2015年5月17日 (日)

b.bキングの聴き方

4月、幌尻岳に向かって!

数ドル支払って、お世辞にもきれいとは云えない小ホールに入ると、まずマリファナ臭が鼻をつく。聴衆はみな普段着で、表情には笑顔がなく、低音でまくしたてるような声でお喋りする黒人ばかりであった。
アルコールは禁止、だが当然、皆酔っぱらっている、もちろん愚生も。

やがて演奏が始まるとイントロから強烈なアクセントを持つ歌、リズム、そして独特の’間’、その’間’にこそブルースの命があることを叩きこまれる。

気が向けば、果てしなく連続する単純な8小節は、限りなく連続し、野太い低音声と軽い高音声はやがてギター、maj7/9の残音だけとなり、会場は拍手と、どよめきと、奇声に変わる。

歌詞は主に嘆き節、だが奏者らはお洒落で、ミスがなく知的で、聴衆の心をつかむのが実に上手いし、丁々発止の掛け合いもお見事だ。だがその一線を越えるとえぐみをあじわされる羽目となる。

純で遊び心を欠き、ミスのないマニュアル通りの演奏に興味はない等といったならおかしいが、エロスの神もヴィゴロスも消え、去勢されてしまった、もっと言うと野心、自由な思想を有しない演奏をchicago,new Orleansで聞いても、それはまったくつまらない。
それはまるで、コクのない料理を強制的に喰わされるようなものである。

例えば小樽の薄汚い呑み屋で日本酒を浴びながら挽歌を聞くように、例えば津軽で焼酎を浴びながら三味を聞くように、b.bキングは例えばハーレム界隈のオンボロタクシーで、更に加えるなら周囲の生活音が入り混じる中、感度の悪いラジオのヴォリュームを目いっぱいあげて聞くのが丁度いい。

それは魯山人の使い込まれた絵皿に、アイヌネギを盛るように。

もっと拘るなら、その魯山人の絵皿は、少し欠けていた方がよい。

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2012年8月12日 (日)

魔物の正体

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オリンピックには魔物が棲む、という。
各国のアスリート達の魔物と対峙する姿を観るにつけ、魔物が棲むという魔界とやらがどうも気になる。
その魔界を一休さん、川端康成は「魔界入り難し」としてその問いを後世に残した。

川端康成はその「美しい日本と私」に道元禅師の詩を引用し、何れの日にか反論されるであろう覚悟を持ち、ノーベル賞授賞式で発表したがその後'vague'といって噛付いたのが大江健三郎だったことはよく知られている。

大江健三郎は「それは責任をぼかし、日本という、或は天皇という神秘的な空間の中に閉じこもる逃避的な態度」として鋭く批判したが本主旨は国会周辺における昨今の大規模な反原発、脱原発デモの通奏低音として流れていることに論をまたない。

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仏界/常識の世界を超えた魔界においてデカダンスとひきかえに、人間実存の極限、美の極限があらわれるという、それを川端康成は追い求めた。
個人、自己を取っ払い、身を捨ててこその覚悟で魔界に入る時、自他未分、自他以前の広大無限の世界が開かれる、それが川端康成にとって究極の日本であり、文人の美学の頂点だ、ということらしい。
(日本文化論の系譜/大久保喬樹著p,179より引用)

その点に対して三島 由紀夫は最大級の賛辞をおくっている、川端康成にとって自身/芸術家とはデカダンスとひきかえに、まさしく一休さんとシンクロしたように、魔界に入る人間である、として挑戦していたのだろうか。

ならば川端康成は魔界に入ったのか、あるいは入りきらなかったのだろうか?
こんな愚問がある限り愚生は再読せねばなるまい、何故なら20代に読んだそれらの著書にその問いすら存在しなかった。

宗教者、芸術家、アスリート達それぞれに魔界を思うとき、とくに試合後のアスリート達の大汗をかく形相の奥にもうひとつの魔界に対する覚悟がみえる。たとえば膝の靭帯を損傷しながらも激痛に耐えながら試合を続けたバトミントンの選手のように。

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ロンドンオリンピック2012の結果、もしもメダルの色、数のみを注視するのなら、後進国が大枚をはたいて製作した高性能のサイボークもどきに安っぽいナショナリズムをくすぐられ、ぬか喜びしているようなものにしか過ぎず、それはまた著書「みずうみ」で川端康成が銀平に託した究極の想いを読み取れない愚生の無学に似る。

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2012年3月16日 (金)

君が代/吉本隆明のこと

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吉本隆明の訃報に’君が代’が頭をよぎった。
日本人の皇室に対する、あたかもコンパニオンアニマルに対する生殖、繁殖を乞うが如き病的思考様式がある。
それは強烈なストレスとなって宮中の皇后、妃殿下に極度の心労をもたらし、それに起因するそれぞれの精神障害は一国民として見るに忍びないが槍の如き意見は浴びせ続けられる。
皇室のファッションを取り上げる女性週刊誌から国体論のてっぺんに位置すべきを絶対のテーゼとする脂ぎった御仁まで自由のお国とはいえ、何故か忍びない世相でもある。

そもそも明治期に至り、それまで午睡を楽しんでいた大君を突如万系一世という大うそを持って担ぎ出し、覚醒せぬ間に現人神に祭り上げ、それこそ神様役から大元帥役、果ては象徴役にいたる様々な演技をして頂いていると言うべきか、或はいまだにさせていると言うべきか人それぞれだろうがその阿呆らしさを知るほど’君が代’の’君’が持つ意味、つまり’大君’を歌詞に込める見え透いた欺瞞はある意味、腹立たしい。
それを一番熟知しているのが或は皇室の住民なのかもしれない。
皇室の住民はそれをはたして自然体で聞いているのだろうか。

21世紀に至り、宮内庁に多額の国費を注ぎ込み、従前通りの国事行為、神様役を演じていればそれで済む時代では既にない。
今はまだ誰も口には出さねど、上記のような外貌に集中する好奇な目線、或はティーパーティの絶対者の存在の如く偏狭な国粋思想家がそれをして絶対的存在とのたまう愚行が続けば天皇制の存否を問う日が来るのを早めるだけのようにも思える。

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また識者の中には宮中の住民に人権はないと言う、確かに一理はあるが発言する事は慣例上許される。ならば日本人たるもの歌う側の屁理屈をこね回すだけでなく、歌われる側の論も聞いてみようではないか。

天皇に訊け、皇太子に訊け、そして必要ならもう少し明るく、なじみやすい唱に変えればよい。

戦争を終えて尚’君が代’を国歌として遺残させた輩は天皇制存続という強い意味合いを歌詞に込め、宮中の住民等のいう’開かれた皇室’という言説にも同じく皇室のサバイバル臭を多くの日本人は嗅ぎとるがそもそも天皇なるものと、制度としての天皇制は全くの別物であり、後者を全ての日本人が肯定しているわけでは決してない。

文明史観として天皇制はなくなったほうがいいが天皇主義の深層はなくならないと述べた吉本隆明『天皇制の基層、本人&赤坂憲雄共著より』、またそれとは真逆に日本文化のど真ん中に天皇をすえ、それを思想、行動の原点とした三島 由紀夫が憂いたものは将来の天皇制の劣化であったが共に的を的確にえている。

君が、君を案じ、君の将来のために’開かれた皇室’を演ずるのであればまず’君が代’は変わらなければならない。
それを一歩として両極に座した者等が賑やかな議論を再開するのも御苦労な話だが大思想家の吉本隆明、三島 由紀夫の心境やいかに。

なにより橋下大阪市長の参議院不必要論を掲げるくらいの発言力があるならば’君が代’を変えろというのは容易いことでもあり、法律を守れなどと空疎な能書きをたれるよりは日本人の優れたバランス感覚を内に持つ常識を優先すべきである。

責は’君が代’にある。

常識をわきまえた人はそんな如何わしい唱を歌わない。

歌わない彼等に非はまったくない、橋下さん!

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2011年9月29日 (木)

鹿部沖で釣り談義

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9月27日、快晴やや風が強かったが船上で現役引退された船長と愚生の二人だけでオヒョウ/はりばっと/halibutの獲る場所、方法、お味の談義はとても楽しかった。
この船長はスペイン語が堪能で若い頃は日露漁業の機関士、漁労長として、その弁を借りれば’あの憎っくき200海里法’が施行されるまで世界中を周ったそうである。
アルゼンチンの沖で鯛をトロールで獲り尽くしたこと、その港町のきかない女性のこと、ロサンゼルス沖で獲ったキングサーモンの旨かったこと、そしてアラスカ、コディヤック島沖でトロールで獲った畳一畳半もあるでかいオヒョウに話が及ぶとヒレの天ぷらがとっても旨かった等々、なかなかの趣味人であり、好人物でもあった。

愚生のオヒョウ釣りの記録はエリモで10-30センチ位、カナダではせいぜい1メートル位のもので勿論、そんなお化けの様なオヒョウには開高 健同様にまだめぐり合っていない。

ところで肝心の愚生の釣竿を揺らす様な当たりはなく、時たま小さなガヤ、カジカが喰い付く程度で本命のババカレイはなかなか釣れないのは技術の差なのだろう。
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帰路、円空作のお仏像を拝観させていただきたく有珠の善光寺に寄り道し、寺職第19代目の若和尚に無理を承知でお願いしたところ快諾してもらえた。
大よそ縦60cm、横幅35cm前後の大きさで、ご本体背側に製作年月日と円空(花印)と刻印がなされ、前屈み姿勢で穏やかなお顔立ちは柔和で慈悲に満ち、後期の突き刺すようで、荒々しく暴れ、悩み続け、悩みぬいた作風とは全く異っている。

後世の俗人はやれ国宝だ、重要文化財だのと病的なほどにある種のランク付けを好む悪癖があるが所詮そんなものは円空さんにとって俗事にしか過ぎず、その余りにも強烈な生きざま、死にざまをあえて選択した、その人として、お坊さんとして、また仏師としてその御心を目前に鎮座する木仏より読み取れない自分を円空さんに恥つつ、詫びつつも何時の日にか円空さんを理解出来るような心眼を持ちたいものである。

また大変失礼かとは思いつつ、仏門もくぐりその心得もあった松浦武四郎がここ有珠善光寺に寄り、和尚の読経を聞き、後に確か蝦夷日誌か何かの中で、それをいい加減な経として痛烈に批判しているが、武四郎関連の記録はないとの返答であり、初代、若しくは2代鸞洲(ランシュウ)住職の頃ではないかとの説明であった。

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約130年前の明治11年、シティ・オブ・トーキョー号で横浜港に着いたイギリス、スコットランドの田舎生まれの女性旅行作家イザベラ・バード/Isabella L. Bird女史は既に40歳代の小太りのおばちゃんになっていたがアシスタントのイトー/伊藤を雇い、危険を承知の上で、東京よりテクテク歩き、時にはお馬さんにまたがり東北経由で津軽海峡を渡り、函館から森町へ、そこから船便で室蘭に着き、登別、苫小牧、厚真、富川を経由し目的地であった平取のアイヌ宅で数泊、その帰路、ここ有珠善光寺を訪れた時の様子が自著「日本奥地紀行」高梨健吉訳、平凡社版/unbeaten tracks in Japanの中に詳しく書き残している。

『ちょうどそのとき、頭を剃った僧侶が、色褪せた緑色の錦の衣服をつけ射し込む日光を浴びながら静かに歩いて来て、祭壇の蝋燭に火を灯した。新たに香が寺の中に立ち籠めて、その香気は人の眠気を誘う。まことに感銘深い光景であった』
                  (日本奥地紀行、p346より引用)

その時、住職とイザベラ・バード女史の短い会話の様子も情緒豊かな文章の中に書き残しているので女史訪問の記録の有無も寺に尋ねてみたが此方もないとの事であった。文中の緑色衣服の格式からしてそのお坊さんは第9代、中野梵耕住職との説明であった。

ここ有珠の地はアイヌに対してバチェラー夫妻が聖公会堂を開いてキリストの教えを説き、その前に善光寺が浄土の教えを説いたが、そもそも歴史的には和人と称するハイブリット種よりもはるかに古く遡るアイヌ民族には日本仏教の原点にも共通する、或いは影響を与えた仏教渡来以前の素晴らしい汎神的宗教を延々と今に引き継いでいるにも拘らず、往時の幕府政策の一環とはいえ、なぜ有珠善光寺はアイヌに改宗を迫ったのだろうか、根源的疑問は消えない。

もしや、少数者のアイヌを劣った民族と解してその宗教性まで否定した上で、文化的にも自らが優位に立つと自惚れた和人が撫育などと称して仏性を説いたのであれば大きな誤りであろう。

「アイヌには先祖伝来の宗教がある、そんなもの必要ない」と怒ったアイヌもきっといたに違いない。

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2011年5月 4日 (水)

何処に正義があるのか

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ソ連がイスラム圏であるアフガンに侵攻した時、ビンラディンはその異教徒を駆逐するため闘う。その背後でアメリカCIAはイスラム側につきビンラディンを援助しソ連と対峙した。
民族性もさることながらジハードの思想を持った戦士は勇敢なのだろう、ときにソ連兵士より切り取った頭部をサッカーボール代わりに戯れるアフガン兵士の画像を流し続けるとソ連兵士の士気はいっきに落ち込み、やがて退却、ソ連邦解体へと向かった。

2000年ny9,11テロでビンラディンは黒幕とされ10年後の今日、遂に射殺の報にオバマは「正義は行われた」とコメントし、続いてマンハッタン、グランド・ゼロでの馬鹿騒ぎが放映される。

しかしオバマは冗談を言ってはいけない、いったい何処に正義があるのか、正義の何たるかを理解しているのか、ビンラディンを殺す事と正義は関係あるのか。
そもそもビンラディンの様な怪物をつくったのはアメリカではなかったのか。
またabc newsにもOsama bin Laden Killed: 'Justice Is Done,'の活字がおどっていたがここにもアングロサクソンの思い上がり、そしてイスラムに対する露骨な上からの目線が鼻につく。

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愚生如きには1960-1970年代の永田洋子が思い起こされる。
過激なテロを用いたその手段はやがて支持を失うが一時期ヒーローと目され、ある時期多くの若者はシンパシーを感じた筈である。
オバマの露骨な選挙対策なのだろう、その得意げな表情、続いて映し出されたビンラディンの澄んだ眼、イスラムfundamentalistとしてイスラムに対する純粋な想い、そして既に忘れ去られてしまった永田洋子の往時のあまりにも稚拙な世界同時革命論など、それら三者に共通してある「大義」なるものが見え隠れしている。

為政者なるもの、せめて「正義」と時にころころ変わる「大義」はまったく違う事を自覚せねばなるまい。

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2010年2月15日 (月)

バンクーバーの露天風呂

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キングサーモン釣りを終え、夕刻に帰港後、艀に仕掛けておいた手製のカニ籠を引き上げると北海道では見かけない甲羅の大きなカニが毎回、数匹入っている。
早朝、ウィンターラン狙いでスタンレーパークに架かるライオンゲートブリッジを渡り、学会場のコンベンションセンターを南に見るヨットハーバーに着く。そして出港前に釣り竿、餌となるアンチョビ、ダウンリガー等を仕度しながら、籠の中になにやら動物性蛋白質の塊を容れ、それを桟橋下の海底に沈めておいたものである。
その籠はエリモの漁師がニンジャカゴと呼んでいた代物と同じもので、万国共通とはこの事なんだと妙に一人合点がいった。

そのバンクーバーのダウンタウンを見下ろせる小高い丘に、ある家がある。
こんな書き方をするとついニューオリンズの「朝日のあたる家」を連想するかもしれないがこちらは住宅街にあり、「朝日のあたる家」は歌詞からすると娼館だったのか。

ちなみに台風カトリーナの前にルイジアナ州ニューオリンズ、ミシシッピー川両岸のフレンチクォターで、ジョーン・バエズ、アニマルズの有名な歌詞からイメージしていた’there is a horse in New Orleans, they call the rising sun’「朝日と呼ばれる家」の所在をあちこち尋ね歩いてみたが皆、知らないと言っていた、果たして?

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さて、そのお宅のお庭には小さな露天風呂があり、美しい夜景を一望しながら湯舟に浸かり、まずひと盃、と言ってもバンクーバーの冬はいつ行っても雨ばかり、しかも市内に雪はなく、風呂といっても冬の登別温泉のような風情もないが・・・。
カナダでは当時、日本酒は手に入らなかったのでシングルモルトを茹でたてのカニの甲羅に注ぎ、かき混ぜて甲羅ウィスキー酒を作る。
これがなんとも絶妙なお味で、地元の人が好むのも分かる、また先ほど釣ったキングサーモンの他、バンクーバー島ポート・アルバーニ、キャンベルリバーのサーモン、スチールヘッドも食卓にならび、豪勢な宴はいつも朝まで続く。
終には地球の反対側にいる事を忘れ、「ここは何処、あなたは誰」の危機的幽玄の世界にしっかりはまる。
翌早朝、完全に覚醒せぬまま急いで国際線ターミナルに向かい、再び真面目な日本人を演じて、サンフランシスコ便、成田便、或はデンバー便の飛行機に飛び乗ったがいつも時間ぎりぎりであった。

という事で、バンクーバーの露天風呂は旅の目的をしっかりと忘れさせてくれるお風呂でもあった。

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2010年1月21日 (木)

新実智光の心の闇

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新実智光被告の刑が確定したらしい。
その後、ほかのオウム信者らが次々と離れる中、彼は今でも強固な信心を変えない、或いは変えられないのだろうか。
いったん何かを信ずると、信じた己を容易く裏切れないとしても、師と仰ぐ麻原彰晃が世間様より、全人格すら否定されてもなお自己相対化できない新実智光のいきざまに、何故か空疎な善悪論だけが徘徊している。

麻原彰晃の云う’行’がときに恍惚を生み、修行の過程で超能力が付くと称し、もしも失敗したなら地獄行きなどと、非科学的で珍妙なる論理ですら、宗教にスキルを持ち合わせない、無抗体の科学者らまでもが感作された。

犯した罪は決して肯定出来やしないが、悩み探した挙句、在来の仏教に少し留まるもやがて通り越し、彷徨い、最後にやっとたどり着いた、それが身の丈にあった教義を有するオウムだったのだろう。

連合赤軍の永田洋子を思い出す。
新実智光同様、引き金になった要因の一つに身体上のコンプレックスがあったとも云われているが、ある種のいいかげんさ、幼児性をあわせ持つ故のおぞましさ、残酷さに於いても共通点がある。

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日本古来の伝統仏教からオウムを否定する意見は確かにでた、しかしオウム信者救済の為の代案はいまだに提供できないでいる。
新実智光が多数の人を犠牲にしてまでも夢見た形、空間、それがどんな理想郷だったのか、涅槃なのか知る由もない。

また、自己相対化できないほど決定的な思想を有するまでに、どうやって沢山の障壁を乗り越えたのかといった疑問とともに、見ようによっては新実智光のある種、確信犯的澄んだ眼はその原因、治療、予防方法を現代に問うているのか。

また被害者感情は別として、仮に今生で人生のミスマッチに気付き、自己相対化できたとしても、新実智光師にとっては、それが最良の選択肢だろうか?

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2009年12月 4日 (金)

ル・クレジオの言う宗教性

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ル・クレジオの講演で疑問が一つあった。
会場からq&aで、僧職についておられる方から、「一神教とアニミズムの関係」に関連した質問が出た。
その意図する所は原始仏教に限らずとも草木一本に至るまでカミを意識させる考え方とアイヌの宇宙観はアニミズムという一言で同一化され、その対極にある一神教なるカミが征服者と供に侵入したとき、内部でいかほどの宗教的変化が起こったのかと、おおよその趣旨はこんな所だったろうか。

その質問に対する、返答が理解できず、フランス語通訳を務められた北大、文学研究科の佐藤淳二教授に後日、問い合わせた所、以下のご丁寧な返答を頂いた。

★原稿があるわけではないのですが、ご指摘の質問へのル・クレジオ氏の回答はアニミスムと一神教との区別はあまり重要ではなく、宗教性というものこそが重要である。
宗教性は、宇宙創造のイメージを与える何ものかであり、調和と平和のイメージを各個人に与えてくれるものである。
この意味で、一神教であれ、多神教ないしアニミスムであれ同じで、自然の岩、川、森などなども魂を持つものとして、私たち一人一人を保護してくれ安心感と調和を各人に与えてくれる。それはちょうど父母が与えてくれるような安心感と平和のイメージである。
カナダの先住民族も、資源開発に反対するときには、父である川を守りたいという主張をする。
これこそ宗教性の本源であり、調和と均衡の宇宙イメージである。これを与える限り、アニミスムも一神教も区別する必要はないであろう。
おおよそこのような趣旨であったと記憶しています。
佐藤★

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以上、q&aに咬み合わない部分が生じるのは仕方ないが、マイノリティの自然観と宗教観をル・クレジオが見事に言い表している。

愚生の知る限り北海道のアイヌの方は今じゃ殆どが仏教みたいだ。
推測に過ぎないが、釈迦の代弁者でもあろうそのお坊さんはアイヌの宗教観、自然観に充分応えられているのかという自問、そしてその成り立ちの原罪を抱えつつ、新たな一神教と従来のアニミズムのカオスの中で、彼の地ではいったい何が消え去り、新たに何が生じたのか訊きたかったのだろう。
よりグローバルで、ハイブリット化したカミは出現しなかったのか。

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2009年10月13日 (火)

白洲正子の見た魯山人

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白洲正子は自著、『名人は危うきに遊ぶ』のなかで、
青山二郎には魯山人を「あんなもんは電車の車掌と思っていればいいんだ」と云わしめ、白洲正子自身も、魯山人を「芸術家だと思うから癪にさわる、無知、無教養なくせに抜群に趣味がよく、胸のすくような作品を残したにもかかわらず自分の作品から何一つ得ることのなかった犠牲者でもある」。

また、中島里壽編、『昭和・物故の美術家たち』のなかでも同様に白洲正子は魯山人を「世間でははったり屋、欲ばりの風評が絶えず黙って物を作っていればどんなにか立派だったのに」と何度か言いもしたが、どうにもならなかった。
しまいには友達ばかりでなく肉親、弟子にもそむかれ、俗物としか呼べないタダモノにあのような美しい作品が造れたこの矛盾は生涯彼を苦しめたに違いない。そこに魯山人の人間としての哀れさがある。
思い出されるのは肩をいからしているくせに、いつも寂しそうに見えた後ろ姿であると、出席者の少ない寒々とした故魯山人の葬式から帰ってきてこれを書いている。

                       ---以上、引用

等々、散々であり周囲に毒気を撒き散らし、困惑させた魯山人に対する白洲正子の気持ちが正直に表れている。世に人物評も色々あれど、なかなかの酷評だが愚生は何故か笑いながら読んでしまった。

滅多切りされる程、輝きの増す魯山人作の陶器、何時ぞや見た「黒織部のグイノミ」などは飄々として、凛としており垂涎ものだった。

芸術とやらの乖離は縮まりそうもない。

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2009年7月22日 (水)

静狩峠のイチョウの巨木

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北米の山奥にスチール、チヌークねらいで釣り竿を数本抱え、飛行機、フェリーを乗り継ぎ、パスポートを濡れない様しまい込み、ヴァドワイザー片手に山道を車で走ると北海道で釣り慣れた愚生にとって大きな二つの違いが目に付く。

一つは渓水の色が朽ちた古木の木質部から浸み出た?色素にも影響されるのか、薄い褐色化しいる事、そしてもう一点、北米では至る所に巨木が伐採されずに残っている事である。

一本の巨木を残す為、道路を変更する事さえ厭わない懐の大きい、ゆったりした文化が根付いている。アングロサクソンの食に対する欺瞞はさて置き、自然に対する畏敬の念は各所で目にする。

愚生にとって、羨ましい人生を送った旅行作家イザベラ・バード女史を兎角、セクショナリズムに毒されている現代の学者らはやれ民俗学者だの、地理学者だのと、のたまっているが本人が一番嫌っていることを貴本から読み取れないらしい。

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クソ度胸と子供の様な純真なる好奇心、感性に満ち溢れた心を持ち続け、世界中を旅して歩いたイギリス人のイザベラ・バード女史が生まれたのは産業革命後であり、既に近隣ヨーロッパも含めた自然林の多くは伐採され尽くされていた筈である。

女史が北海道旅行された130年前、正しくunbeaten track沿いには各所に大木が生え、素晴らしい手付かずの大自然、及び、数日寝食を共にしたアイヌの様子が生き生きと新鮮な喜びと驚きを持って書かれている。

平凡社出版「日本奥地紀行」の中で函館に到着後、日高の平取を往復した時、例えば、盲人と老人に対する思いやり、いたわりはイギリス人のどんな上品な振る舞いだって、優雅さと親切心では彼らにかなわないと当時のアイヌに付いて記している。

又、題41信、帰路、北海道噴火湾沿いの「礼文華から長万部に至る静狩峠に一本の大きな銀杏の木を見た。高さが地面から3フィートで8本に分かれ、どれも直径が2.5フィート以上あった」と記され、まさに巨木、奇木の類である。

時に女史の脚は鐙から外れ、鞍から後ろへずり落ちそうになりながら、必死にドサンコの尻につかまり、急峻な峠越えした様子等はとても危険だが、自嘲気味に書かれており、騎乗技術は可也のものだったのだろう。

ベットウ(馬子)を一人従えただけのこの逞しき女史の見た静狩峠のイチョウの巨木は果たして131年後の今でも、けわしい断崖沿いの旧道横に生えているのだろうか。

洋上で下手なカレイ釣りを楽しみつつ、木々の紅葉に混じって黄葉が観られれば望外の喜び・・・。

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