人間性をごちゃ混ぜにしたところで、スマートさに欠ける。

親交のあった月照の件然り、そしてあの太っ腹に魅了されて集り、運命を共にした武士たちの心中を察するに、文字には到底表すことの出来ない、もっと言うなら後世の史家だの、伝道者を自認する物書きの如きが、好き勝手に捌こうが、それは慧可の断臂の如きの域に達した、透徹した人間にして初めてその資格があるのかもしれない。
しかし、その域の人物は言葉に決して表さないだろう。

命がけの濃密な人生をまっとうした男の諸行を、表層的な人生経験しか有しない物書き等が、自らの人生経験共に、引用文献を少しだけめくって認めた著書が多すぎる。
愚生には、煮えたぎる心を持った男の、そこには確かなもののふの美学はあるにせよ、突然aimlessに陥った男だけが持つであろう、覚悟と、清浄とでも言うべき無常の風は感じられない。

古今、人物評価なるものはタクアンの切り口同様で、それぞれ切り方により切り口は異なる。錆び刀では尚の事だ。


あな~た正宗、わしゃ錆び~刀、あなた切れても~、わしゃ切れはせぬ

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