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2016年11月 4日 (金)

知床、ウトロでカレイ釣り

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カレイ釣りの前日に、餌は「ホタテ貝の耳」を用意するから餌は必要ない、’もってくるな’と船長直々の厳命を拝受、本日まだ暗い中、知床はウトロ漁港より愚生一人を乗せた釣り船が出港する。
釣り場に到着して朝ぼらけの中、船長より差し出された「ホタテ貝の耳」なる初見の餌は半氷状態のポリ容器に入っており、取り出して釣り針に付けようとするが上手く付けられない。
慣れているはずの船長も何やら、かなり悪戦苦闘している様子だが、なんとか針に餌を付け、仕掛けを落とし込む。愚生も遅れて、こんなもんかと釣り針に餌を付け、釣りをはじめる。
やがて東方、知床半島先端辺りの水平線がくっきりと表れ、終秋の寂光にしばし見とれる中、周りの釣り船の無線情報では釣れているらしいが、こちらの釣り船に魚信なく、小一時間も経過する頃に船長は外道のデカいタコを釣り上げる。
だが愚生はまったく釣れず、巻き上げて餌を見ると「ホタテ貝の耳」なる餌のシッポに、カレイの歯型がくっきり残っているのに心騒ぐ。
そして夜が明け、釣れない原因が腕だけではないことが判明する。
船長が冷蔵庫から取り出してきたという、その餌をよく見ると、なんと薄くきざまれたタケノコであった。さっそく船長は携帯電話を取り出して奥方様へ、まるで人格が入れ替わったように平身低頭の態、普段の厳ついお顔が、そして先程まで釣り客に命令調だった漁師特有の、語気の荒いお言葉が人前にもかかわらす、妙に優しく激変する様子を観察する。
さては’かかあ天下’なのか、などと邪推はすまい、どうやら、お内儀様に怒られる怖さゆえなのか、釣り客にタケノコを餌にして釣りをさせた罪悪感など微塵もないらしい。
寒漁村に生まれ、オホーツクの荒海に体を張って生きてきた善良で朴訥な船頭なのか、’他者に謝る’ということなど、はなっから存在しない生き様とお見受けする。
だが海より怖いものをわきまえている、それでよろしい。

以上、一時間足らずの知床釣行であった。

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その後一人、朝っぱらから一番風呂に浸かり、至福の時を過ごす。
岩尾別温泉の露天風呂にて、背に眼下の渓流より吹き上がる寒風を受けながら、加藤周一著/三題噺/ちくま文庫を心地よく読む。

石川丈山、一休宗純、富永中基ら三者それぞれ、常日頃の、仏者に宿るerosの神の、そして識者の、組み合わせからなるfictionならではの妙味は、加藤周一が醸し出す深慮に愚生を引き込む。
同じく、今日の間抜けな釣り師と、タケノコを喰らう、おバカなタコと、トンチンカンなカレイの三題噺は、落語にもならない浅慮のnonfic,の噺。

本書より気になる行を少し引用する。
例えば「心」、という言葉、「心を先にするか、詞(ことば)を先にするか」などという、その「心」の意味がはっきりしていなければ、問いそのものに意味がない。しかし「心」とは一体何ですか。「意」か、「気」か、「情」か・・・。

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