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2018年8月11日 (土)

人格という単語

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ブルーノ・タウトは書いている。
「一方には政治と権力があり、他方には芸術と文化がある。小堀遠州はこの相反を―――これは単なる不和以上のものであった、―――自己の一身に於いて超克せねばならなかった。彼は芸術家として徳川のために作事しながら、同時にまた彼の最善をつくして文化の標準を維持するためにつとめなければならなかつた。桂離宮の造営と時を同じくして、徳川氏は日光にあの野蛮なまでに浮艶な社廟を建築した。かくのごとき時世にあって、小堀遠州には、時の権力者の要求する豪奢の趣味を醇雅の途に導き、いっさいの反対的傾向に抗して文化を高く保持するに努めるより他に途が無かったのである。確かに彼はこの悲痛な妥協を自覚してゐた。また多くの同時代者がかかる妥協を非難したことの正しさも、彼のよく識るところであった。桂離宮がきわめて現代的な原理を示してゐるとすれば、それはここに顕われている小堀遠州の人格が、殆んど三世紀の長年月を経ながら今なほ現代的であるからだ。かかる人格は、今日われわれの住むいづこにあつても苦しい闘争を堪へてゆかねばならないであらう―――小堀遠州についてはいま一つの謎が解けぬまま殘されている・・・」<ブルーノ・タウト著/篠田英雄譯/1946年出版/『桂離宮』/育成社版:84-85よりママ引用>。
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本書は変色し、読み返したページはすり減り、往時の経済状況を知らしめるように粗雑な紙質ながらも、趣のある装丁と、なによりもゲルマン的視線から醸し出される深い味わいは桂離宮を題材とした他書をはるかに凌駕するように思える。
また篠田英雄の洗練された邦訳も、本書を名著たらしめる要因のひとつでもあろう。
ここでは桂離宮は小堀遠州作として論をすすめる。

この庭園評に、二度も用いられている’現代的’とは、ブルーノ・タウト自身、及び小堀遠州にかかる形容詞であろうが、一方には’現代的、すなわちモダン’とは、作庭家の云う’永遠のモダン’という、あるいは多くの芸術家の目指すであろう美意識でもあり、ブルーノ・タウトは当時の無自覚と言うよりは、当たり前に有していたほとんどの日本人の美意識を’永遠のモダン’という極地へと否応なしに誘引し、昇華したかったのだろう。
いつの時代であろうとも、過去、未来を含む’今’を、ショートカットすれば道元禅師の而今/NICONにして、日本庭園を代表する桂離宮が世界的にもすぐれた庭園美を兼ね備え、どの時代でもいかに美しいか、そこに通底する、’永遠のモダニズム’を説く。

加藤周一は、上記のブルーノ・タウトの著書、「桂離宮」をもとに論を進め、さらに作庭家らの人格を炙り出しているが、その論法にはすごみすら感じる。
たとえば岡倉天心を引き合いにして、
「暴君の友情は常に危険な光栄である」と、秀吉の庇護を受け、秀吉のために殺された利休を引用し、みずからが権力の被害者ではなかった岡倉天心の利休論と、ヒットラーに追われたブルーノ・タウトの小堀遠州論を比較してみるがよいと、書中でするどく指摘する。

批評家みずからの体験、みずからの人生、みずからの時代が、二つの文章をいかにあざやかに区別しているであろう。殺された利休よりも、殺されなかった遠州が、いかに深く悲劇的にみえることであろう。
さらに迫害され、ついには異郷で放浪を重ねてみずからの精神の自由を護り、孤独な生涯を辺境での客死に終わった建築家タウトにとって、小堀遠州の桂離宮は人格の問題であり、もしそれがわれわれの人格の問題でなければ、われわれには何も付け加えることがないはずであると <加藤周一著、/昭和42年出版/日本の庭、亀井勝一郎&臼井吉見(編)『人生の本9-日本の美』文芸春秋社発行、p334-336より引用>、いうなれば美をもって人格という単語に集約させる眼識には正直、驚かされるが、逆に見れば政治、権力の側にある人物に、おおよそ人格と言う単語はふさわしくないのか。

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ここに、それぞれの芸術家が持つであろう理念が否定されたとき、それをたとえば人格という単語に集約するには、つまり文学者を含む芸術家とは、ここでは著述家であり、著者であった加藤周一自身の人格も含めて、論じられるものだということを行間に残しておられる。

これを自分流儀でおもいっきり砕けば、診ることは是即、診られることであり、教えるとは是即、教えられることに通じ、加藤周一が発した自他に対する無言の問いは、凡な愚生如きですらも、即自/an sichの人格を発見する。

さて追い込まれた者達、それがドイツのヒットラーに追われたブルーノ・タウトにして、そして徳川に仕えた小堀遠州にして、彼らは憂苦をもって確かに権力者に対峙する人格をさらした。

それを人生の美学として、まさしく現代的/モダンに、もっと言えばかっこよく。

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