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2016年1月28日 (木)

一遍のダンディズム

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更に一遍は入滅直前、「我が化導は一期ばかりぞ」と、自らの経典を含む全てを焼き払い、血縁を絶ち、自らの思想も後の世に一切残さないという徹底ぶりには驚かされるが、<日本の仏教、四、鎌倉仏教/新潮社/三山進著、p74より引用>これこそが、まさに一遍の神髄でもあろう。

だが一遍のonly oneの思想は、後継者として次世代の遊行上人となった、’真教’という坊主によって消去されず、ヴァージョンアップもされずに踏襲され、やがて同朋衆だの、時宗と呼ばれる教団が成立したというから、愚生にはこれほど矛盾を抱えた教えが21世紀に残るのも不可解である。

こんな一遍の主張する、’捨ててこそ’の極意と、大いなる矛盾に想いを巡らせながら、早朝、京都は東山の長楽寺に続く坂を上がる。
参道の途中、まず親鸞聖人の御廟といわれる大谷祖廟が目に入る。その立派な山門をくぐると広大な寺地は、落ち葉の一枚も残さずに掃き清められ、格式が高い、豪華な寺社が建つ。
そこを引き返し、さらに急な石段を奥へ進むと、まもなく目的の長楽寺境内に入る。
そこはまさに時間が止まってしまったような、古色蒼然たる世界が展開し、濡れ落ち葉を踏みながらさらに進むと、平家の滅亡史が刻まれ、室町期の風情と共に、維新という血の動乱期の残像が、手付かずの森の中にある。
・・・
約800年前、殺し、餓死、略奪、疫病は当たり前の時代に、法然の高弟に師事した一遍、そして法然に直接師事した親鸞と同門のよしみながらも、前者はlet's dancingから遂にたどり着いた知識帰命という思想を、後者は高度な理論武装で易く往生を説いた、それぞれ二人の思想家の天才的な技術、流儀の違いを想う。
かの時代の思想家は、此岸から彼岸へ向かうのに、その手法、技術を真剣に考えたらしい。日本古来の伝統的な世界観から脱却すべく、遂に出現した超越的な浄土思想はなにやらイズラムの教えにも似る。
娑婆の向こう岸に浄土という仮想空間を設定し、両岸を分ける水の河(貪欲)と火の河(瞋怒)を流し、更には一筋の白道(清浄心)を架け、そこに立つ釈迦に説かれて、一心に進めば阿弥陀のいるピカピカの極楽に間違いなく行ますよ、とする教説と同じく、彼の国では、誰が言い出しっぺなのか知った事ではないが、爆弾を体に巻きつけてハーレムに向かう思考法に違いはあるのだろうか。

余談が過ぎた、本論に戻す。
一遍の生き様は後の、円空に通ずるも、一遍は捨ててこそ成り立ち、’真教’は拾ってこそ成り立った。
この両者の相対する思考の技術は当然、根源的問いを抱える。

なぜ、一遍は熱狂的であり刹那的な、独創性lに富む体現法、思考法をあえて残そうとしなかったのか。もしやして思考法を残さないという思考は、生理を越えて病理的領域に浸っていやしないか。

なぜ’真教’は大いなる苦悩、葛藤を抱えながらも、師である一遍のdandyismを否定し、トップランナーに仕立て上げたのか。

そんなくだらないことをブツブツ言いながら一人、東山の坂を下る。

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