2012年10月20日 (土)

田舎道にて

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その昔、ルート66なる国道があった。
愚生はそれについコルベットc1を重ね合わせてしまう。
そこに朴訥で古いアメリカの臭いを嗅ぐがそれはまた白洲次郎とベントレ-1924のようなものなのかもしれない。

今はもうない、その一区間であったニューメキシコ州アルバカーギ/albuquerqueから旧ルート66(現ルート25)を北上するとサンタフェ/santa feに着く。もちろん道中にその昔放映されたノスタルジックな道路、風景も既にない。
ようは純血のムスタング/mustang見たさのドライブだったが時折、粋なランチョの看板を見かけるのみだった。

おおよそアメリカとはおもわれないサンタフェの赤茶色した家々に混じり聖フランシス大聖堂(Saint Francis Cathedral)がある。
The Cathedral Basilica of Saint Francis of Assisiとも称され、12世紀イタリアの片田舎のアッシジで生まれた聖人、とある。

往時、権力を誇った自堕落なローマ教会の中にあって’清貧’を説いた聖フランチェスの思想、行動は時も同じく叡山と対峙しつつその教えを説いた道元のそれを彷彿とさせるには充分であった。

イタリアからはるか大西洋を渡ってアメリカ中西部の砂漠地帯で異彩を放つ聖フランチェスの教えにはネイティヴインディアンも帰依したとあったが愚生にはとても不思議なことである。

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ネイティヴインディアンの信仰する多神教から一神教に改宗、転向するということ、之即ちアニミズムを信仰する北海道のアイヌに対し有珠の善光寺が仏法を説いたことに共通する。

洋の東西、アニミズムと一神教の間に大岩の如くそびえ立つ垣根をいったいどのようにして越えたというのか。
フランチェスはイスラムにおける自身の行動からしてもそのツールを或は持ち合わせていたのだろうか。

同じく、人に仏の教えを説くということは人が本来持ち合わせているであろう信仰の否定であろう。
ならば布教するということはせめて異教を自教と同等か、それ以上に会得、体得しえないと決して行ってはならない’業’であろうことをわきまえた上で法然の弟子らはアイヌに阿弥陀信仰を説いたというのか。
なにより代々変わることなく引き継がれてきた異教徒/アイヌの持つ崇高な霊性の価値、そしてあらゆる生命、山河草木にカムイ/神を宿らせ仏教の原点にも通ずるアイヌの思考法に付いて真摯に向き合い、何度も反芻したのだろうか。

また思想、信仰の転向は時に自身の否定につながりはしないのか、更には誰もが自己を完全にフォーマット出きるものなのか。

アメリカの砂漠の中で突如出くわした教会を前に東洋人として再臨を疑いつつも、浄土の真偽を疑うことなく只念仏を唱える裏側にはどうやら大きな公案が潜んでいるやに思われた。

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安酒にキャビアはよくあう。
復路その安い一品を買い求め、ホテルに戻ってバドワイザー瓶片手にパンの上に盛り付け食するとお味がどうも違う。
よく見るとその一品はcaviarではなく、釣行時に下手な愚生の針に掛かる’カジカ’と’ドンコ’の中間型の体型をした、たしかlumpfish卵と書かれていたと思う。

お魚さんと会話のできた聖フランチェスコの怒りはきっと無粋な愚生に向けられていたのだろう。

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2011年12月25日 (日)

牛丼1杯、280円

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各牧場には馬頭観音さんが祀られ、速く走れないサラブレットさん、子供を産めなくなったお母さん馬達を供養している。
また獣魂碑も同じく、従順なこころと余りにも澄んだ眼を持って無垢な生き様を晒した動物たちを祀り、供養している。
しかし今、厚労省の言い方を借りるとそれらの供養塔は動物性蛋白源に対する免罪符でしかないのかもしれない、それを不可避的に良としても、不平不満を語らず時には家族以上の存在でもあった者達に対する人々の深い想いが込められているのだろ。

ユダヤ人を両親にもつ、ピーター・シンガー/peter singerは’なぜ動物を喰らう事が道徳的に是認できるのか’と問われ、1970年代に著した「動物の開放/animal liberation」は世界的ベストセラーになった。
シンガーは功利主義を用いて理路整然と幸せは善で、苦しみは悪とお題目を唱えたところから動物権利運動/animal rightsだの/animal peaceといった社会運動が起こり、それは主にアングロサクソン、ゲルマンが多く住む国でより活性化し、各国の実験動物を扱う研究施設は動物愛護団体から襲撃を避ける為に恰も核シェルターの如き様相を呈していたが日本では殆んどなかったように思う。

いまでも彼等は菜っ葉しか食べないとする菜食主義という欺瞞に満ちた行動を取り続けているのか甚だ疑問だが功利主義に含まれる判断基準の一つである’動物の苦しみ’はデジタル化、図表化できず、また生物の生きる価値を何故か’知性’に求めた為、必然的に主観的要素が介入してしまった。つまり言語を欠くが故の本論の難しさと共に何故かしっくりしない論法に十人十色の直観と本能も入り込み、本来学問の持つ怪しさも少なからず感ずる。
生物の生きる価値を’知性’に求めたことは必然的に種による差別化が生じる、ゆえにカンガルーだのクジラを喰う、喰うなの屁理屈の応酬に繋がるがその頃はまだ捕鯨が槍玉に挙がっていないのも妙である。
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昨今、福島原発事故地周辺で立ち入り禁止区域が設定されそこには痩せこけたいろんな種類の動物たちが画像として映し出され、その中には軽度の放射能を被って逆に生き永らえた肉牛さんの姿もあった。
それを茶の間で眺める我々は肉牛さんに対し直観的になにを思うのか、その問いを己の中に引き込み問い直すか否かは勝手だが、束の間の自由を得て喜び遊び回る肉牛さんに拍手を送る人もいれば、哀れに思う人もきっといるだろう。

ホモサピエンスが遠い親戚である多毛の四足動物を考える場合、今後如何ほど動物の脳科学が進歩しようが動物の内面を我々は完全には理解できないだろう。
しかし屠殺場/食肉処理場に搬入された動物がそこで血の匂いを嗅ぎ、そこがどんな所か分からない動物などいない。

大脳が破壊され、放血されるまで暫しの時間、その脳内の活動電位とある種の鳴き声を聞いた人のミラーニューロンの活動電位とはたしてどちらが極限に近いのだろう。
肉を喰らうことに対してアイヌはその魂を送りカムイに心より感謝してから頂き、仏は抑制的ながらも否定せず、イズラムは何故か豚だけを断ち、西洋の神助に至っては神よりの贈り物とそれぞれが勝手に都合よく考えた。
それぞれのカミ、ほとけ等はこんな非人間的な論理を知らず知らずのうちにあまりにも人間的に解釈しているがそれをして思想という人もいる。

それらmaterialsはやがて化粧品、医薬品などにも形を変えるがピーター・シンガーは自説の対側に潜む数倍の逆説と葛藤している様子が行間に垣間見える。
しかし愚生はその説を大きく凌駕する肯定或は否定説にいまだ出会っていない。

そんな幼稚な事を書きながら牛丼1杯280円が高いか、或いは安いか思いめぐらす悪徳なもう一人の愚生がいる。

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2008年12月28日 (日)

生き物の基本

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ドサンコ、何んともひびきの良い単語だ。
この馬は賢い、さらに忍耐強く、耐病性に優れ、服従心があり粗食に耐えうる。
アメリカの乗用馬であるスタンダードブレット、クォーターホース種らの人工的に創られた品種と異なり、運動器システムは合理的に出来ており、体型はすこぶるカッコ悪いが、生物学的にはあらゆる面で優れ、理にかなった馬体を有している。

対極に位置するサラブレットは遺伝学を否定され、’改良’の名目で人間が勝手に創った動物だがそれを無知な競馬評論家等は芸術品などとのたまっている悲しい現実も片方にある。

サラブレット種として固定されて300年位しか経たないが、徹底した競争能力の追求と云う美学のもとに、本来生物としてあるべき、無限に近い遺伝子の選択性を否定される運命を背負っている。

ヒトでは考えられない事だが、無制限に近親交配が行われている。
果たして何処まで許されるのか。

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過去から現在に至るdna2重ラセンの中に含まれているであろう生命に対する負の因子が今後も増え続けたなら数千、数万年後の馬達にいかほどの形態的変化が生じるのか、その危険性を誰も議論しない、或いはあえて避けているのかは分らない。

確かに心肺能力は優れているが、免疫系の数値はドサンコの半分程度であり、継代するに今後、さらに低下する事は十分考えられる、何より生存する為の必要最小限のパーツすら持つ事を拒否されている生物でもある。

植物同様、動物も人手が加わらないと至極丈夫な事は高校生が教わる生物学の基本中の基本だろうが、永年かけて緻密に組織化されたdna配列を変更する事があたかも最先端の学問とする昨今の潮流に対してドサンコは強く警告を発している様にも思える。

サラブレットに限らず数千、数万年後に奇形続出なんて事は想像したくもない。

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2008年10月 5日 (日)

分かりません

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バンクーバーにいる友人で釣り師でもある中華系2世のleeさんは陶器を見ると、よく冗談を言って笑わせていた。

「中国3千年の歴史、嘘ばっかり!」と。

中国由来の焼き物、炎の芸術ともいわれる特に古い骨董と必ず対極にある精巧に作られたインチキとの真贋論争は実に興味深い。

テレビでお宝探偵団番組をみると、中島先生なる鑑定士が登場し古い陶器を自信たっぷりに評価しているが、鑑定する人も実は鑑定されている事をお分かりなのだろうかと、ちょっと疑問に思う事もしばしば。

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その価値をお金で言い表わす俗物的手法に、製作者に対する無配慮を感ずるにしても誤解があり、嘘があり、思い込みがありと、あまりにも人間的だ。

鑑定士らの眼識を絶対条件としているのであるなら’分かりません’というフレーズはないのか、それとも使用禁止なのか?

故白洲正子、川瀬敏郎らの共著書、「白洲正子、美の種をまく人」の中で贋作に徹した陶器つくりの職人技が紹介されており、徹底したニセモノつくりの作品を高く評価している数ページがある。

おおよそ、後世に名を残す名工は必ずしも金銭的にはめぐまれず、没後に評価される事が多い様にも思われる。

女史曰く、優れた品は毎日眺めていても決して飽きはしないが贋作はその内に飽がくるのだそういだ。しかし贋作のなかに本物以上に優れた芸術性を見た事もあると述べている。

これが本当の目利きなのだろう。

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既に世の中では’分かりません’というフレーズは禁句となったのであろうか。

事象は因も縁も常に変わる、作品も常に変化を遂げるのが当たり前、すべては相対的であって絶対不変なものはある筈もない。

曖昧さ、漠然とした事象、空間、これこそ東洋のお宝ではではないのかな。

愚生、必要に応じ自信をもって’分かりません’を使っている。

これは誤りか?

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2007年10月12日 (金)

伝説の名馬の安楽死

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愚生はこの馬にサラブレットの’天国と地獄’を教えてもらい、素晴らしい勉強もさせてもらった。

この名馬はジョンヘンリー号、特別の思い入れがある。

血統は三流、4歳までは競走成績も悪く、次々に転売、所有者もころころ変わる、決して褒められた競走馬ではなかった時代があった。

今から27,8年位前、ケンタッキー州レキシントンに所用で行った時、既にジョンヘンリー号は大変身し、GI-レース16勝、獲得賞金も当時の世界記録(660万ドル)とアメリカだけでなく世界的名馬となっていた。

滞在中のある日、地元のある馬主宅の夕食会に招待され、豪華なお酒、食事を楽しんだ事がある。
その御自宅は見晴らしの良い丘の上で、当時のニューズウィーク誌にも取り上げられたほど素晴らしいたたずまいであった事を思い出す。

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馬主と色々な楽しい会話の中で、この方も一時期、このジョンヘンリー号を所有していた事をお話して下された。

「購入金額は日本円で確か80万円前後、1,2レースほど使ったが、競走成績が勝れないので去勢をした」。

聞きずらい事ではあったが、自ら決断された去勢の可否に付いて質問すると、

「結果として、去勢したから成功した、血統的にも、お世辞にも良血馬とは云えず、約150万円で売却しちゃいました」。

「所が馬主が変わった途端、実力を発揮しだし、瞬く間に世界一の競走馬になりましたが悔いはないですよ」と、含み笑いをされていた事を思い出す。

現役を引退後、騸馬として長くホースパークに繋養されていたと聞く。
往年の写真を見る限り、背線に弛みなく、肢軸にも全く異常なく、名馬の条件を整えている。

齢、32歳、
飼養管理スタッフの表には見えない大変な苦労、努力だけではない見事な’技’が其処にはあった。

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2007年6月 1日 (金)

nasa長官のひと言

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今朝の、abc newsより、

nasa/アメリカ航空宇宙局長官のmichael griffinがとんでもない発言を。

"I have no doubt that a trend of global warming exists," Griffin told Inskeep. "I am not sure that it is fair to say that it is a problem we must wrestle with."

要は、地球温暖化の事実は無い、とのご意見発表だから、

サァー大変。

nasaと云えば、世界中の優秀な科学者の寄り合い所帯の様な所で、御乱心とも思える発言に内部から訝る発言が多数。

止めさせろ、

とまで出てくる正論派の論調に、さてどの様な答えを出すのか、成り行きが楽しみであり虚しさも然り。

世界中の御用学者に共通する現政権への御機嫌取りかと思いきや、あまりの無定見な発言に、かのbush政権からも無視されている。

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この、michael griffin長官よりも、

愚生の知る所、
北海道と云う狭められた範囲ではあるがウトロの漁師さん、積丹の船頭さん、えりもの老獪な昆布取りのお爺ちゃん等の、経験論を基本とした、研ぎ澄まされた見識の方が遥かに説得力及び先見性があり、realityに富んでいる。

ある意味で素晴らしい科学者の提言である様に思われる。

例えば、

道東でブリが定置網に掛かった、

えりも岬で今まで見たことも無い南方系の魚が網に掛かりだした、

日本海でオキアミの大発生etc

そして、師ら曰く、

「いずれ、北海道で魚が獲れなくなっちゃうんだろうか、心配だべ」と。

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2006年10月20日 (金)

ディープインパクト号より禁止薬物

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帰宅後間も無く、日本T放送報道局より、ディープインパクト号より禁止薬物が検出された事に付きインタビューを受ける。

そもそも、ニュース自体が初耳だったので何処まで公開してよいか苦慮したが薬理学の総論的な返答をする。

薬剤の代謝は病的状態、若しくは強いストレス下では自ずから異なる事、競走能力を向上させたり、逆に低下させる事もある。

今回のイプラトロピウムは主に気管支疾患に使用されるが殆んど日本では使用されない事、結果からして出走3-5日前に投与されたものと判断される事等、述べる。

農水省では各国間で禁止薬物項目の違いがベースにある事も一因とし、早速、諸外国と同列化を図る様云々とJRAがコメントを出したらしいがこれは官僚的思考である。

一般的に競走馬先進国と称される?アメリカと異なり、日本のサラブレット種の生産頭数は極端に少ない。

しかし今では名馬と称される優秀なサラブレット種の出現確率は日米とも略、同率だと仮定する考え方がある。

ならば言うまでもない事だが分母数の少ない日本でディープインパクト号の様なスーパーホースを人的要因で問題化させてしまったことは残念な事であり、日本の競馬界に与えた負のイメージは余りにも大きすぎる。

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2006年10月 8日 (日)

秋吉敏子さんに乾杯

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アメリカ国立芸術基金ジャズマスター賞受賞、うれしい事ですね。

世阿弥の’花伝書’に感化され、又、晩年に書かれた宮本武蔵の「おおよそ、兵法というものは、武士の規範云々」で有名な’五輪の書’にも影響を受けその後のジャズ演奏家として、本場の脂ぎったノリに日本特有の感性を加えた、独創性豊かな演奏が評価されたらしい。

NYで現地男性と結婚しているとは云えども、東洋人女性が活動する事は、差別、蔑視の中で大変な事であり正に孤軍奮闘したらしい。

デュークエリントンの音楽に、人としての歴史、黒人としての歴史を学び、そこから日本人としての歴史を自分のジャズに組み込む事により新境地に挑戦したみたい。

それが、小野田寛郎氏が帰還した時にタイムマシンに乗ったサムライと同時に日本武士道と戦争の悲惨さから自分のアメリカでの演奏活動にシンパシーを感じ名曲’孤軍’を発表する。

また、水俣病に侵された町を題材に’インサツ’、’ミナマタ’他を発表する。

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秋吉敏子はこうも言っている。

「私という無力な一音楽家に出来る事は、其の事を記録に残す事である」、と・・・。

けだし、名言である。

愚生にとり、本年最大の喜びである。

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2006年4月23日 (日)

日本語を忘れた人、忘れたい人

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   ★日本語を忘れた人

ここ数日、ウクライナからの元日本兵の帰還が話題となっているが内容はさて置き、岩手県出身のご高齢の方、日本語を約、60年近く使っていなかったらしくロシア語でしか会話が出来ないらしい。
その意味でもお気の毒に思う。

   ★日本語を忘れたい人

オーストラリアへ前回行ったのは確か1995年、メルボルンであった。仕事の事も含め、日本語の全く駄目なオーストラリア人のJ君と、其の友人の日本人で英語の全く駄目な、とあるFMラジオ局アナウンサーで20代前半のO嬢の二人と日本で前もって打ち合わせを行い現地で落ち合う事とした。
御両名は半月程早く行き、遅れて愚生がメルボルンに到着。直ぐにO嬢に電話を入れた所、一生忘れられない以下の迷セリフが返ってきた。

   「ワータシハー.....ニホンゴガ...シャベレマ...セン」

と、真面目にノタマッタのでありました。

この、「バカタレ、日本の恥」、とは言えなかったが.....。

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