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<title>与作と釣り in 北海道</title>
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<description>近眼、心眼、自然、動物、旅行、釣りetc</description>
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<title>寅さん、再来</title>
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<description>どこかの飲料水の宣伝にしても、分厚いマル眼鏡の奥に鎮座する人懐っこくて、たれたオ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/04/03/imgp3687.jpg&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/04/03/imgp7932.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp7932&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp7932&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/04/03/imgp7932.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;190&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;どこかの飲料水の宣伝にしても、分厚いマル眼鏡の奥に鎮座する人懐っこくて、たれたオメメがなんとも好いではないか。&lt;br /&gt;寅さんが義理と人情を背負って代受苦、すっかり忘れちまっていたが、ろくでもねえ此岸にけえって来た。&lt;br /&gt;リチャード・ギア/richard geere？の西洋と東洋のごちゃ混ぜ思想がなせる業か。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;活字では決して得られない、屁理屈抜きで日本人を久々に和ませてくれる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その心意気やよし、褒めてやる！！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ついでに’それを言っちゃーおしめえよ’と国会のろくでもねえ居候に向かって啖呵のひとつでも切ってみろ、と言いたくもなる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;和の国では御天等さまの’天’という字がいつの間にか’自由’という字に置き換わり、寅さん御存知の娑婆も今ではみみっちくしょぼくれ、自信喪失の典型的な症状である、見栄とうぬぼれが闊歩する、みすぼらしいご時勢を寅さんはさぞかし嘆いている事だろうよ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;寅さんは’天と自由’という単語がもつ、黙した象徴的価値の変化を感受性の劣化した間抜けな現代人はきっと気付かねえだろうと思っているに違いあるめぃ。&lt;br /&gt;・&lt;br /&gt;・&lt;br /&gt;ん、まぁいいや、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それにしてもいい男だね、&lt;br /&gt;・&lt;br /&gt;・&lt;br /&gt;イョォー、女ったらし！！&lt;br /&gt;・&lt;br /&gt;言葉は人格なり、か。・・・・ギアさん、ごめんな、！&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>コラム</dc:subject>

<dc:creator>よさく</dc:creator>
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<item rdf:about="http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-dc15.html">
<title>方舟の怪</title>
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<description>ケンタッキー/kentucky行きの便は西海岸に用がない場合、殆どシカゴ・オヘア...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/03/27/imgp9635.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp9635&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp9635&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/03/27/imgp9635.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;262&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;ケンタッキー/kentucky行きの便は西海岸に用がない場合、殆どシカゴ・オヘア空港で入国手続きを済まし、数日レキシントン/lexington/kyで過ごす。&lt;br /&gt;その後は自由にmanhattan/nyに飛び骨董屋廻りか、釣り情報次第でカナダでロッドを振り回すか、である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ある年、そこから北側のシンシナティ/cincinnati/oh方向に行った所に創造博物館/creation museumなるものが出来た。&lt;br /&gt;車を貸すからそこに行ってこいと知人らは勧める。彼らは創造博物館をある種の公園程度にしか思っていないみたいだ。&lt;br /&gt;６日で地球を創られた耶蘇の神さまをあまり信じていないアングロサクソンに何故かある種の安堵感を抱くがきっと少数派だろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この創造博物館はクリエーターが６千年前にこの世界をお創りになったと説き、ノアの方舟/arkには何故か恐竜さんも同船させている。&lt;br /&gt;彼等はそのように主張し、信仰する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「生物は創造主により創られた」と耶蘇が云ったとヘブライ語、英語経由で日本語に変換されている以上、はじめは誤訳ではないかと疑いもした。&lt;br /&gt;その旧約聖書にダウィンは進化論/darwinismという新しい武器で噛み付き、創造論/creationismをケチョンケチョンにやっつけた結果１９９６年に至り、ローマ法王は進化論を追認せざるをえなくなる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/03/27/imgp9141.jpg&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/03/29/imgp2278.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp2278&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp2278&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/03/29/imgp2278.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;260&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;キリストが自説を否定されるとは神様の勉強不足であり威信は低下する。&lt;br /&gt;絶対者であり彼らの偉大な創造主のセオリーが完全否定されてはどうにも収まりのつかないのがアングロサクソンである。&lt;br /&gt;自惚れたとは言わないがごく一部のキリスト教原理主義者はその進化すらもインテリジェントデザイン/intelligent decisionに基づいていると勝手に主張する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;nasa宇宙飛行士の多くがその宇宙から’地上に神を観た、神しか創り得ない’と真顔で述べるのも或はその延長線上なのか、だが最先端の科学者でもある宇宙飛行士等は実施する科学と神様の存在に自らの心に整合性を持たせることは果たして可能なのか、そしてそれは一つの同じ神を持つキリスト教、イスラム教、ユダヤ教を信仰する全ての科学者に向けられる問いでもある。&lt;br /&gt;この根源的な疑問を払拭できないがここで問うのは本旨ではない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そこで憎っくき進化論を徹底否定するために創造博物館を造るところがいかにもアメリカらしいがなんと60％位のアメリカ人はいまだに創造論を信じ、学校で進化論を教える事に否定的な行動をとる親もいる、これも又アメリカなのだろう。&lt;br /&gt;愚生はこの思考を全く理解できない、だが許容はできる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/03/27/imgp9610.jpg&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/03/29/imgp2269.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp2269&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp2269&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/03/29/imgp2269.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;263&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;しかしここからが問題である。&lt;br /&gt;アングロサクソンのごく一部に信仰とやらから幼稚な保守的主張が出現するのはいただけない。&lt;br /&gt;信仰心から何故かポリティカルに、ある種の驕った輩がゴミ箱のふたを開けるが如き、腐臭漂うオンリーパワー的思考を撒き散らすことがある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;全くもって大きなお世話だがそれはサイイド・クトゥブ著、第三書館出版、「道しるべ」にある、イスラム社会以外は人類の敵と述べ(p,62)、ユダヤ教徒、キリスト教徒は多神教徒になった(p,72)と短絡したサイイド・クトゥブがアル・カイーダ、ウサマ・ヴィンラディンを生み出した原理的思考に共通する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人はなぜ、心の平安を説く宗教とやらが時として生み出す他者の平安を乱す思想を容認するのか、という古き問いである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いわしの頭の苦味ばしった上品なお味は焼酎のつまみだけでいいと考える野暮な雲水如きは解を持たない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;禅師のいう、喰うて、漉して、寝て、起きての中に宿る邪正一如、厄介でもあり、面白いところでもある。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>アメリカ</dc:subject>
<dc:subject>コラム</dc:subject>
<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>よさく</dc:creator>
<dc:date>2012-03-27T21:32:08+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-ecc6.html">
<title>君が代/吉本隆明のこと</title>
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<description>吉本隆明の訃報に’君が代’が頭をよぎった。 日本人の皇室に対する、あたかもコンパ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/03/16/imgp1766.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp1766&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp1766&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/03/16/imgp1766.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;180&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;吉本隆明の訃報に’君が代’が頭をよぎった。&lt;br /&gt;日本人の皇室に対する、あたかもコンパニオンアニマルに対する生殖、繁殖を乞うが如き病的思考様式がある。&lt;br /&gt;それは強烈なストレスとなって宮中の皇后、妃殿下に極度の心労をもたらし、それに起因するそれぞれの精神障害は一国民として見るに忍びないが槍の如き意見は浴びせ続けられる。&lt;br /&gt;皇室のファッションを取り上げる女性週刊誌から国体論のてっぺんに位置すべきを絶対のテーゼとする脂ぎった御仁まで自由のお国とはいえ、何故か忍びない世相でもある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そもそも明治期に至り、それまで午睡を楽しんでいた大君を突如万系一世という大うそを持って担ぎ出し、覚醒せぬ間に現人神に祭り上げ、それこそ神様役から大元帥役、果ては象徴役にいたる様々な演技をして頂いていると言うべきか、或はいまだにさせていると言うべきか人それぞれだろうがその阿呆らしさを知るほど’君が代’の’君’が持つ意味、つまり’大君’を歌詞に込める見え透いた欺瞞はある意味、腹立たしい。&lt;br /&gt;それを一番熟知しているのが或は皇室の住民なのかもしれない。&lt;br /&gt;皇室の住民はそれをはたして自然体で聞いているのだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２１世紀に至り、宮内庁に多額の国費を注ぎ込み、従前通りの国事行為、神様役を演じていればそれで済む時代では既にない。&lt;br /&gt;今はまだ誰も口には出さねど、上記のような外貌に集中する好奇な目線、或はティーパーティの絶対者の存在の如く偏狭な国粋思想家がそれをして絶対的存在とのたまう愚行が続けば天皇制の存否を問う日が来るのを早めるだけのようにも思える。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/03/16/imgp1489.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp1489&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp1489&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/03/16/imgp1489.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;256&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;また識者の中には宮中の住民に人権はないと言う、確かに一理はあるが発言する事は慣例上許される。ならば日本人たるもの歌う側の屁理屈をこね回すだけでなく、歌われる側の論も聞いてみようではないか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;天皇に訊け、皇太子に訊け、そして必要ならもう少し明るく、なじみやすい唱に変えればよい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;戦争を終えて尚’君が代’を国歌として遺残させた輩は天皇制存続という強い意味合いを歌詞に込め、宮中の住民等のいう’開かれた皇室’という言説にも同じく皇室のサバイバル臭を多くの日本人は嗅ぎとるがそもそも天皇なるものと、制度としての天皇制は全くの別物であり、後者を全ての日本人が肯定しているわけでは決してない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;文明史観として天皇制はなくなったほうがいいが天皇主義の深層はなくならないと述べた吉本隆明『天皇制の基層、本人&amp;amp;赤坂憲雄共著より』、またそれとは真逆に日本文化のど真ん中に天皇をすえ、それを思想、行動の原点とした三島 由紀夫が憂いたものは将来の天皇制の劣化であったが共に的を的確にえている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;君が、君を案じ、君の将来のために’開かれた皇室’を演ずるのであればまず’君が代’は変わらなければならない。&lt;br /&gt;それを一歩として両極に座した者等が賑やかな議論を再開するのも御苦労な話だが大思想家の吉本隆明、三島 由紀夫の心境やいかに。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なにより橋下大阪市長の参議院不必要論を掲げるくらいの発言力があるならば’君が代’を変えろというのは容易いことでもあり、法律を守れなどと空疎な能書きをたれるよりは日本人の優れたバランス感覚を内に持つ常識を優先すべきである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;責は’君が代’にある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;常識をわきまえた人はそんな如何わしい唱を歌わない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;歌わない彼等に非はまったくない、橋下さん！&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>コラム</dc:subject>
<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>
<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>よさく</dc:creator>
<dc:date>2012-03-16T20:48:22+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/1984-22db.html">
<title>グループ1984考/つづき</title>
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<description>グループ1984著、「日本の自殺」の主な項目は「日本没落の予感」、「ローマ帝国滅...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/02/25/imgp8057.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp8057&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp8057&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/02/25/imgp8057.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;247&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/1984-9899.html&quot;&gt;グループ1984著、「日本の自殺」&lt;/a&gt;の主な項目は「日本没落の予感」、「ローマ帝国滅亡との類似」、「危機は日本人の中にある」、「豊かさの代償」、「現代文明がもたらす幼稚化」、「デマによる集団ヒステリー」、「戦後民主主義の弊害」等々である。&lt;br /&gt;最後にあらゆる症候からして日本社会内部に強力な自壊作用のメカニズムが働いていること、このメカニズムを除去しえない限り日本は駄目になると明記している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;37年前に出された本論は見事に今を見越していた、まさに慧眼の極みとは本論のことを指すのかもしれない。&lt;br /&gt;ならば近未来の国家像は仏眼にどのように映っているのか。ギリシャをはるかに超える可能性も秘め、あまりの惨状に仏はその眼を閉じているのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現代の若者像について山内昌之は「21世紀のパンとサーカスに抗して」と題した文中に、鍛錬やしつけを受けない若者が国際社会に雄飛できるはずもない。やがて若者は就職できない状況を嘆き社会にルサンチマンを感じ、政府に不満だけをぶつける存在に退化するであろうと述べている。&lt;br /&gt;また石原慎太郎は田中慎弥著『共喰い」の芥川賞選評に寄せ「自我の衰弱」と題した中でこの国の自我の衰弱は最近の文学作品も同様で描かれる人間達のほとんどがちまちまとひ弱く、横並びの印象と述べている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それやこれや政界を含め社会内部で起こっている症候は自壊作用のメカニズムが働いていると指摘する本論は一読に値する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/02/25/imgp8030.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp8030&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp8030&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/02/25/imgp8030.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;258&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;思い起こせばバブル期、世界に流通するお金の３０％近くを集め鼻高々だった日本人、アズナンバーワンと煽てられ、manhattanの不動産を手当たり次第に買い漁って顰蹙を買い、本邦では見境なくダムだ、道路だと公共事業とやらに湯水の如くお金を注ぎこんだ結果のなれの果てだろう。&lt;br /&gt;それを良しとした多くの懲りない日本人は国家存亡の危機にもかかわらず、今もなお新幹線をもっと作れ、交付税をもっとよこせなどと悪平等主義を盾に、凄まじい個人エゴ、地域エゴを繰り返す心情はある意味で極道と一緒である。&lt;br /&gt;こんなことが長続きすることはないと皆知りながらである、まさしく危機は日本人の中にある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いにしえ人がこれだけは守れと残してくれた’足るを知る’を猫も杓子も忘れっちまい、魂の内側と社会の深部から幼稚化し腐敗しきっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それはいらないと誰一人言わず、あるに越したことはないと誰もが言う。論、湿、寒、貧の思想から質素、清貧を尊んだ日本人、このこころ模様は本来の日本人の姿では決してない。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>コラム</dc:subject>
<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>よさく</dc:creator>
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<item rdf:about="http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-cc24.html">
<title>多喜二、世界に出る</title>
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<description>彼方へと飛び去った’プロレタリア’なる単語が一段と切れ味を増して再来、しかし愚生...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/02/22/imgp9153_2.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp9153_2&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp9153_2&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/02/22/imgp9153_2.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;246&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;彼方へと飛び去った’プロレタリア’なる単語が一段と切れ味を増して再来、しかし愚生はそのカビ臭さを払拭できない。&lt;br /&gt;昨夜の2012年2月21日、小樽商大主催「小林多喜二記念講演会～21世紀にどうよむか」と題されたシンポジュームが小樽市で開催、拝聴した。&lt;br /&gt;小林多喜二著、蟹工船の出だしの有名なフレーズ「おい、地獄さ行（エ）ぐんだで」の一節からはじまる物語にファリエーロ・サーリス/イタリア、エヴァリン・オドリフランス、マグネ・トリング/ノルウェー、ジョルディ・ジョスティ&amp;amp;小野志津子夫妻/スペイン、ジェリコ・シプレス、　ヘザー・ポーウェン＝ストライク、サミュエル・ベリー/アメリカらの優秀な日本文学翻訳家が集まり、それぞれが冒頭の数行を自国語で朗読させられていた。意味不明な舶来語を聴衆に強制的に聞かせても全く時間の無駄、それより翻訳家のあまり販売部数が伸びそうにない蟹工船にこだわる現代的意味を聞きたかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ステージ右横には多喜二の写真が飾られ、好みとはいえ意味深げに何故か真っ赤なバラだけが添えられていた。バラにはいろんな色があっていい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;講演者のシカゴ大学教授ノーマ・フィールド女史（Norma M Field）は自らのおばあさんが小樽出身の日本人だという。&lt;br /&gt;昨年、ワシントンスクェア/nyで起こった’ウォール街を占拠せよ’を例に、デモ隊に対して棍棒を振り回す警官（アイリッシュ系の薄給と思われる/愚生注）の心模様は多喜二著、『1928年三月二十五日』の中で「警官の俺だって、本当のところは君等のやっている事がどんな事か位は、実はちぁんと分かっているんだが・・・」と既に警官に言わせていると語る。&lt;br /&gt;また女史は「生命と生活の乖離を乗り越えるには』と題して、多喜二は命がけの運動を続けて絶命した。反・脱原発運動に触れて抗議すること、人権を主張することは贅沢なのだろうか、だとしたらその贅沢をもっと公正に分配するには・・・と現代日本の重い命題をきれいな日本語でさり気なく語るところがなんとも憎いではないか。&lt;br /&gt;ノーマ・フィールド女史あっての多喜二でもあろう、日本人は決して女史を忘れてはならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/02/22/imgp2556.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp2556&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp2556&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/02/22/imgp2556.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;211&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;この『蟹工船』がこれから世界的に読破されるに至ってそこから主体的な行動がうまれるとは到底思えないがさりとて単なる’知識の肥やし’で終えるとも思えない、期待とともに冷めた眼でことの成り行きを見てみたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本講演は最後までイデオロギー、torture、社会的なヒエラルキーといった単語は飛び出さなかったがそれを痛いほど感じさせるスマートな講演であった。&lt;br /&gt;しかしスマートと言ったところで時代に追従する論は掃いて捨てるほどあっても巨大な時代という大壁を飛び越える生き生きとした論には早々巡り合えるものではない。&lt;br /&gt;なにより多くの論、著書は移り気な世間によってそのほとんどは消え去る宿命を持つ以上、北海道の田舎町より世界へと発つ多喜二の面目たるや如何に。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、現代社会に対し文学は如何程の力になりえるのかという問いであり、優勝劣敗化した人間がまだ僅かに持ち合わせているであろう理性とやらへの問いかけとも聞こえた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小樽商大もセクトを超えてたまにはよい事もする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;帰宅後、同席した我が奥方に感想をお伺いすると小樽のかまぼこ、買うのを忘れた、とだけのお答だった。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>アメリカ</dc:subject>
<dc:subject>コラム</dc:subject>
<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>よさく</dc:creator>
<dc:date>2012-02-22T17:25:42+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/1984-9899.html">
<title>グループ1984考</title>
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<description>海外の大きなコンベンションでは必ずと言っていいほど何処から見ても日本人と分かる一...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/02/18/imgp3675_2.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp3675_2&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp3675_2&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/02/18/imgp3675_2.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;174&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;海外の大きなコンベンションでは必ずと言っていいほど何処から見ても日本人と分かる一団がいる。他と交わらない、会議からアフター５まで然り、レストランでテーブルにディッシュが届いてもありがとうの一言すら発せず、時差も影響しているかほとんどの皆さんは仏頂面である。&lt;br /&gt;まして学会長をつかまえて議論など殆んどないに等しいが帰国後、各々が所属する組織に提出される復命書を見せて頂くと立派な出来栄えだがこれも似通っている。&lt;br /&gt;他人の目は異常なまでに気にする、しかし他人には興味を持たないというこの奇妙な二重構造は21世紀に至っても日本人のdnaに遺残し変異しそうにない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自ら日本人というアイデンティティを取っ払ってその生態を眺めると実に興味深い。&lt;br /&gt;それはまるで動物園のペンギンちゃんの行進然りある。&lt;br /&gt;先頭に立つペンギンちゃんはただマニュアル通り直行するだけ、２羽以降は眠そうなおめめでぼんやりと無思考で追随するだけでおいしい餌にありつける。&lt;br /&gt;それを観た来園者は可愛いだのとはしゃぎ、大喜びする。&lt;br /&gt;毎日同じことを繰り返すペンギンの中には嫌気が差し、新世界にあこがれ列を離れるものもでてくる、それを不届きな奴として来園者はダメーとほざく。その行動にこそ大きな意味があることも知らないで。&lt;br /&gt;内向き、同一行動、出しゃばらずを良しとする自閉的空間より生み出されたある種のねじれた思考をもってそれを美徳と勘違いしてペンギンちゃんに強要し、上手に出来たと拍手する不思議な日本人という図式であろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/02/18/imgp2372.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp2372&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp2372&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/02/18/imgp2372.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;226&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;匿名のグループ1984が書いた論文がそれぞれ論点を異にする朝日新聞1月版と文芸春秋三月特別号に再掲載されている。&lt;br /&gt;「日本の自殺」と仰々しく題されいっけん、売れない作家によくある刺激的なタイトルのようにも思われるが実はそうではなく、中身は重い。&lt;br /&gt;そもそもこの論文は1975年二月号の文芸春秋に掲載されたらしい。&lt;br /&gt;ならば愚生は以前より毎月欠かさずに通読していたから間違いなく読んでいた筈である、しかし同著者のその他5,6編は記憶にあるが本論は全く憶えていない。&lt;br /&gt;おそらく愚生は匿名の1984と名乗るグループが指摘している「高度に文明化した国家は将来、その繁栄の代償として歴史から消え去ることは必発、それを具体的にローマの’パンとサーカス’に喩え、その経過まで詳細に書かれている」ことを否定したに違いない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/02/18/imgp2589.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp2589&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp2589&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/02/18/imgp2589.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;287&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;1975年とは連合赤軍事件も終え、世はまさにバブルに突入前夜である。&lt;br /&gt;そんな時世にあたかも都落ちした傘貼り浪人的な発想から炙り出された保守的、内省的な退行論とでも軽く読み流したのかもしれない、或は’ふざけるな’などとお尻の青かった主役の大半はいきがったのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし本論を37年経った今再読した時、その論点が見事に的を射ている事に驚かされる。&lt;br /&gt;繁栄とバブルの違いすら気付けず、国民全員が大いに浮かれた結果、次世代の生存プランすら決定的に欠いた間抜けな国家に成り下がる。&lt;br /&gt;今頃になって慌てふためき、日本国家の消滅すら囁かれつつある現況を演出した中心にいたのがまさしく団塊の世代である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;愚生を含む団塊の世代のペンギンたる所以である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/1984-22db.html&quot;&gt;つづく&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>コラム</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>よさく</dc:creator>
<dc:date>2012-02-18T14:38:40+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-56db.html">
<title>覚悟</title>
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<description>愚生は最後の宮大工と称された西岡常一棟梁の大ファンであり、白洲次郎同様に魅力的な...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/02/04/imgp2566.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp2566&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp2566&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/02/04/imgp2566.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;240&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;愚生は最後の宮大工と称された西岡常一棟梁の大ファンであり、白洲次郎同様に魅力的な生き様をさらしてくれた人でもある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ある本には次のことが書かれている。&lt;br /&gt;西岡常一曰く、「お堂を建立する時、まず最初に行う事は、自分の心にお堂を建てる事である」と言う。&lt;br /&gt;法隆寺が今に残り、ほぼ同時期に建てられた官製の国分寺がことごとく消失していることを喩えて言い放つ達観、つまり技も材料もあまり違わないのに国選のかり集められた大工が建造した国分寺は現在殆ど壊れ、消失しているのに対し、法隆寺を手掛けた飛鳥の宮大工は千年先の今を見据えて仕事をしていたと断言している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それは’大工の心の違い’であると述べている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また別の本には次のことが書かれている。&lt;br /&gt;祖父、常吉よりあんまをしながら授かった西岡家の口伝の中に&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;百工あれば百念あり、一つに統ぶるが匠長が器量なり&lt;br /&gt;一つに止めるの器量なきは謹み惶それ匠長の座を去れ&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;宮大工という個性的な技術集団を纏め上げるのも棟梁の役目であると言うが人間として懐の大きさ、包容力には勿論触れていない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;宮大工の後継者は腕がなければ、血縁者でもはずし、弟子たちの中からもっとも優れた者を選んだようだ。家元制とちがい、’技法に世襲なし’ときっぱりと言い切っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/02/04/1imgp9601.jpg&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/02/04/imgp4161.jpg&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/02/04/imgp9647.jpg&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/02/04/imgp3650.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp3650&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp3650&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/02/04/imgp3650.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;221&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;今日、やくざの世界を除き日本はどちらを見ても世襲ばかりである。&lt;br /&gt;七光りを錦の御旗に緊張感に欠ける社会システムが出来上がってしまった今、千年先を見越した技術、論など皆無であろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;親が苦労して作った会社の資産を何十億と使い込んでも無表情、また沖縄人に腹案ありと大嘘をついてもあっけらかんとしていることが許される堕落しきった日本に西岡常一さんは明治生まれの人間が持っていた’人の覚悟’を教えてくれる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;余談だが、その他の口伝には西洋のゲニウス・ロキ/genius locciという考え方にあたる’四神相応に地を選べ’と書かれている。この考えは飛鳥の大工は勿論、アイヌ民族、ケルトにもあり、五木寛之も古よりの教えとして自らが実感したと書いている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なお高田好胤住職は西岡常一棟梁が講演等で得た収入は全て寺に寄進され、ご高齢になってからは寺からいただく自らの給金の減額まで申し出たと述べている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こんな心は今の日本にまだあるのだろうか。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>コラム</dc:subject>
<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>よさく</dc:creator>
<dc:date>2012-02-04T18:39:37+09:00</dc:date>
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<title>テキサスの大風呂敷</title>
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<description>テキサス/texasといえばサンアントニオ/san antonioが思い出深い。...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/01/27/imgp8024.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp8024&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp8024&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/01/27/imgp8024.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;175&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;テキサス/texasといえばサンアントニオ/san antonioが思い出深い。&lt;br /&gt;アラモの砦がありそこにはインディアンと闘った幼年兵の辞世の言葉も記されていた。&lt;br /&gt;メキシコ国境近くに行くほどメキシカンを多く見かけるのんびり風がいつも吹いている、だだっ広い、いたって刺激の少ない土地柄という印象がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;御地を何度か訪れた際にお世話になった方がいる。&lt;br /&gt;帰国後、日本的想いを込め、お礼のしるしとして花柄模様の大きな風呂敷を送付、快く受けてくださった。&lt;br /&gt;くれぐれも使用法を間違わないようにと但し書きを添付して！&lt;br /&gt;しかし物を包む習慣のないアングロサクソンである、やはり大間違いは起こった。その女性は日本のネッカチーフとしてその大きな風呂敷を首に巻いて通勤しているとか。&lt;br /&gt;まるで日本の屋台のおばちゃんと同じだが仮にその大きな風呂敷で頭を覆おうと腰に巻こうとご本人がお気に入りならそれで良い。愚生はただ笑いを堪えていればそれで済むことである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;お住まいはアーリントン市、ご多分に漏れず人種のるつぼである。&lt;br /&gt;またテキサスレンジャーズ/texas rangersの本拠地でもあり今、ダルビッシュ有投手のトレードで盛り上がっているとか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのダルビッシュは血族的には日本人の母に生まれ日本で育ったらしい。&lt;br /&gt;今、’がんばれヤマト魂’一色の報道は正直なファン心理を代弁しているにしてもダルビッシュ自身それを受容しているのか、迷惑と思っているのか、ダルビッシュのアイデンティティ/属性/identityを愚生は知らない。&lt;br /&gt;そもそもナショナリティとアイデンティティは一致すると短絡した島国的思考が生み出すごった煮の如き報道姿勢は如何なものか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もしも外貌はアイデンティティの吐露だとするなら、ダルビッシュのひげは伊達ではないのですぞ、ファンのみなさーん！！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/01/27/imgp8287.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp8287&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp8287&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/01/27/imgp8287.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;217&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;生物学的な日本人、はるか昔にハイブリット化している日本民族とやらのアイデンティティ/拠り所をなお血族に求めるのも、また出生地に求めるのも好き好きだろう。&lt;br /&gt;また我々は日本人というアイデンティティをいつの時代まで遡って考えているのか興味深い。明治以降か、中世か、弥生時代か、縄文か、或は二十数万年前のアフリカに求めるか、果ては数百万年前の類人猿に求めるのか、それこそAKBからチョンマゲ、お猿さんまで色々ある、さてどれを選んでいるのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし我々は’日本人’というアイデンティティを他国の民族に押し付けた愚かさを戦争より学習した筈である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また北海道には維新という大革命で蝦夷に渡った喰いっぱぐれのサムライどもが先住者に仕出かしたとんでもない悪行、つまりアイヌ民族のアイデンティティを剥奪し、つい最近まで彼らを土人と蔑んだ醜い歴史がある。勿論、喰いっぱぐれた御先祖様の子孫が宣う矛盾は承知の上である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;余談だが北海道には腹案という大風呂敷をおっぴろげて日本政界のカオスを見事に演出しているノーテンキな御方がいる。&lt;br /&gt;自らのアイデンティティは宇宙人と名乗る気楽な御仁に効く妙薬を誰か持ってないか。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>アメリカ</dc:subject>
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<dc:creator>よさく</dc:creator>
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<item rdf:about="http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-dd3f.html">
<title>タケゾウちゃん</title>
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<description>武蔵の独行道の一つに「我事に於いて後悔せず」として登場する’後悔’という単語があ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/01/08/imgp1732.jpg&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/01/08/1imgp3526.jpg&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/01/08/imgp2409.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp2409&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp2409&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/01/08/imgp2409.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;179&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;武蔵の独行道の一つに「我事に於いて後悔せず」として登場する’後悔’という単語がある。&lt;br /&gt;小林秀雄は自著の中でそういう小賢しい方法はむしろ自己欺瞞に導かれる道であり後悔したければするがよい、いずれ今日のことを後悔しなければならぬ明日がやってくるだろう。&lt;br /&gt;日々、自己批判に明け暮れる道をどこまで歩いても、批判する主体の姿に出会う事はない。&lt;br /&gt;別な道がきっとあるのだ、自分という本体に出会う道があるのだ、後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろと武蔵は語っているのです、と述べている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;菊池　寛もこのフレーズが好みだったらしく揮毫を請われればよく書いたらしいがはたしてその深意をどの様に解釈したのか興味のあるポイントでもある。「我れ事」と書いていたとされる直筆の書を愚生はまだ見ていない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以下、思いつくままに。&lt;br /&gt;禅僧の云う’無我’というもの、その’我れ’を完全焼却して完全な’無’なる状態が創られたなら後悔というカビは繁殖出来ないし、そもそも論理的にも成立しないだろう。&lt;br /&gt;それが不完全焼却状態であるならばそこに有機質が残存する以上、’後悔’というカビは条件次第で繁殖するかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;では何故、こんな単純すぎる屁理屈を書くのか？&lt;br /&gt;理由はいたって簡単、そもそも’無我’なるものを内から自得せず、或は自得できずに書く矛盾を曝すためだ。&lt;br /&gt;そんなことを踏まえた上で小林秀雄を読みかえすのもまた楽しい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/01/08/imgp1728.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp1728&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp1728&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/01/08/imgp1728.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;248&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;作家は「私の人生観」大和出版p,42で次の様に述べている。&lt;br /&gt;それを武道家の云う「我が事」と読むならばそれは今日まで自分が生きてきたことについて、その掛け替えのない命の持続感というものを持て、という事になるのでしょう。そこに行為の極意があるのである。&lt;br /&gt;その極意に通じなければ事前の予想も事後の反省も影と戯れる様なものだと宮本武蔵は言っている・・・。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;どうやら「我れ事」と「我が事」の間以上に戦乱期の’もののふ’と作家の間には溝がありそうだが愚生の理解度はいまだ宮本村のタケゾウちゃん以下のものである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;出頭してきた元オウム信者の平田容疑者に問うてみたい。&lt;br /&gt;人生最大のミスマッチだとするならば17年の長きに渡って我が命を賭した信仰とやらと自身の間にもし’後悔’なるものがある、若しくはあったのなら殺った、撃ったなどの仔細に興味はない、平田修行者が観る’後悔’の意味を知りたい。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>コラム</dc:subject>
<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>よさく</dc:creator>
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<title>牛丼１杯、280円</title>
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<description>各牧場には馬頭観音さんが祀られ、速く走れないサラブレットさん、子供を産めなくなっ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/12/25/imgp1616.jpg&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/12/25/imgp1998.jpg&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/12/25/imgp1881.jpg&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/12/25/imgp2498.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp2498&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp2498&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/12/25/imgp2498.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;190&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;各牧場には馬頭観音さんが祀られ、速く走れないサラブレットさん、子供を産めなくなったお母さん馬達を供養している。&lt;br /&gt;また獣魂碑も同じく、従順なこころと余りにも澄んだ眼を持って無垢な生き様を晒した動物たちを祀り、供養している。&lt;br /&gt;しかし今、厚労省の言い方を借りるとそれらの供養塔は動物性蛋白源に対する免罪符でしかないのかもしれない、それを不可避的に良としても、不平不満を語らず時には家族以上の存在でもあった者達に対する人々の深い想いが込められているのだろ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ユダヤ人を両親にもつ、ピーター・シンガー/peter singerは’なぜ動物を喰らう事が道徳的に是認できるのか’と問われ、１９７０年代に著した「動物の開放/animal liberation」は世界的ベストセラーになった。&lt;br /&gt;シンガーは功利主義を用いて理路整然と幸せは善で、苦しみは悪とお題目を唱えたところから動物権利運動/animal rightsだの/animal peaceといった社会運動が起こり、それは主にアングロサクソン、ゲルマンが多く住む国でより活性化し、各国の実験動物を扱う研究施設は動物愛護団体から襲撃を避ける為に恰も核シェルターの如き様相を呈していたが日本では殆んどなかったように思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いまでも彼等は菜っ葉しか食べないとする菜食主義という欺瞞に満ちた行動を取り続けているのか甚だ疑問だが功利主義に含まれる判断基準の一つである’動物の苦しみ’はデジタル化、図表化できず、また生物の生きる価値を何故か’知性’に求めた為、必然的に主観的要素が介入してしまった。つまり言語を欠くが故の本論の難しさと共に何故かしっくりしない論法に十人十色の直観と本能も入り込み、本来学問の持つ怪しさも少なからず感ずる。&lt;br /&gt;生物の生きる価値を’知性’に求めたことは必然的に種による差別化が生じる、ゆえにカンガルーだのクジラを喰う、喰うなの屁理屈の応酬に繋がるがその頃はまだ捕鯨が槍玉に挙がっていないのも妙である。&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/12/25/imgp2476.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Imgp2476&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Imgp2476&quot; src=&quot;http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/12/25/imgp2476.jpg&quot; width=&quot;390&quot; height=&quot;209&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;昨今、福島原発事故地周辺で立ち入り禁止区域が設定されそこには痩せこけたいろんな種類の動物たちが画像として映し出され、その中には軽度の放射能を被って逆に生き永らえた肉牛さんの姿もあった。&lt;br /&gt;それを茶の間で眺める我々は肉牛さんに対し直観的になにを思うのか、その問いを己の中に引き込み問い直すか否かは勝手だが、束の間の自由を得て喜び遊び回る肉牛さんに拍手を送る人もいれば、哀れに思う人もきっといるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ホモサピエンスが遠い親戚である多毛の四足動物を考える場合、今後如何ほど動物の脳科学が進歩しようが動物の内面を我々は完全には理解できないだろう。&lt;br /&gt;しかし屠殺場/食肉処理場に搬入された動物がそこで血の匂いを嗅ぎ、そこがどんな所か分からない動物などいない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大脳が破壊され、放血されるまで暫しの時間、その脳内の活動電位とある種の鳴き声を聞いた人のミラーニューロンの活動電位とはたしてどちらが極限に近いのだろう。&lt;br /&gt;肉を喰らうことに対してアイヌはその魂を送りカムイに心より感謝してから頂き、仏は抑制的ながらも否定せず、イズラムは何故か豚だけを断ち、西洋の神助に至っては神よりの贈り物とそれぞれが勝手に都合よく考えた。&lt;br /&gt;それぞれのカミ、ほとけ等はこんな非人間的な論理を知らず知らずのうちにあまりにも人間的に解釈しているがそれをして思想という人もいる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それらmaterialsはやがて化粧品、医薬品などにも形を変えるがピーター・シンガーは自説の対側に潜む数倍の逆説と葛藤している様子が行間に垣間見える。&lt;br /&gt;しかし愚生はその説を大きく凌駕する肯定或は否定説にいまだ出会っていない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんな幼稚な事を書きながら牛丼１杯280円が高いか、或いは安いか思いめぐらす悪徳なもう一人の愚生がいる。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>お馬さん</dc:subject>
<dc:subject>コラム</dc:subject>
<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>よさく</dc:creator>
<dc:date>2011-12-25T19:14:30+09:00</dc:date>
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