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2016年8月22日 (月)

「日本会議」解体論

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トンボに限らず、チョウチョに限らずとも、左右両翼のバランスが崩れると不安定となる、そして政治も。
今更言うまでもないことだがその昔、政治に国家主義的イデオロギーが加わり、極端な右旋回の末、世界大戦に突進し、全てを失ってしまった。

明治政府は南方熊楠らの反対にもかかわらず、神社の統廃合を強行し、付け焼き刃的に午睡を楽しんでいた天皇を引っ張り出してトップにすえ、ニューヴァージョンの国家神道と呼ばれる、どこの誰がイデオローグなのか、理解困難な宗教もどきを作った。
愚生はこんな国家神道に嫌悪感を抱くが、ようは国家が自らに都合よく創作した、胡散臭い宗教と、国粋主義者が積極的にコラボレーションを行い、絞り出された珍説が例の’神の国だ、負けるわけがない’という、あまりにも稚拙で、能天気な強がりだった。
それを喧伝したのがいわゆる朕思うに・・・で始まる教育勅語で、やがて軍参謀は自惚れ、舞い上がった。
こんなバカバカしさの中から、ファシズムは生まれた。

往時、日本を神の国と信じていた国民は80%以上とも云われ、現在でも50%は信じているとの数値をどのように見るか。
真顔で神州不滅を謳った軍参謀の無教養と情けないカルト的思考回路、加えて無知が生み出す残酷な結果をして、マッカーサーが日本人を12歳と言ったのは至言であろう。
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改めて書くことでもないが英単語のfar、radical,extreme,ultraを-rightの接頭語として用いて、極右と言い表す。今、abc,cnn、ル・モンドらが、日本の見えづらいところでうごめく、日本最大の極右団体/far-right partyである、「日本会議」を取り上げ、そこに内在する国家神道と国粋主義がもつ危険性に対して、盛んに警笛を鳴らしている。
だが日本の大半のメディアは不思議なことに「日本会議」を取り上げない異常性、そこにこそ危険性をはらむ。

何故こんな最重要な問題を報道しないのか、理由はなにか。

だが日本は汚染された大手メディアばかりではない、真っ当なジャーナリストもいる。
例えば山崎雅弘、青木里、菅野完、上杉聰らは「日本会議」について取材拒否されながらも内在する、強い病毒性を記している。
それぞれを一読すると、驚きを隠せない。
この時代に、よくもまあ時計の針を逆回転させて明治に復古的な、しかも神社本庁、一部の仏教団体も組しているというから、バカバカしいというより呆れる。
日本人たるもの、これら書を急いで読むべきであろう。

愚生の読後感は、「日本会議」はカルト集団そのもの、だが与野党を問わず保守系議員の相当数が賛意を表しているところに、国会議員のいやらしさと、薄気味悪さを診る。
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空疎なことだが、山口二矢のテロリズムを三島由紀夫は賞賛し、そのことを石原慎太郎は売りにしているばからしい構図は、いつの世にも寄生虫のような極右は少数ながら駆虫されずに一定数が棲むことを示す。
だが寄生虫は増殖しすぎると宿主は衰弱し、生息環境が良いと過飽和になり、やがて宿主共々絶えることは生物の常であり、戦史のメインテーマの一つでもあった。

余談だが、8月8日の天皇の生前退位のお言葉は、「日本会議」に向けたものと解釈もできる。
日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ云々と、象徴天皇としての永続を願う重い言説を多くの日本人は然りと聞き、その日本発のビックニュースは速報で世界に流れた。

まっとうな日本人は「日本会議」を時代のあだ花と診るか、狂気と診るのかはそれぞれにしろ、「日本会議」が天皇を国家元首と目論むのは笑止に過ぎない。

宮城に遥拝を欠かさないとのたまう輩らは、そのお言葉を神の声と聴いた筈である。
ならば天皇を本当に敬っているのか、それとも天皇を小馬鹿にして操るつもりなのか、「日本会議」のこれからの言動を国民は注視しているのをお忘れなく。

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