2012年10月20日 (土)

田舎道にて

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その昔、ルート66なる国道があった。
愚生はそれについコルベットc1を重ね合わせてしまう。
そこに朴訥で古いアメリカの臭いを嗅ぐがそれはまた白洲次郎とベントレ-1924のようなものなのかもしれない。

今はもうない、その一区間であったニューメキシコ州アルバカーギ/albuquerqueから旧ルート66(現ルート25)を北上するとサンタフェ/santa feに着く。もちろん道中にその昔放映されたノスタルジックな道路、風景も既にない。
ようは純血のムスタング/mustang見たさのドライブだったが時折、粋なランチョの看板を見かけるのみだった。

おおよそアメリカとはおもわれないサンタフェの赤茶色した家々に混じり聖フランシス大聖堂(Saint Francis Cathedral)がある。
The Cathedral Basilica of Saint Francis of Assisiとも称され、12世紀イタリアの片田舎のアッシジで生まれた聖人、とある。

往時、権力を誇った自堕落なローマ教会の中にあって’清貧’を説いた聖フランチェスの思想、行動は時も同じく叡山と対峙しつつその教えを説いた道元のそれを彷彿とさせるには充分であった。

イタリアからはるか大西洋を渡ってアメリカ中西部の砂漠地帯で異彩を放つ聖フランチェスの教えにはネイティヴインディアンも帰依したとあったが愚生にはとても不思議なことである。

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ネイティヴインディアンの信仰する多神教から一神教に改宗、転向するということ、之即ちアニミズムを信仰する北海道のアイヌに対し有珠の善光寺が仏法を説いたことに共通する。

洋の東西、アニミズムと一神教の間に大岩の如くそびえ立つ垣根をいったいどのようにして越えたというのか。
フランチェスはイスラムにおける自身の行動からしてもそのツールを或は持ち合わせていたのだろうか。

同じく、人に仏の教えを説くということは人が本来持ち合わせているであろう信仰の否定であろう。
ならば布教するということはせめて異教を自教と同等か、それ以上に会得、体得しえないと決して行ってはならない’業’であろうことをわきまえた上で法然の弟子らはアイヌに阿弥陀信仰を説いたというのか。
なにより代々変わることなく引き継がれてきた異教徒/アイヌの持つ崇高な霊性の価値、そしてあらゆる生命、山河草木にカムイ/神を宿らせ仏教の原点にも通ずるアイヌの思考法に付いて真摯に向き合い、何度も反芻したのだろうか。

また思想、信仰の転向は時に自身の否定につながりはしないのか、更には誰もが自己を完全にフォーマット出きるものなのか。

アメリカの砂漠の中で突如出くわした教会を前に東洋人として再臨を疑いつつも、浄土の真偽を疑うことなく只念仏を唱える裏側にはどうやら大きな公案が潜んでいるやに思われた。

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安酒にキャビアはよくあう。
復路その安い一品を買い求め、ホテルに戻ってバドワイザー瓶片手にパンの上に盛り付け食するとお味がどうも違う。
よく見るとその一品はcaviarではなく、釣行時に下手な愚生の針に掛かる’カジカ’と’ドンコ’の中間型の体型をした、たしかlumpfish卵と書かれていたと思う。

お魚さんと会話のできた聖フランチェスコの怒りはきっと無粋な愚生に向けられていたのだろう。

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2012年3月27日 (火)

方舟の怪

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ケンタッキー/kentucky行きの便は西海岸に用がない場合、殆どシカゴ・オヘア空港で入国手続きを済まし、数日レキシントン/lexington/kyで過ごす。
その後は自由にmanhattan/nyに飛び骨董屋廻りか、釣り情報次第でカナダでロッドを振り回すか、である。

ある年、そこから北側のシンシナティ/cincinnati/oh方向に行った所に創造博物館/creation museumなるものが出来た。
車を貸すからそこに行ってこいと知人らは勧める。彼らは創造博物館をある種の公園程度にしか思っていないみたいだ。
6日で地球を創られた耶蘇の神さまをあまり信じていないアングロサクソンに何故かある種の安堵感を抱くがきっと少数派だろう。

この創造博物館はクリエーターが6千年前にこの世界をお創りになったと説き、ノアの方舟/arkには何故か恐竜さんも同船させている。
彼等はそのように主張し、信仰する。

「生物は創造主により創られた」と耶蘇が云ったとヘブライ語、英語経由で日本語に変換されている以上、はじめは誤訳ではないかと疑いもした。
その旧約聖書にダウィンは進化論/darwinismという新しい武器で噛み付き、創造論/creationismをケチョンケチョンにやっつけた結果1996年に至り、ローマ法王は進化論を追認せざるをえなくなる。

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キリストが自説を否定されるとは神様の勉強不足であり威信は低下する。
絶対者であり彼らの偉大な創造主のセオリーが完全否定されてはどうにも収まりのつかないのがアングロサクソンである。
自惚れたとは言わないがごく一部のキリスト教原理主義者はその進化すらもインテリジェントデザイン/intelligent decisionに基づいていると勝手に主張する。

nasa宇宙飛行士の多くがその宇宙から’地上に神を観た、神しか創り得ない’と真顔で述べるのも或はその延長線上なのか、だが最先端の科学者でもある宇宙飛行士等は実施する科学と神様の存在に自らの心に整合性を持たせることは果たして可能なのか、そしてそれは一つの同じ神を持つキリスト教、イスラム教、ユダヤ教を信仰する全ての科学者に向けられる問いでもある。
この根源的な疑問を払拭できないがここで問うのは本旨ではない。

そこで憎っくき進化論を徹底否定するために創造博物館を造るところがいかにもアメリカらしいがなんと60%位のアメリカ人はいまだに創造論を信じ、学校で進化論を教える事に否定的な行動をとる親もいる、これも又アメリカなのだろう。
愚生はこの思考を全く理解できない、だが許容はできる。

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しかしここからが問題である。
アングロサクソンのごく一部に信仰とやらから幼稚な保守的主張が出現するのはいただけない。
信仰心から何故かポリティカルに、ある種の驕った輩がゴミ箱のふたを開けるが如き、腐臭漂うオンリーパワー的思考を撒き散らすことがある。

全くもって大きなお世話だがそれはサイイド・クトゥブ著、第三書館出版、「道しるべ」にある、イスラム社会以外は人類の敵と述べ(p,62)、ユダヤ教徒、キリスト教徒は多神教徒になった(p,72)と短絡したサイイド・クトゥブがアル・カイーダ、ウサマ・ヴィンラディンを生み出した原理的思考に共通する。

人はなぜ、心の平安を説く宗教とやらが時として生み出す他者の平安を乱す思想を容認するのか、という古き問いである。

いわしの頭の苦味ばしった上品なお味は焼酎のつまみだけでいいと考える野暮な雲水如きは解を持たない。

禅師のいう、喰うて、漉して、寝て、起きての中に宿る邪正一如、厄介でもあり、面白いところでもある。

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2012年2月22日 (水)

多喜二、世界に出る

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彼方へと飛び去った’プロレタリア’なる単語が一段と切れ味を増して再来、しかし愚生はそのカビ臭さを払拭できない。
昨夜の2012年2月21日、小樽商大主催「小林多喜二記念講演会~21世紀にどうよむか」と題されたシンポジュームが小樽市で開催、拝聴した。
小林多喜二著、蟹工船の出だしの有名なフレーズ「おい、地獄さ行(エ)ぐんだで」の一節からはじまる物語にファリエーロ・サーリス/イタリア、エヴァリン・オドリフランス、マグネ・トリング/ノルウェー、ジョルディ・ジョスティ&小野志津子夫妻/スペイン、ジェリコ・シプレス、 ヘザー・ポーウェン=ストライク、サミュエル・ベリー/アメリカらの優秀な日本文学翻訳家が集まり、それぞれが冒頭の数行を自国語で朗読させられていた。意味不明な舶来語を聴衆に強制的に聞かせても全く時間の無駄、それより翻訳家のあまり販売部数が伸びそうにない蟹工船にこだわる現代的意味を聞きたかった。

ステージ右横には多喜二の写真が飾られ、好みとはいえ意味深げに何故か真っ赤なバラだけが添えられていた。バラにはいろんな色があっていい。

講演者のシカゴ大学教授ノーマ・フィールド女史(Norma M Field)は自らのおばあさんが小樽出身の日本人だという。
昨年、ワシントンスクェア/nyで起こった’ウォール街を占拠せよ’を例に、デモ隊に対して棍棒を振り回す警官(アイリッシュ系の薄給と思われる/愚生注)の心模様は多喜二著、『1928年三月二十五日』の中で「警官の俺だって、本当のところは君等のやっている事がどんな事か位は、実はちぁんと分かっているんだが・・・」と既に警官に言わせていると語る。
また女史は「生命と生活の乖離を乗り越えるには』と題して、多喜二は命がけの運動を続けて絶命した。反・脱原発運動に触れて抗議すること、人権を主張することは贅沢なのだろうか、だとしたらその贅沢をもっと公正に分配するには・・・と現代日本の重い命題をきれいな日本語でさり気なく語るところがなんとも憎いではないか。
ノーマ・フィールド女史あっての多喜二でもあろう、日本人は決して女史を忘れてはならない。

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この『蟹工船』がこれから世界的に読破されるに至ってそこから主体的な行動がうまれるとは到底思えないがさりとて単なる’知識の肥やし’で終えるとも思えない、期待とともに冷めた眼でことの成り行きを見てみたい。

本講演は最後までイデオロギー、torture、社会的なヒエラルキーといった単語は飛び出さなかったがそれを痛いほど感じさせるスマートな講演であった。
しかしスマートと言ったところで時代に追従する論は掃いて捨てるほどあっても巨大な時代という大壁を飛び越える生き生きとした論には早々巡り合えるものではない。
なにより多くの論、著書は移り気な世間によってそのほとんどは消え去る宿命を持つ以上、北海道の田舎町より世界へと発つ多喜二の面目たるや如何に。

また、現代社会に対し文学は如何程の力になりえるのかという問いであり、優勝劣敗化した人間がまだ僅かに持ち合わせているであろう理性とやらへの問いかけとも聞こえた。

小樽商大もセクトを超えてたまにはよい事もする。

帰宅後、同席した我が奥方に感想をお伺いすると小樽のかまぼこ、買うのを忘れた、とだけのお答だった。

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2012年1月27日 (金)

テキサスの大風呂敷

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テキサス/texasといえばサンアントニオ/san antonioが思い出深い。
アラモの砦がありそこにはインディアンと闘った幼年兵の辞世の言葉も記されていた。
メキシコ国境近くに行くほどメキシカンを多く見かけるのんびり風がいつも吹いている、だだっ広い、いたって刺激の少ない土地柄という印象がある。

御地を何度か訪れた際にお世話になった方がいる。
帰国後、日本的想いを込め、お礼のしるしとして花柄模様の大きな風呂敷を送付、快く受けてくださった。
くれぐれも使用法を間違わないようにと但し書きを添付して!
しかし物を包む習慣のないアングロサクソンである、やはり大間違いは起こった。その女性は日本のネッカチーフとしてその大きな風呂敷を首に巻いて通勤しているとか。
まるで日本の屋台のおばちゃんと同じだが仮にその大きな風呂敷で頭を覆おうと腰に巻こうとご本人がお気に入りならそれで良い。愚生はただ笑いを堪えていればそれで済むことである。

お住まいはアーリントン市、ご多分に漏れず人種のるつぼである。
またテキサスレンジャーズ/texas rangersの本拠地でもあり今、ダルビッシュ有投手のトレードで盛り上がっているとか。

そのダルビッシュは血族的には日本人の母に生まれ日本で育ったらしい。
今、’がんばれヤマト魂’一色の報道は正直なファン心理を代弁しているにしてもダルビッシュ自身それを受容しているのか、迷惑と思っているのか、ダルビッシュのアイデンティティ/属性/identityを愚生は知らない。
そもそもナショナリティとアイデンティティは一致すると短絡した島国的思考が生み出すごった煮の如き報道姿勢は如何なものか。

もしも外貌はアイデンティティの吐露だとするなら、ダルビッシュのひげは伊達ではないのですぞ、ファンのみなさーん!!

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生物学的な日本人、はるか昔にハイブリット化している日本民族とやらのアイデンティティ/拠り所をなお血族に求めるのも、また出生地に求めるのも好き好きだろう。
また我々は日本人というアイデンティティをいつの時代まで遡って考えているのか興味深い。明治以降か、中世か、弥生時代か、縄文か、或は二十数万年前のアフリカに求めるか、果ては数百万年前の類人猿に求めるのか、それこそAKBからチョンマゲ、お猿さんまで色々ある、さてどれを選んでいるのか。

しかし我々は’日本人’というアイデンティティを他国の民族に押し付けた愚かさを戦争より学習した筈である。

また北海道には維新という大革命で蝦夷に渡った喰いっぱぐれのサムライどもが先住者に仕出かしたとんでもない悪行、つまりアイヌ民族のアイデンティティを剥奪し、つい最近まで彼らを土人と蔑んだ醜い歴史がある。勿論、喰いっぱぐれた御先祖様の子孫が宣う矛盾は承知の上である。

余談だが北海道には腹案という大風呂敷をおっぴろげて日本政界のカオスを見事に演出しているノーテンキな御方がいる。
自らのアイデンティティは宇宙人と名乗る気楽な御仁に効く妙薬を誰か持ってないか。

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2011年12月10日 (土)

イマジンの六番目の歌詞

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manhattan/nyの72丁目、交差点近くのセントラルパークにストロベリーフィールズ/strawberry fieldsがある。そこにイマジン/imagineの碑が埋まっている。
初めて行った時は見つけられず、翌年も地面に立つモニュメントを想像して探し回ったが見つけられず、道行く人に尋ねたら愚生の足元を指差して先方共々大笑いした。
学生時代によく流れていたビートルズの曲、行けば何故か必ずそこに寄り道して暫しの間ベンチに座る。
公園を行き交う人々の表情にアングロサクソン特有の笑顔が年毎に遠のいてゆくのが実感される。
ニッケル硬貨を一枚置くのが習慣になってしまったがべつに他意はない。

imagine、つまり想像してみろってこと、no heaven/no countriesと当たり前のことを歌っているだけの事である。
しかし9.11ny/nyテロ以降、自由のお国において愚かな事に一時発禁となった

十年以上経過した今、イラン人を父に持つ日ハムのダルビッシュ有が大リーグを目指し、その指名希望の球団にny/yankeesの名もある。
理由はいたって簡単、アラブ系の人々も観客として動員することも一因とか、まさに人の世は移りにけりな、である。

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ジョン・レノン亡き後、オノ・ヨーコは人種という強烈な壁にぶつかりはしたが濃厚で脂ぎっていた1960-70年代を象徴する人物でもあった。

「銀のしずく」知里幸恵記念館設立へ向けて北大の小野有五先生との縁も関連しているのか、オノ・ヨーコ自身も賛同者に名を連ねていた。

もしもimagineに第六番目の歌詞があったならno racism/の一語が入っていたかもしれないなどと勝手に思う事もある。

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2011年12月 5日 (月)

ゼロ戦が飛んできた日

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確か1970年代だったのだろうか、アメリカ本土より帰国の途中オアフ島に寄り、カラカウワ通りに面したホテルで数日過ごした事がある。今そのホテルはマリオットと名称は変わったが当時はたしかリージェントホテルではなかったろうか。

当時、50歳代のある日系ルームメイドさんがベッドメーキングの際、西方のホノルル国際空港があるパールハーバー上空を指差し「三十数年前の12月7日、日曜日の朝、日本軍のゼロ戦がいっぱい飛んできました、湾に停泊していた船が沢山燃え、とても怖かったでした」と自らの目で見た真珠湾攻撃の惨状を英語混じりのたどたどしい日本語で説明して下さった事が今も心に残っている。

今思えば彼の地の日本人、日系人等がその後に蒙った被災に対して労わりの一言も発っしなかった同系の一人として恥ずべき事でもあった。

日米間で軍事的緊張の高まる1941年、日本の軍港より主力戦艦、空母の全てがいなくなった事、またハワイへ向かう日本の大艦隊をアメリカは知らなかったとする公式の見解を自海軍基地の甚大な損失からしてもこの先もきっと変えないだろう。

うすうす急襲を知りつつ、加えてdeclaration of warの遅れがremember the peal harborのフレーズを見事に作り上げたが稚拙な日本の政治手法を手玉に、嫌戦的国民に好戦的ナショナリズムを芽生えさすには充分過ぎる演出であった。

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今、アメリカをとやかく云うのではなく、勝算なき戦争に突進した往時の政治スタイルとisd条項すら認識していなかった現政権がtppを推し進めるその政治スタイルは余りにも似通っている。
往時の日本海軍、そして現政権も戦略的思考、技術が決定的に欠け、行動の殆んどがアメリカ政府の意のままに操られていることも共通している。
他に選択肢は多々あるにも関わらず、親米、保守がうたい文句の大半の松下政経塾出身者がデフォルトに向かいつつあるアメリカに対し、将来の吉凶が全く予想すら出来ない博打ち的手法を選択したことになる。

画像でしか知らない戦後の焼け野原の残像と、予想される薄ら寒い将来の仮想現実がダブって見えるのは愚生だけではあるまい。

それはtpp参加決定に対してではなく政治の恐ろしいほどの無能化、劣化でありその根っ子には今の政治家のあやふやな国家感が透けて見える故なのかもしれない。

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2011年11月 9日 (水)

アリをやっつけた男

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今と違って昔のヘビー級の試合は華があった、しかも個性的な役者も揃っていた。
その主役はなんといってもMuhammad Ali /モハメド・アリ/カシアス・クレイだろう。

しかし愚生は何故かアリが子供の頃より大嫌いだった。
別にイズラムに改宗したからではい、マンハッタンでタクシーに乗るとコーランとジャズがラジオと安っぽいラジカセから同時に流れている事もしばしばで、もちろん運転手さんの名前はモハメド・アリなんたらが殆どだが別に違和感はない。

華があるということは毒もあると一概には云えないものの、アリのあの放言癖、横柄な態度がたとえカメラに向けたポーズだったにしてもどうにも我慢ならなかった。

従ってアリをやっつけた男は誰でもが愚生の大ヒーローという今に至る単純すぎる頭脳回路はこの時既に出来上がっていたのかもしれない。

さしずめ、その大ヒーローはJoe Frazier /フレイジャーとLeon Spinks /スフィンクスだろう。

今でもはっきり覚えている。
当時の白黒アナログテレビに写し出された、不可思議な海外同時放送とやらを食入るように観戦、アリが勝つと直ぐにチャンネルを変えた。
逆にこの両者がそれぞれアリをやっつけた時などは、翌日の全国主要紙、スポーツ新聞を全紙買い込み、周囲の呆れ顔、冷たい視線をものともせず何度も読み耽り、至福の時にひたった鼻ったれ時代があった。

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昨日のabc newsに以下の文が載った。

” Ali said, “It was the closest I’ve come to death.”

“The world has lost a great Champion. I will always remember Joe with respect and admiration. My sympathy goes out to his family and loved ones,”  Ali said Monday.

開高 健の云った「男を熱中させるものは危機と遊び」をそのままを実行した男の中の男だった。

ヨーッ、世界一、フレイジャーにカンパーイ!!

と、風呂上りに書き始めて只今深夜、キーボードを叩く指につい力が入り過ぎたのだろう、直前まで外で啼いていたフクロウの声が聞こえなくなった。
こやつ、ミネルバへ深夜のお帰りか!!

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2011年5月 4日 (水)

何処に正義があるのか

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ソ連がイスラム圏であるアフガンに侵攻した時、ビンラディンはその異教徒を駆逐するため闘う。その背後でアメリカCIAはイスラム側につきビンラディンを援助しソ連と対峙した。
民族性もさることながらジハードの思想を持った戦士は勇敢なのだろう、ときにソ連兵士より切り取った頭部をサッカーボール代わりに戯れるアフガン兵士の画像を流し続けるとソ連兵士の士気はいっきに落ち込み、やがて退却、ソ連邦解体へと向かった。

2000年ny9,11テロでビンラディンは黒幕とされ10年後の今日、遂に射殺の報にオバマは「正義は行われた」とコメントし、続いてマンハッタン、グランド・ゼロでの馬鹿騒ぎが放映される。

しかしオバマは冗談を言ってはいけない、いったい何処に正義があるのか、正義の何たるかを理解しているのか、ビンラディンを殺す事と正義は関係あるのか。
そもそもビンラディンの様な怪物をつくったのはアメリカではなかったのか。
またabc newsにもOsama bin Laden Killed: 'Justice Is Done,'の活字がおどっていたがここにもアングロサクソンの思い上がり、そしてイスラムに対する露骨な上からの目線が鼻につく。

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愚生如きには1960-1970年代の永田洋子が思い起こされる。
過激なテロを用いたその手段はやがて支持を失うが一時期ヒーローと目され、ある時期多くの若者はシンパシーを感じた筈である。
オバマの露骨な選挙対策なのだろう、その得意げな表情、続いて映し出されたビンラディンの澄んだ眼、イスラムfundamentalistとしてイスラムに対する純粋な想い、そして既に忘れ去られてしまった永田洋子の往時のあまりにも稚拙な世界同時革命論など、それら三者に共通してある「大義」なるものが見え隠れしている。

為政者なるもの、せめて「正義」と時にころころ変わる「大義」はまったく違う事を自覚せねばなるまい。

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2011年1月 2日 (日)

リーマンショックのはるか前

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Macy's/NYでは昨年末もクリスマスバーゲンで賑わっていた。
ずいぶん前、尾形光琳の八つ橋図屏風をメトロポリタン美術館で見、その真ん前からバスで5番街を適当に南下し当時まだあったWTC辺りを目指していた所、愚生の右横にスタイルの良い黒人の若い女性が、さらにその右横にブロンドのこれ又お美しい黒のコートにシルバーのネックレスがとってもお似合いなモンローもどきの美人が座っていた。

煩わしいかみさんは数席離れていたので、これ幸いと中を飛ばして白人女性に適当に行き先のバス停をたずねた所、お節介なことに真ん中の黒人女性も会話に割って入ってきちゃった。これは想定外だったがしばし楽しい会話であった。

やがてティファニーが目にはいりお二人に別れを告げて急遽バスから降りると、後ろから呼び止められ、振り向くと間をおいてイタリア人街に行く筈の黒人女性もなぜか降りてきた。

そしてここは目的地じゃないですよ、とアドバイスしてくれた親切心あふれるニューヨーカーだった。きっととんでもない英語を話す日本人をさぞかし心配してくれての事だろう、丁重にお礼を述べたらかみさんが怪訝な顔をしていた。

ユダヤ系証券会社リーマンブラザーズの倒産、所謂リーマンショックによる激震のはるか前、9.11テロの直前の事で今の様な懐疑的で暗い表情とは全く違うニューヨーカーの温和な表情が印象的でもあった平和な頃の一シーンが懐かしい。

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神様の沢山おられる日本と異なりアメリカのようにお一人の神様しか存在しえないお国では両極が対立した場合、他を徹底的にぶっ壊す、しかしその後に形成される統合された国の体制はあまりにも薄っぺらで脆い事は何より歴史が証明していることだがキリストを信ずる人々はそれが根源的な病であろうことはアングロサクソンならずとも知っている事でもある。

アマテラスとスサノオが喧嘩しても片方が出雲という所で生き永らえるということは決して排除の論理ではなく、微妙ながらも実に見事なバランス感覚であり、日本神話の中にも見られる。西欧では考えずらい事だろうがそれは今でも廃れてはいない日本の誇るべき文化ではないだろうか。

アングロサクソン中心の世界がイスラムの問題を解けないでもがいているが過去にonly powerでヴェトナムにいどんでも問題解決出来なかった史実をアメリカは全く学習していないとはたしか小田 実の至言だったか。

時代錯誤も甚だしいがひょっとしてその解決のヒントは不完全ながらもアイヌ神話、日本神話、そしてケルト神話の中に隠されているのかもしれない。

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2010年9月21日 (火)

スーパーサーモンついに登場

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日高山脈の山奥で出会うオショロコマ、イワナの美しさはしばし時間を忘れさせ、下手な釣り師の持つ釣り針にぶら下がった素晴らしい体型、斑文には太古のにおいを感じさせ、気品さえただよう。
同様にバンクーバー湾で釣ったピッカピカのキングサーモン、そして何となくブラウントラウト似のケベックのアトランティックサーモンも夫々美しい魚体を併せ持つがなんと両遺伝子にウナギ遺伝子を組み合わせたお魚さんがアメリカで出現した。

ここ、数日来、同属のサーモンを用いたスーパーフィッシュ登場にアメリカabc worldnewsは、franken-fish登場だの、monster-fish登場の過激な表現で遺伝子組み換え(genetically engineeredまたはgenetically modified)サーモン を取りあげている。

AquaBounty Technologies社の基本作製方法は大西洋のアトランティックサーモン由来の遺伝子を組み換え、それにウナギのanti-freeze遺伝子由来のdnaと、別の無関係な太平洋由来のキングサーモンから抽出した成長ホルモン遺伝子を人工的に結合させたと要約される。

このGE salmonはスーパーサーモンとも呼ばれ成長率は従来のシャケのなんと2倍、生殖能力は欠如、ペンの中でのみ養殖されるらしいが他メディアも揃ってsomething fishy?の大合唱と相成った次第。

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FDAの法の不整備をかいくぐって飼料効率を追い求めた結果にしても、従来の牛肉、豚肉よりも鶏肉にほうが断然生産コスト安の論理同様に、究極の方法であろう’属の壁’を取っ払って人工的に造られた巨大魚、GEもしくはGMサーモンのご登場にホワイトハウス周辺では反対デモも行われているらしい。

仮に自然界では無害と証明されても、人体に対する確実な無害の証明など到底無理にもかかわらず、なし崩し的に将来FDAが認可すれば天然モノ、養殖モノに加えて遺伝子組み換えモノとでも表示され出回るのだろう。

21世紀以降、人口が100億人を超えるとなればなにやら沢山の怪しげな動植物由来の喰いモノとも共存せざるを得ないのかと少し妥協しつつも、BSEには何故かおおらかなのに対し、GEサーモンには厳しい姿勢で臨む食文化の欺瞞にアングロサクソンは自己矛盾を感じないのだろうか。

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