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2018年3月 2日 (金)

石牟礼道子の哲学

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石牟礼道子女史の思考は、徹底して人間存在の低みに立っているようだ。
数ある著書の中から、一部的外れなところも含めて以下に引用してみる。

「自分を無にして、・・・この世で一番低いところに自分を置いて、目線を低くして山川を見直してみる。健やかだった私たちの山や川や海。私たちには想像力というのがあるんですから、生存の環境みたいのはたくさん失いましたけれども…もう一度健やかな山川をよみがえらせられないことはないだろう・・・」(環境と人間)-水俣からの発信『石牟礼道子全集7巻p341より引用』。

あのメチル水銀によって発症した水俣病、加えてむごいことに妊婦のplacental barrierもアミノ蛋白と結合して通過してしまう胎児毒性によって、この世の地獄に追いやられた水銀中毒患者らは、さらに風評による迫害、差別まで加わる。
日本的な村社会の排除の論理で、無垢で生きるに必死な水銀中毒患者は一層痛めつけられたが、石牟礼道子はなんと加害者であるチッソ水俣工場、さらには薄情な世間すらも’許す、恨まない’、と言い放つ胆力を持ち合わせていた。
書くまでもないことだが、国家が支払う多額の補償金目当てだの、税金の持ち出しだのと言い表す所作をみても分かるように、’許す、恨まない’を単なる美談と聞き流して逃げ切ろうとする国、チッソ水俣工場らは裏で赤い舌をだし、にやけていることを熟知しつつも、である。
石牟礼道子の長年にわたる思考の格闘から、ついにたどり着いた哲学には、正直驚かされた記憶がある。
果たして人はそこまで言えるのだろうか、愚生にはおおきな疑問が残った。

さらに読みくだくうちに、石牟礼道子の哲学の根っこには、宗教性も潜むことがわかる。
石牟礼道子の宗教性を勝手に想像すると、胡散臭くなく、線香の香りもなく、さらには押し付けがましい小理屈もなく、宗教の始祖を権威あるものとしている物語を疑い、その真の姿は違うのではないかと問う。
また以下に引用してみる。

「キリストが物語に組み込まれたとき、馬小屋で生まれてもその誕生を予言する東方の聖者たちが現れて、なぜ最初から権威を付与されるのかと問う。キリストは、本当は無名の人だったろう。権威づけられない聖者はどうしてあり得ないか。無名の聖者は無数にいたし、今もいると思う。それは最下層の、汚濁にまみれて、一切の受難を背負った人間であったろう。権威づけられず、なんの恩恵にも浴さない、いつも無名で生き続けてきた最下層の人間たちが人類を生き変わらせてきた力なのではないか。慈愛とか愛とかは、仏や神が衆生に垂れるものではなくて、逆である。救われぬ人が充ち満ちているからこそ、宗教が救われ、かろうじて命脈を保っているのである。救われざる民の魂によって、宗教が逆に救われているのである。人間の心をほんとうに揺り動かすことは権威の力ではできない」『石牟礼道子全集』三巻、p501~502より引用。
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まさに逆説とはこういうことを指すのだろう。
世に多々ある、なんたらと名のる神だの、ほとけの教えをうやうやしく説く教祖様を最高権威とし、精緻な教義と、集金組織も併せ持つ既存の宗教教団は石牟礼道子の弁になにを思うか。

石牟礼道子の核心と度胸はここに見てとれる。
男でもなかなか言えないことを言い切り、その圧倒する筆力でもって読者の頬をおもいっきり打っ叩く。

さらには、
「最下層の人間の生き様はそれを神だのとのたまう以前の心情であり、『何様かは分からないでも』ふうっと呼び寄せられて拝むところに人間にそなわった敬虔さ、はるかな知性があって・・・、また神は人類が文明を築き始めたときに、人間によって創造されたもので、神は本来無名である」『石牟礼道子全集11巻p523より引用』。

愚生にとって、石牟礼道子による創造論/intelligent designの否定はまさに目から鱗、ある意味で日本人への覚醒をうながす。そして日本人の根っこには無名性と普遍性があるという。

あるいは無知蒙昧と卑しめながら、生きとし生きるものすべてに霊性を認め、与えられるものすべて、たとえそれが良かれ悪しかれすべてを受け入れてきた、一昔前まではごく当たり前の、そんな日本人を代弁しているのだろう。

ほんらい愚生如きの、生き様のよろしくないやからの書くことではないが、もし思考の営み、歴史、社会、超越を包むすべてを考察するのが哲学だとするなら、石牟礼道子の哲学は、西洋思想の根本思想のひとつであろう、自然は支配できるとする誤った立ち位置を今一度、本来の日本の立ち位置に帰れという提言でもあるのか、大事な宿題を残して逝った。

この石牟礼道子女史は只者じゃない。

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